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リーダーにふさわしい資質とは何か?

 地域の催し物や会社のプロジェクト、学校のイベントまで、リーダーシップが求められるシーンは誰にでもありますよね。

 けれど、リーダーシップを発揮するにもどのようにすればいいか分からなくて困っている方もいるはず。

 ここでは改めてリーダーとはなにかということについて考えてみたいと思います。

人は不安になると「リーダー」を探す


 そもそも、どうして人がリーダーを求めるのか? についてです。

 というと、やはりそこには「不安」という感情がキーワードになると思います。


 人間は未知なものや理解できないこと、不安や悲しいことがあると体内に「ノルアドレナリン」という分質が作り出されます。

 そうして恐怖感情が「警戒のアラーム」となって、危険を察知したり、未来への備えをするようにわたしを動かそうとするのですね。


 ですが、この不安感情は「パニック」を作り出し、ときに正常な判断を狂わせることもあります。

 そもそも、「恐ろしさのあまり判断ができない」という状態を作り出すことさえあるのですね。


 そして、このようにパニックになってしまうと、

 私たち人間は、しばしば自分で何かを決断することを止め、自分自身の「人生の選択権」を誰かに譲渡してしまうことがあります。

 ありたいにいってしまえば、自分より優秀・冷静だと思う、この人はもっと良い環境に自分を導いてくれる人を探して、その人に指示を仰ごうとしまうのです。

 このような人格を「依存性パーソナリティ」と呼びます。

 普段はあんまり「リーダーシップ」を持たない筆者も、友人とゲームで遊んでいるとき、レベルが高いときなどリーダーを頼まれるときがあります。

 他にも、新しいことするときなど、相手より経験積んでいる場合なども先陣を切ることがあります。


 まとめますと、未知への【不安】や強いものへの『恐れ』が、人を「リーダー」と「フォロワー」に分け、リーダーが指示権限を持って人々を導いていく。

 そうしていくなかで、この人はとても素晴らしい! という「ハロー効果」が生まれ、権威性や優位性かやがて信仰へと変わり、リーダーはフォロワーを増やしていくのだと思います。


強く美しいほうが人間の「安全欲求」を刺激する

 不安を呼び起こす環境以外にも、強い人・美しい人はリーダーになりやすいです。

 強いもの・美しいものは、人の「安全欲求」を刺激します。


 人間は見た目じゃないよ!

 とは言いますが、実際は金ピカのアクセサリーだらけで、ブランドものをこれ見よがしに着て見せびらしたほうが、相手からぞんざいな扱いは起きにくいです。

 むしろボロボロの服を着て、きちんと身なりを清潔にしない人のほうが、悪印象を抱かれるということがわかっています。

 

 見た目をキレイにしても人から怒られるのは、単純に怒られることをしているからです。

 霊長類でも群れのボスは比較的長寿で健康的というデータもあります。


 私たち生物は

 「生きるために生まれ、生き残るために進化をしている」

 物質ですから、生存確立を少しでもあげるため、「強く・美しく」あろうと日々努力しています。

 これは、強いものほど生存しやすく、美しく健康であるほど繁栄しやすいからです。


 そこから転じて、強さや美しさを強く持つ人を私たちは尊み、その強さにあやかろうと、「強く・美しい」リーダー(ファッションリーダー・カリスマ)として選び、人々は不安なとき、このような「リーダー」に付き従い、マネをして、確実に生き残りをはかろうとします。

 いわゆる「教祖(リーダー)」の誕生です。


 

リーダーとは「未来を提示する」人

 よく占い師や宗教家は、歴史の観点においても重要なリーダーのポジションについていることがよくあります。

 日本の歴史でみるならば、古代の女王でありシャーマンだった「卑弥呼」がその典型的な例といえるでしょう。

 江戸時代の天草四郎時貞もこれに当てはまります。


 三国志でも「蒼天已死、黄天当立」からはじまり、

 神の使者として人々の前に降り立った教祖・張角が黄巾の乱を起こし、そこからさまざまな国の動乱がはじまりました。

 ヨーロッパでは、ローマ法王が十字軍を組織し、聖地エルサレムの奪還を目指し、何度もイスラム圏へ戦争をしかけるということがありましたね。


 なぜ、宗教家や占い師(シャーマン)が集団を率いるちからがあったのでしょう?

 今よりも科学の発展が遅れていたからでしょうか?

 筆者は、そのような科学の遅れよりという理由よりももっと、本質的な「人を集める能力」が彼らに備わっていたからだと考えています。


 その能力はこそが、今日のリーダーシップと呼ばれるものであり、そのリーダーシップを分解すると「未来を提示する力」にあったからにほかなりません。

 未来を提示するちからとは、超能力やオカルトではありません。

 目標や意志などの「感情」を指します。

 未来(目的)をさだめ、人を集め、いま苦しいこの現状をどうにか「変革」させる力を束ねるのが「リーダーシップ」の根源です。


ガンジーから学ぶリーダー像

 よりわかりやすい「リーダーシップ」の例として、【ガンジーの塩の行進】というエピソードがあります。

 インドの宗教家・指導家である「マハトマ・ガンジー」は、当時イギリスの支配下だったインドで、非暴力・非服従をスローガンとして、活動していました。そのひとつが塩の行進です。


 塩は生活になくてはならないもの。

 しかし、当時インドを支配していたイギリスによって「塩作り」が禁止され、みんな困っていたのですね。


 しかし、ガンジーはそんな状況から非暴力によるデモ活動として、イギリスから禁じられていた「塩の生成」を、人々の眼の前で「釜」を煮て作り上げ、各地で行進を続けていったのです。

 人々はそんなガンジーを見て共感し、自らも自由を手に入れるため立ち上がったのです。


 ガンジーとその仲間たちは、なんども牢獄に入れられ、釈放されたあともそのような活動を続けていきました。

 決して、イギリスの看守兵に手をあげることなく、非武装・非暴力によってです。


 あまりにガンジーに協賛した人々が多く、片っ端から逮捕するにも、やがて牢屋がパンパンになって溢れてしまうほどでした。

 何人も、何十人も、何百人も、何度投獄されたとしても、また同じように「非暴力」によって立ち上がってきたガンジーたちに、イギリス本国も最後はお手上げになり、塩の製造の許可を出したというのが「塩の行進」です。

 素晴らしいリーダーシップですね。


 その後はインド独立に全力をつくし、ガンジーはインド・パキスタンの紛争で暗殺され、生涯の幕を閉じました。

 ガンジーの遺体は国葬され、今でも英雄として祀られています。

 このように「人々がその人物を慕い、フォロワー化する」には、条件があり、

・リーダーが先陣を切る勇気があること
・その人についていきたいと思う「共通のこころざし」があること

 ことなど、最低2つの条件を満たしている必要があります。

 そして共通のこころざしとは、共通の「目的」であり、

 リーダーの誕生には必ず「未来=目的を提示する力」が必要といえます。



リーダーとマネジメント

 真のリーダーシップは、人を管理統率することだけではありません。

 権限によって、人を管理し、働かせ、設定した期待値どおりのパフォーマンスを出させるのは「マネジメント」です。

 マネジメントもリーダーの仕事ではありますが、リーダーシップとは少し違います。

 リーダーシップとマネジメントの違いを語ると、

 森岡毅氏の著書「誰もが人を動かせる! あなたの人生を変えるリーダーシップ革命」には、

「共通の目標を持って集団を動かすのがリーダーである」

 と書かれています。

 
また、森岡毅氏は

「対等な関係・尊重こそが、長期的に良い仕事を産む。上下関係で生まれるのは短期的成果のみである」
「日本はみな、同調圧力にひれ伏し、従順な人ばかりであるがゆえに、リーダーシップがなくとも人を動かせる環境となっている」

 とも語っています。

 逆に、安藤 広大氏の著書「リーダーの仮面」には、

「リーダーは上下関係を守り、上から命令し、部下には命令を守ってもらわなければならない」
「緊張感を維持するため、馴れ合ってはいけない」
「慕われるリーダーとそうでないリーダーでパフォーマンスにバラツキがあってはならない」
「会社は利益を追求する組織であり、部下にいちいちお伺いを立てるシステムは回らない」
「リーダーは毅然とすべき」

 と主張しています。

 お互いが真逆の意見で、なかなか興味深いですよね。

 しかしながら、2人の主張をリーダーシップ論をよくよく見比べて分解すると、

・会社という組織はすでに「利益」という共通の【目的・目標】が設定されている
・よって、すでにリーダーシップを発揮し、人を集めなくとも「利益」を求める人が集まっている
・また日本人は、リーダーシップがなくとも、マネジメントで十分統率できる従順で高い「フォロワーシップ」を備えた人物ばかりである
・したがって、日本社会には高いリーダーシップ(情熱)は必要ない
・むしろ、やるべきことを明確にし、リーダーが下に指示しなければ、組織は上手く動かない
・そのため、多くの日本の会社で必要なのは、みんなから慕われるリーダー像ではなく、鬼軍曹のような「マネージャー」である

 とまとめることもできます。


 つまり「0→1」がリーダーシップの本質であり、「1~10」にするのはマネージャーの仕事である。

 さらに、多くの企業は利益追求のために存在し、部下に歯車的に動くことを求めているため、上司が人柄で統率し、人によってパフォーマンスにバラツキがあるのは好ましくない。

 したがって、いつでもどこでも誰でも「安定した働き」をもたらすには、マネージャーと管理システムが重要といえる、ということかもしれません。


人にもっとも影響を及ぼすのは「権威」ではなく「価値観」である


 ここではリーダーの持つ「権威」と「影響力」、そして信仰のみなもとになる「価値観」についてお話しようと思います。

 今日、インターネットによって私たちの生活は大きく変わりました。

 出版・ラジオ・テレビからはじまり、WEBサイトの登場、掲示板などのサービス、フェイスブックやツイッターなどのSNS、ユーチューブやティックトックなどの動画メディア、近年ではメタバースやNFTというものが注目を集めています。


 そして、それとともに、有名な「インフルエンサー」という立ち位置の人も生まれましたね。

 インフルエンスというのは【影響力】のことです。

 リーダーの持つ「影響力」とインフルエンサーの持つ「影響力」

 同じ影響力でも、少し違います。

 まずはじめに、この【影響力】について深掘りをしていきたいと思います。

 まず【影響力】とは、「強さ」「深さ」と「範囲」の3つで決まっています。

「強さ」……どれくらい人のカラダを動かせるか? 強制力。
「深さ」……どれくらい人の心を動かせるか? 期待値。
「範囲」……どれだけの人に影響を与えるか? 影響を受ける人数。

で成り立っています。

 

「範囲」はとてもわかりやすいですね。

 フォロワーやチャンネル登録者数・ファンの人数などです。

 

 そして、「深さ」も大切です。

 あなたも大好きなゲーム実況者さんが新しい動画をアップしたとして、自分の興味がないジャンルだったら見向きもしないと思います。

 大好きなコラボ動画でも、「美術・文学・クラシック音楽などの教養系」「数学・科学・歴史などの勉強系」の人が相手だったら、なんだか難しそう…と思って嫌煙するかもしれません。

 そして、「影響力」は、このように私たちにソフトな影響を与えるものだけではありません。

 

「影響力」には、どれだけ強制的に人を動かすか? という「強さ」も存在します。

 

 例えば、学校の先生や親御さんが「宿題をやれ!」といったり、会社の上司が「この資料つくっておいて!」という指示・命令があります。

 他にも、地震や津波などの避難指示もあれば、感染症予防のための「まん延防止措置」「緊急事態宣言」などのお願い、海外ではそれよりさらにグレードアップした、強制的な都市封鎖…『ロックダウン』というものがあります。


 つまり、影響力の【効果】も「強さ」と「深さ」に分かれ、


「強さ(強制力・義務)」……外発的動機づけ。みんなと安全に暮らすためのルールや義務。
自発的ではない、外部から「こうしろ」というもの。
 
「深さ(感情・利害)」……内発的動機づけ。自分にどれだけメリット・デメリットがあるか?

感情をどれだけ揺さぶるか? 期待をさせるか? 自主的な意思に影響を与えるもの。

 に分類できるのです。

 

 少しややこしいですよね。

 この分類法から考えると、

「リーダー」……強さがある。

 深さで人を集め、あるていどのフォロワーに対する指示権限を持っている。けれど、影響力の範囲は、自分のコミュニティにかぎる。ピラミットの上。


「インフルエンサー」……範囲が広く、深い。自分のコミュニティを超えて情報を発信できることができる。けれど強制力は薄い。

 に分けられます。

 ネットやテレビが出てくるまでは、基本的に、【強制力=範囲】は比例し、とても強い影響を持っていました。

 これは、昔、王様が国を統治していたことから言えます。


 強い「軍隊」と正当な「血統」があれば、人にアレコレ命令しても許されていたのです。

 そして、王様や貴族に逆らうと「不敬罪」でひどい目に合う人もいましたね。


 しかし、日本では明治から【四民平等】に変わり、

 そのなかでも資金という「影響力」を持っていた『財閥』などが戦後「解体」され、

 天皇陛下の「人間宣言」、

 GHQなどにより、新たに「基本的人権」を制限・破棄する項目を排除した憲法の草案が誕生し、それとともに各コミュニティのリーダーの権限=影響力も低下しました。

 これは、GHQが新たな「価値観」を日本にもたらしたことによって、財閥や天皇家への「権威」が失墜したともいえるでしょう。


リーダーは影響力を使い「自由と利得」のために戦う

 出版・ラジオ・テレビ・インターネット・SNS。

 このような情報メディアやプラットフォームが政権を動かしたケースは決して少なくありません。


 フェイスブックやツイッターが、中東政治を左右し、「アラブの春」の発生に多少なりとも影響を与えたという報道は聞いたことがあると思います。

 このようなSNSのみならず、1775年のアメリカの独立戦争時に「トマス・ペイン」による出版書籍【コモンセンス】が民衆に勇気を与え、勝利の後押しをしたこともあります。



 このような新しい時代の幕開けは、権力者の「権威の失墜」によりもたらされ、そして「権威の喪失」はおもに「価値観の破壊」(パラダイムシフト)によって民衆の意識変革によって行われます。

 そして、その価値観の破壊は、出版やラジオ・テレビ・SNSによってもたらされたのではなく、「インフルエンサー(影響力者)」の【価値観】によってもたらされるのです。 


 このような自由と権威の戦いは歴史の中で数多くありました。

・アメリカ独立
・フランス革命


 などの歴史的人権・権利の追求から、

 近代の

・フェミニズム運動

 なども「女性らしさの強制(権威)」と「自由」の戦いです。


 つまり、権威を失墜させ【自由】を手に入れる「独立」とは、社会的な意味の変化・価値観・役割の破壊活動であり、リーダーとは「新たな価値を提示する人」のことである。

 そして、出版・ラジオ・テレビ・SNS自体が影響を持つのではなく、その媒体に書かれた、【古い価値観の淘汰】=意思こそがもっとも人を動かすと言ってよいでしょう。



人を生かす>人を自由にする

 ここまで、リーダーによる「新たな価値の提供」、古い価値観の淘汰こそが人を動かすと申しました。

 そして、歴史の「リーダー」や「フォロワー」は、権威を打ち破るため・自由のために戦っているとも。


 しかし、このように革命に参加する人は、本当に「自由」のために戦っているのでしょうか?

 答えはノーだと筆者は思います。


 人間はしばしば「自由」を求めているように見えますが、本音は「自由」ではなく、自分の「利得の追求」または「苦しみからの逃走」を求めています。


 それは、フロムの「自由からの逃走」や、そもそも人が不安になるとリーダーを立てるという心理からも明らかです。

 さらに人間には本質的に、誰かとつながることで安心したいという【安心的拘束】……社会欲求も持っています。


 つまり別の言い方をすると、古い「権威」とは、もとは古い「安心的拘束」だった。

 しかし、その古い「安心の鎖」が、後世の人や外部の人には、自分を強く苦しませるものになった。

 

 だからこそ私たちは、リーダーから新しい「価値(未来)」を提供され、古い鎖を破壊し、新たな「安心的拘束=自由」を求めたといえます。

 

 そして、このリーダーの提供する「価値」とは、よくよくみると決して【自由】ではなく、「人を生かす」「逃がす・活かす」ものだったりします。

 

 このように人間は、自身に多くの害を与える【価値観】(権威)を破壊し、つねに過ごしやすいよう・生きやすいよう、自身の中にある「思想」に新陳代謝をうながして、生きている生物といえます。


 ■リーダーシップが求められる理由

 世間では「主体性」や「リーダーシップ」を持つことがとても重宝されるように見えますが、実はそうでもありません。

 世の中の人間のほとんどは、他人に「従順(良い言い方をすれば誠実)」であることを期待しています。


 ハッキリといってしまえば、

「コミュニティの維持・繁栄のために貢献してくれること」
「不利益をもたらすような、勝手なことをしないこと」

を望んでいるのです。


 しかし、多くの「上の立場」にいる人物は、

「部下に主体的であることを求めている」という言葉を聞いたことがある人が多いでしょう。

 ですがそれは表向きのメッセージでしかありません。


 裏を返せば、

「リーダーや上司が、あれこれ指示する前に動いて欲しい」
「いちいち許可を求めて、時間や自由を安易に奪わないで欲しい」

 という欲求が見えかくれしているのです。


 リーダーシップを取るということは、どうしても心理的負担かかる・膨大な時間が奪われる行為ですから、苦しさのあまり「もう少し自分でよく考えて欲しい」「もっと主体性を持って動いて欲しい」と発言することもあるでしょう。


 ですが、本当のところは、

「本当に『主体性』を持って、上の決定にいちいち反論してくる人」も大変困る存在なのです。

 今のように時代の流れが早い世の中では、ワンマン社長のトップダウン方式などで、とにかく迅速にモノゴトを決定し、行動・修正・改善・方向変換が求められています。


 そんなときに、時間を買っている・協力を募っている身からすると

「どうしてこれはこうするのか?」
「納得ができない!」

と反抗してくる生徒や部下はとても厄介です。


 ですので、正直なことを言ってしまうと

「なにごとも、主体性を持って取り組むべき!」というわけではなく。

「超能力者のように、上の立場の【考え】を読んで、『自動的』に動いて欲しい」
「でも、こっちが不利益になるような、勝手なことはされたら困る…」
「いいからもう、こっちの言う通りにキリキリ働いてくれ!」

 というのが彼ら彼女らの心のうちなのです。



 海外で有名大学に入学したり、企業面接をするとき、「リーダー経験」が求められるというのも同じ理由です。

「リーダー経験がない人」=「人をまとめる苦労を知らない人」=「勝手に行動される大変さをしらない」=「非協力な人」を入社・入学させたくないから、リーダー経験が求められています。


ですが困った事例として、このような社会の願望を「常識」と思い込み、

「マニュアルの場所さえ教えない」
「指示を全くしない」
「部下にいっさい無関心」
「契約などの事実確認を怠る」

 などをする現場のリーダーにあたったら、それは職務怠慢なキケンな職場です。

幹部や役員的な上司と、「指導者」的・現場のリーダーの仕事を完全に混同しています。


役員的・幹部的なリーダーは、仕事が円滑に進むよう「システム」や「マニュアル」を構築することを求められており、現場のリーダーは部下の教育の進み具合に応じて、ティーチングやコーチングを使って「直接指導する」が求められています。


 会社の規模が何人か? 指示系統がどのようになっているか? によっても異なりますが、

どのようなケースにおいても重要な取引先との契約など、事実確認を怠るのは「職務怠慢」と言わざるを得ません。


 このような事例のリーダーに当ってしまったら、さらに上の人物か人事部などに速やかに相談しましょう。

…ただ実際のところ・世の中は、みんな何でもかんでもリーダーに頼って、指示待ちで全く動かないといった人がほとんどを占めます。


そんなとき、あなたが積極的に仕事の「アイディア」を出したり、【ゴール】から逆算して、足りない部分をケア・フォローをすれば、当然上の人の反応も良くなります。

もし、あなたが上下関係で苦労している場合は、いろいろなアイディアを職場の仲間と語り合ったり、上司を積極的にフォローする姿勢をみせてみてください。


■もし自分が上の立場となったときは?


 本来、人間関係に「勝ち負け」や「上下関係」による命の優先順位などはあってはなりません。

 もし、スポーツや学校・会社の営業などで優秀な成績を納めたからといって、相手をバカにしたり、他人の命や時間を勝手にどうこうして良いわけではないのです。

 他人の時間・ちからを借りるには、必ず交渉をして、相手から「了承」「契約」を得る必要があります。


 …しかしながら多くの場合、コミュニティの運営・維持には、明確な「指揮系統」…上の立場の人物を任命し、その人の命令を聞く必要が生まれます

 これは、何百人・何千人の意見をまとめ、全員の合意を求めていたら、いつまでたっても行動できず、目標を達成できないためです。


この本を執筆している著者やお読みになっているあなたも、

いずれ親や上司となり、自然な流れで周囲をまとめ上げ、「目的」に向かって仲間を統率しなければならない場面が少なからずあると思います。


 そんなとき、いわゆる毒親的・ブラック上司のような否定・支配的・過干渉的コミュニケーションをするのは好ましくありません。


 具体的には、

「トラブルがあったとき、怒りや不安などのネガティブな感情をぶつけ、相手に自分の感情のケアをさせる行動をしない」
「相手の能力・健康状態・知識・経験に対して、高すぎる理想を要求しない」
「人前で恥をかかせるようなことをしない」
「相手を一方的に見限って、シフトを大幅に減らしたり・意味のない単純作業を繰り返えさせない」
「気に食わないからといって、一人だけ窓際部署に追いやらない」

ように注意しましょう。


 ダメなところを叱るときは、感情やしつこさを抑え、淡々と聞き返すなど、義務的に行うことが求められます。


 つねに、そのコミュニティの運営に、どんな「目的」があるのかハッキリさせ、

目標に対して、部下や子供にアプローチを促すとき、そのアプローチが適切な働きかけなのかを吟味する必要があるのです。


 以前はこのようなアプローチの吟味は、すべて各々の家長に任され、体罰などもあまり問題になりませんでした。

 今でも「ある程度は仕方ない」という人もいます。


 さらに、よく言われるのが

「今のテレビ業界で面白い番組が作れないのは、パワハラがなくなったから」
「クオリティが高いものを作るためには、社員の時間や自由をたくさん奪う必要があった」
「いいものを作るには仕方がなかった」

という説も聞きます。


 しかし、そんなことが許されるのは、「働いたら、働いたらぶんだけ報われるバブル経済」のときだけだけと考えられます。


 相手に大きなリターンがないのに、毎日怒鳴られ、人格まで否定され、さらに毎月100時間も残業が続いていたら「うつ病」や「過労死」になってしまうでしょう。


 実際、ストレス過多により、うつ病になったり・統合失調症を再発しやすい環境として、周囲の「高EE(感情的に訴えて相手を動かし、休ませない環境)」にいる人がとても多いのです。

「論語とそろばん」の「そろばん」だけでは、決してコミュニティの運営は成り立ちません。


 …今の時代、もしあなたの能力が認められ、様々なプロジェクトを任されたとしても、つねにピリピリとして、過干渉・支配的・コミュニティの維持に貢献しない人物は、どんなに能力値は高かろうと、【ブラック社員】に認定されてしまいます。

 ブラック社員とは、社内に競争を発生させ、場を混乱させる人物です。


 仕事ができるということを名目に、他者をいびり、周囲のモチベーションを下げ、「能力が高ければ何をしても良いのだ」という誤解を周囲に与えます。

 その結果、みんながいらぬ競争をはじめ(社内派閥の生成)、足を引っ張り合い、疑心暗鬼となり、緊張をさせてストレスを与えるばかりか、指示下にいる社員の能力を下げてしまい、結果的に社内の生産性を著しく奪うことも知られています。

 これはハーバード・ビジネススクールの研究報告にもとづくものです。


 そのため、世界的IT企業・グーグルやフェイスブック・ネットフリックス社では、このような「能力が高くとも、思いやりに欠け、場を混乱させる社員」を採用しない試みがされています。


 わたしたちが部下のモチベーションを上げ、快適なコミュニティを作るためには、ブラック社員的な人物を社内(にいれないことが大切です。

 私たちもブラック社員的行動をとらないように努めることが強く求められます。


 また、(同じコミュニティに所属していることを「前提」に問題解決に取り組むのならば、)相手の人格を責めてコントロールするのではなく、知恵を絞って「仕組み」で解決することが推奨されます。


 人は口頭で数回注意しても、なかなか行動を変えられるものではありません。


 ですから、例えば、職場のコミュニケーションを活発化・安定化させたいと考えているのでしたら、

『今日は目標に向かってどんな工夫をしたか? 店長同士のLINEグループで、毎日報告することを義務付ける』
などして、つねに「問題を意識させ」、改善を促す仕組み・ルーティンを作るなどが効果的です。

これは【りらくる】の創業者である竹之内社長が編み出したマネジメント方法です。


 他にも「Jooto」や「Minster Task」など、過干渉になりにくい、タスク報告用アプリ(ガンマチャート)を使用する手もあります。


 決して『人格否定』をして、相手の改善を促さないようにしましょう。

 他にも子育てやリーダーシップ・マネジメントについて書かれた名書はたくさんありますので、積極的にそのような本を読むことをオススメします。


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