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一人暮らし 栄養失調と熱中症で死ぬ間際まで

東京へと戻ってきて、一人暮らしするための部屋を探し始める。しかし、ここで知ったことは、部屋を借りるには家賃の他に、敷金、礼金、保険など色々掛ることを知った。自分の資金は、たった二十五万。その上、連帯保証人というものが必要であることも知った。

一人暮しする旨を父に告げても、「お金は出さないからな」と突き放すように言われた。

それでもめげずに部屋を探した。東京のあの家では、生活していけない。不安、気疲れが絶えない。体も休められない。寝ても、翌朝は体がガタガタ。まだ眠っていたいのに、ヘルパーさんが来て、下がうるさくなる。いる間は外へも出られない。勉強なんてそれこそできない。学校が休みでも家の中でゆっくりしていられない。ヘルパーさんが来る前に急いで家を出て、外をぶらぶらしていなくてはならない。引きこもることさえできなかった。いつかどうにかなってしまう。追い詰められるばかり。

せめて、安心して休める場所に行きたかった。


どうにか埼玉の新河岸駅(川越駅から東武東上線で一駅)にいい部屋を見つける。三万円台の家賃だ。新河岸駅は家賃相場がとにかく低かった。資金二十五万円でも余裕で契約できる物件だった。

連帯保証人の件を父に言うと、会社名なんて書きたくないと言ってきた。「お前が家賃を払えなくなったら、こっちに催促が来るんじゃないか」と、すごく迷惑そうな顔をして言ってきた。

父が考えているのは、本当にお金のことだけだった。家族のことよりまずお金。ケチというレベルではなかった。

それでも父はしぶしぶ会社名を書いてくれて連帯保証人になってくれた。催促されてもお金は出さないからなと念を押されたが。

でも、これでついに、念願の一人暮らしが始まったのだ。

まずは部屋に何もないから、物を色々揃えなければいけなかった。

雑貨用品。ワープロを打つ机。布団。色々あるのだが、まずは、お風呂場、洗面所用品を揃えていった。何より、トイレに安心して入りたかった。東京の家では腹痛が起きても我慢することが多かった。胃腸の調子が、もう何年間も悪かったので、トイレは落ち着いて入りたかった。

それに、お風呂も、安心して入りたかった。

その後、ワープロを打つためのパソコンデスクと、食事するための安いテーブル。掛け布団。あとは生活に必要な雑貨を色々揃えていく。ただし、敷布団だけは買えなかった。重くて持って帰るのが困難。薄い敷パットで代用。バイトをして、いつかお金に余裕が出れば買えばいいと思っていた。

洋室なので、床に寝ることに。敷パッドが薄いため、床の硬さが体に伝わってくる。

電話もない。携帯電話も当時は持っていなかった(携帯電話も普及し出した頃で、持っていなくてもそこまで珍しくはなかった)。

炊飯器も、電子レンジもない。貯金が少なくなってきたので、そういうものが一切買えなくなってきた。敷布団も買えないまま。

 

学校はいよいよ授業が始まり、完全創作専攻のゼミに入る。

バイトを探すが、なかなか見つからない。学校に行っていることもあって、できる仕事は限られてくる。

接客業はことごとく落ちた。面接を受けても、やつれた雰囲気・暗い雰囲気で断られた。

バイトができないまま五月も下旬に入り、お金もなくなってきて、焦り出してくる。どんどん不安が大きくなっていく。食べ物もインスタントラーメンばかりになってくる。

やっと日払いの登録バイトができるようになって、六月分の家賃を、なんとか払えた。

しかし、そのバイトをやって分かった。冬に神奈川でやったアルバイトよりも、数倍過酷に感じられた。

午前の三時間やっただけで、体が重たくなってくる。ひどく疲労感を感じる。足がガクガク震えてきて、水分が大量にほしくなる。気を抜くと、その場に倒れてしまいそうになる。

日払いの登録バイトもなかなか仕事が入ってこない。食べ物もほとんど百円か、二百円程度の、値引きされたお弁当や、パン、インスタント食品などで、食いつないでいった。

不眠症にも陥る。下の階の住人が、深夜うるさく、なおかつ生活面で不安で胸が苦しくなってなかなか眠れない。敷布団もなく床が固くて眠れない。

1Rで狭い部屋のため、動き回れないし、気持ちがリフレッシュすることもなく、そのため更に気持ちが追い詰められていく。テレビもなく、暗い部屋でラジオを聴くことだけが楽しみだった。特に青春アドベンチャーというラジオドラマを聴くのが楽しみだった。

部屋には袋とゴミ、ペットボトル、缶ばかりが増えていく。自分の想像していた独り暮らしの生活とはあまりに掛け離れていた。まったく落ち着けない生活。常に疲れを感じる生活。

大学も一年目以上に、出る講義が少なくなっていった。通えたのは、火曜日と木曜日ぐらいだった。あとはもうほとんど行かなくなった。行っている時間ももったいなかった。小説を書かなきゃ、小説を書かなきゃ、そればかり考えるようになって、更に追い詰められていった。

ついには、宝くじに頼るようにもなっていた。お金がない中で買うので一枚だけ。一枚だけでは当たるはずもなく、ほとんど泥沼状態だ。

六月の二週目ぐらいから、登録バイトではない、別の所でアルバイトを始められた。時間は二時間程度。

しかし、このバイトも、交通費が掛かって、通勤費さえなくなりそうになったので、一週間程度で辞めなければならなかった。

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