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「カラーなんて仕事になるの?」という周囲からの反応が原動力に。絶対にカラーの価値を伝えたい!と進み続けることができた理由

「自分がこの世に生まれてきた意味」を探し続けたことが起業につながる

商社や旅行代理店で勤務した後、25歳で結婚。当時、「結婚すれば女性は安泰」という風潮がありましたが、私自身は全くそんな考えはなく、「自分自身どのように生きていくのか。一生続けていける仕事が果たしてあるのか?」という問いに何がしかの答えを探し続けていた20代でした。「本気で生きている」人のカッコ良さ。それを私自身が見つけたいと切望したのです。そんな時、28歳でパーソナルカラーと出会い、カラーを一生の仕事にしようと決意しました。カラーなら年齢に縛られず、人生のどのステージでも仕事を続けていけるという直感のようなものを感じたからです。

河野万里子

ヨーロッパで街並みの美しさに感銘を受ける

カラーを本格的に学ぼうと思っていた矢先、夫のドイツ語学留学が決まりました。この海外生活の中で、私の中の「今までの日本での常識」みたいなものがどんどんと覆され、美意識が刺激されました。

マンションに飾る「赤い花」は住民の義務であること、お店の看板の色やデザインは街の条例で厳しく規制されていて、街の美しい景観を保つ役割をしていること、自然と人と街が調和していること。ヨーロッパの美しさに触れ、日本の街並みもカラーで美しくしたいという意欲が高まりました。

ヨーロッパの街並み

カラーは贅沢品ではなく生きる希望。阪神・淡路大震災での気づき

ドイツからの帰国後、1995年の阪神・淡路大震災が起こりました。当時、私は大阪の吹田市に住んでおり、幸い大きな被害はありませんでした。

当時、ニュースを見ていてもたってもいられない気持ちになり、被災地にボランティアに通うようになりました。

ある家の片づけのお手伝いをした時のこと。そこの40歳ぐらいの女性に、「今度また来た時には何を持ってきたらいいですか? ご遠慮せず何でも言ってください」とお尋ねしたところ、その女性が「お化粧品が欲しい。オシャレをさせて」とおっしゃったのです。正直、美味しい食べ物か温かい衣服などをご希望されると思っていたので、少しビックリしました。1月の震災からまだ1ケ月ぐらいしかたっていなかったので、お化粧どころではないだろうと勝手に思っていましたが、そうじゃないことに気づかされたのです。

この時に思いました。「人は屋根のある家に住み、食べ物に困らないだけでは生きていけないんだ」と。気持ちを明るくする「カラー」。化粧品という一見贅沢品に思えて、でも明るく前向きに生きていくことに直結するものと「カラー」とが直接結びつき、この時に「カラーの仕事をするぞ!」という強い決意を持ったのです。

カラースクールを卒業してからの戸惑い。知識があっても仕事に結びつかない

38歳の時、1年間で、パーソナルカラー、イメージコンサルティング、色彩心理、そして色彩検定1級合格と、当時であれば、「カラーの仕事をするのであれば、これだけの資格があればOK」という資格をすべてクリアすることができました。

さて、問題は勉強していた時ではなく、カラースクールを卒業してからでした。することはちゃんとして、準備もできた。でも……、仕事をどうはじめていいのかわからない。始めのうち、正直仕事はほとんどないようなものでした。

それからは積極的にビジネス交流会などに参加したり、カラーの素晴らしさを熱く語っていたりと、とにかく動いていくうちに、衆議院選でのトータルのイメージ戦略の仕事が舞い込んできたり、大学での色彩検定講師の依頼がきたり、携帯ショップのカラーコンサルティングの仕事が来たりと、次々にチャンスを掴むことができるようになりました。

カラーのどの仕事から始めたかというよりは、「このカラーの仕事できますか?」という質問で全て「はい、できます!」と言って仕事を必死でこなしていった感じです。この時子どもは幼稚園生になっていたので、家庭との両立にも苦心しました。

▼ひたすら動いているうちに、取材依頼なども舞い込むように

河野万里子

▼念願の書籍を出版することもできました

カラー読心術

「カラーなんて仕事になるの?」「変な仕事をするなよ」周囲からの反応

今ほど「カラー」が重要視されていなかった当時の日本。カラーの社会的地位が低いことは、毎日名刺交換する相手の反応でいやがおうでもわかりました。例えば、ビジネススクールでお会いした製薬会社の人に、「カラーについて一度プレゼンさせて欲しい」とお願いしたところ、「僕の趣味だと思われてしまうので、仕事時間中ではちょっと……」と口を濁される。「カラーコーディネーター」の名刺を出すと、「何それ?そんなので仕事になるの??」という露骨かつ素直な反応。「カラーの仕事をしている」と高校時代の男性の友人に告げたら、「お前、大丈夫か? 変な仕事するなよ」と言われた。

もう、こんな対応は毎日のことで、はじめの頃は内心悔しく思っていましたが、このような反応が30名を超えるころからは考え方を変えて、これだけ皆が「それは仕事にならない」「そんな訳のわからない仕事を何故するのか?」というのであれば、これを本当に仕事にできたら絶対にブルーオーシャンになると考え方を切り替えたのです。

河野万里子

カラーコーディネーターの社会的地位向上のために

自分自身がプレイヤーとして働くと同時に、2004年からはカラーリストの養成も行うようになりました。その際、「カラーコーディネーター」や「カラーリスト」という肩書を持つ人がカラーの資格だけを取って、全く仕事になっていないという相談をたくさん受けていました。

当時、「カラーの資格が仕事にならない⇒経験をつめない⇒実際にカラーを現場で使おうと思ったらその現場力がない⇒仕事の完成度が低く、評価がさがる」という悪循環が現場では起きていました。

「カラー」という素晴らしいツールが、うまく伝わらないこと、未熟なカラーコーディネーターによって世の中に認知されていないこと。これをすごく勿体ない、どうにかしたいという使命のようなものを感じ、これを解決するのは、ひとりひとりが個人戦で頑張ってもどうにもならない。もっと組織で!共通のツールで!という強い思いでした。そうした経験が「カラータイプ®※1」「カラータイプインストラクター協会(現:一般社団法人カラータイプ協会)」の誕生につながっています。

※1カラータイプ®
独自の観点や研究を重ね河野万里子が開発した色彩心理による性格タイプ分け理論です。2009年商標登録。これまで学会などで合計6本の論文を発表しています。

▼「カラータイプ®」特許庁商標登録5290696号
カラータイプ®開発者 河野万里子

カラータイプマップ

カラーリストのためにつくったカラータイプが「自己肯定感が上がる」という思わぬ副産物を生み出す

当初カラーリストの活躍のために開発した「カラータイプ®」ですが、カラータイプ®性格診断を受けた方から「自分のカラー(性格)を知って自己肯定感が上がった」という声を多くいただくようになりました。

新型コロナウイルスの影響により、ある種の閉塞感がただよう世の中です。今後はカラーコンサルティング、カラーマーケティング分野での活動と並行し、世の中の人の「自己肯定感アップ」にお役立ちできる性格診断ツールの提供も積極的に行っていきたいと考えています。

カラーで分かる性格診断はこちら

カラータイプ診断

【河野万里子プロフィール】

京都女子大学文学部英文科卒業後、大手商社や旅行代理店などを経て2002年12月色彩舎を創業。2007年7月代表取締役に就任。

NTTドコモの売り場カラー監修、衆議院議員選挙候補者のイメージコンサルティングなどカラーコンサルティング業を行うかたわら、色彩検定講師、パーソナルカラー講師としてカラーリストを養成。

また、「かんさい情報ネットten.」や「海原やすよともこの裏側ハッケン!」などのメディアで幅広い層に向けてカラーの楽しさを発信する。

カラーコンサルタントとしての経験値を理論に落とし込んだ性格診断システム『カラータイプ®理論』を開発すると同時に2009年にカラータイプインストラクター協会を創業。(現:一般社団法人カラータイプ協会)

その後10年で全国に約400名のカラータイプインストラクターを輩出し、現在はカラータイプ®理論を応用したカラーマーケティングの開発・教育に従事。四天王寺大学非常勤講師。

関西ベンチャー学会常任理事。著書に『色づかいで人を見抜くカラー読心術』(こう書房)がある。




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