反エリートとヒッピー文化
エリート思想(能力主義)のはじまり
かつて日本のみならず世界では、貴族社会での役職登用に関して不満がありました。
出生や身分によって出世コースが決まっていたからです。
どんなに能力が高く努力をしても、身分が低いと上にいけない。
それに対して、身分で差別をせず、その人の能力や人柄・努力値で見ることこそが人々にとって【平等・正義】となると考えるようになりました。
これが能力主義のはじまりだと思います。
世界ではフランス革命・アメリカの独立運動。
日本では、明治維新以降の四民平等などが能力主義時代の幕開けといっていいかもしれません。
その後、能力主義の副産物として、優れたものこそが世界を支配するべきという考えが現れます。
いわゆるエリート思想です。
やがてそれはファシズムやファシスト党の出現につながり、彼らが実権を握り、世界大戦を迎え、ユダヤ系の人々が迫害をされることにもつながりました。
これらを揶揄したイギリスの社会主義者マイケル・ヤングによる【メリトクラシー】による悲観的な能力主義ディストピアなどが有名です。
今回はこのエリート思想とメリット・デメリットとエリートに対抗する自由主義・自然主義を考えていきたいと思います。
能力主義のメリット
まず、私個人としての意見を述べるなら、能力主義そのものは否定できないものと考えています。
身分・人種・性別に限定せず、人々にチャンスは平等に与えられるべきです。
努力や才能そのものは素晴らしいものであり、決して悪ではないと思います。
また、マクロ視点ではグローバルでの競争に勝つことが我々日本人としても大きな枠組みの中で生き残りを謀るには必須であり、資本主義の中でおのれの能力を発揮する競争そのものは避けられないでしょう。
苛烈な資本主義競争がおきつつも「神の見えざる手」によって、富が循環して上手くまわる。
これは確かだと思います。
それに対して、全ての職や生産をお上が決めるソ連の社会主義政策では、多くの餓死者を出した歴史的大飢饉「ホロドモール」などが起きてしまいました。
労働は自らのメリットのために働くのがもっとも精神衛生上良く、国のためだと作ったものを全て奪われてしまえばやる気も労働生産力も下がってしまいます。
健全な競争意識を持つことで、我々は個々の自立心を養い、技術革新や市場のライバル同士で値段を下げて顧客を集めるなどするして、
安く良い商品を手に入れるなどのメリットを享受できる・挑戦の機会を得ることなどが能力主義および資本主義社会の強みでしょう。
能力主義のデメリット
しかし、苛烈な競争はときにヒトの残虐な思想を加速させます。
そのひとつがエリート意識です。
このエリート意識が生み出す差別や迫害は許されるものではありません。
ファシズムによる民族迫害などを例としてみるに、エリート思想の良くないところは、共同体における姥捨て山文化を合理化してしまうところにあると思います。
姥捨て山文化とは、自分を育てた父母が年老いて働けなくなったからと山に捨てて放置する行動です。
能力主義は合理化のもと、思いやりに欠く行動が目立ちやすくなります。
このような文化の背景には
「あなたと私は同じ人間でしょ?
同じ働きができないないあなたはサボってる。
許せない、制裁だ」
というエリート主義による【同化型差別】、イジメが発生します。
例をあげると、ユダヤ民族の迫害には、キリスト教で禁じられていたユダヤ人たちしかできない高利貸業による金銭的な豊かさに加え、聖書の解釈の違いや宗教的対立・現地に溶け込まない姿勢が、迫害の原因になっていったとされています。
自分たちと同じことをしないユダヤ人たちが憎くて憎くてたまらない。
これらも同化型差別=イジメのひとつです。
同じように、何かしら社会生活で問題がある障害者を雇わない・女性の出世や雇用が限られるなど、能力主義社会においての同化型差別・不平等的雇用問題は未だに解決されていません。
…さらに生きている中で、このような経験をした人は少なからずいるのではないでしょうか。
良い成績をおさめると、なぜか目に敵にされ、褒められるどころか、ひんしゅくを買い足を引っ張られ、こき下ろされる。
かといって、ゆっくりマイペースにやっていると「お前もやれ」「もっと早く動け!」と罵声が飛んでくる。
頑張っても頑張らなくても周りが生き急いで巻き込んでくるうえに、上にいったらいったらで引きずり降ろそうとする人がいる。
このよく見られる【男性社会的・同化型差別・闘争嫉妬文化・生存者バイアス】の板ばさみに苦しんでいる方も多いのではないでしょうか?
この先の記事では、このような嫉妬の渦巻く、縦社会の能力主義(エリート思想)とそれに対抗するヒッピー文化(反知性主義)について思うこと、対策法などをより詳しくつづっていきます。
能力主義はパーソナリティ障害の原因になりうる
能力主義は心の病の原因になりえます。
もし誰かに存在を認められるのが、強さを証明されたときのみで、それ以外はいつも「忙しい」と周囲にそっぽ向かれて育ったとします。
エリートと同じパフォーマンス出さなければ「いない子」「非人間」「いじめ対象」になると、能力主義が憎くて憎くてたまらなくなっていきますよね。
そしていずれ、この価値観に染まり、「頑張らない自分に価値はないんだ!」と、能力主義になって自分を良く見せようと【自己愛】が肥大化する。
このような自己愛の肥大化は、
反社会・境界性・自己愛・演技・回避・依存・強迫性パーソナリティ障害などの精神疾患を招くでしょう。
現代の主なパーソナリティ障害(主にB群・C群)は、すべて能力主義社会(エリート思想)から自分の安全地帯を設けようとする一種の「闘争ー逃走ー凍結」反応であると私は推測します。
そして境界例・自己愛・演技・回避・依存・強迫、これらパーソナリティ症のすべてが、
能力主義に生存欲求を刺激された【反社会性パーソナリティ障害】と【適応障害群】であると私は主張します。
そして、このエリート思想はファシズムをはじめとする「イジメ」や他者の成功への「嫉妬」の原因にもなりうるものです。
男女の嫉妬・いじめ文化の違い
ここから先は
¥ 640
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?