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そして、楽しめる才能の無いわたしは何をしたいのか。

そんなこんなで、これからやりたくない仕事をやれと組織から突きつけられ、
どうしてもやれというなら組織を辞めると言い返していたわたし。







───── そして、その顛末は。

わたしが『B』というまったく想定外の業務を選択し、結局その業務を担当することが決まった。

聞いた限り、超面白くなさそうな業務だ。

何事も楽しめ、と言われても限界がある。
面白くないものは面白くない。


やれる仕事がないなら辞める、
と言っていた私に
『 どうにかBという仕事ならやれるかもしれない 』、と言わせて。


『 やれる仕事がないなら辞める 』というわたしの発言が実現することを阻止し、組織として人員が減るという最悪の事態を回避することで組織は満足し、

わたしは、『 辞める辞めるといっても来月から突然無一文になるのは正直困るというのはあるよね 』という不安だけを回避する形となったのだ。


今回の数日間で身の上が不安定になりながら、さらに重なった毎月の定期体調崩壊を経て、つくづく思った。


もう、嫌だ。

毎日、とは言わないが、できれば家にいたい。

自分の体調に正直に、労りながら過ごしたい。

自分のペースで暮らす生き方が欲しい。


体の不調を訴えるような働き方なんて、
心がひび割れ、楽しいことだらけの他の人達が羨ましいあまりに距離を置きたくなる生き方なんて、
本当に本当にうんざりしていることに気がついた。



最近の心の中の一番の口癖は、主に『 つまらないよな 』『 息苦しい 』の二つとなってしまった。


暮らしの中に面白いことが全くないのではないけれど、溜息をつきながら「 どうしてこんな人生になったのだろう 」と苦しい想いをどこか常に抱えながら生きている。

生活の基盤において、ポジティブよりネガティブ、やりたいことよりやりたくもないのにやっていることの時間の方が圧倒的に多いのだから、そうなるのも当然だ。

『 つまらないよな 』
『 息苦しいことに囲まれ、
やりたいこと全然できてないよな 』

その言葉の繰り返し。

ちなみに、何かで読んだことだけど、
『 どんなことでも楽しめる 』というのは、心がけではなく才能なんだそうだ。
だから、この才能がある人は楽しいと思えることが多いゆえに幸福度が高いという。

才能と言われたら、すとんと納得した。

今までの人生で、『 この状況があるだけでもいいことじゃないか 』と心がけてみたり、何かを『 楽しんでみよう 』と思ったことがないわけじゃない。
でも、結局のところそういうものは一時いっとき「 楽しいかもしれない 」と思っても、その気分は長くは続かない。

わたしにとって本当に楽しいことは、当然に自然に楽しくなることだけであって、レッツエンジョイでワクワクできるようなスイッチは自分には備わっていないのだ。

わたしはHSPだしこだわりも癖も強いし、楽しくないものは楽しくないし、逆に楽しいもの好きなものはとことんのめり込み突き詰めたい人間だ。
何でもかんでも薄っぺらく楽しいと思えないのも、才能だと言われたら仕方ない気がした。


しかし。
それ以上に、そもそも『 やりたいことができていない 』『 過ごしたい過ごし方ができる時間が皆無 』という状況が、わたしの幸福度を圧倒的に下げているのだ。
それは一重に、今の仕事・今の働き方をしているからに他ならない。


確かにお金は入ってくる。

お金があるから、
やりたいことができる部分もある。

ただ、お金のために、健康的な日常や健全な思考をすっかり害してしまっている。
その状況にもう疲弊しすぎてしまったのだ。


だから、本当にもう組織は辞めようと思った。

あと1年もしないうちに、くだらない論争の切り札として突然辞めると言うのではなく、わたしが組織を去る時期と理由を明確にして、辞めよう。

辞めるつもりでなら、あと数ヶ月、超おもしろくない『 B 』という仕事も我慢してひと踏ん張りできることだろう。



ところで、わたしと同じように今の仕事から追い出される人がいる。

彼も、わたし同様にどうしてもできないと自分で判断している仕事を突きつけられ、そして、わたしのように辞めるとは言えず、突きつけられた仕事は回避したものの別の仕事を言われた人だ。

言われた仕事を、彼はいったんは承諾した。

彼は、あと数年でいわゆる定年退職だ。

あと数年くらい、どうにか頑張れないものなのか、

と、そう誰もが思うだろう。

彼は、今回の件でもともと不調だったメンタルを悪化させてしまい、いかなる仕事すらも拒絶するようになってしまった。要するに、組織に来れなくなったのだ。

彼の上司も、わたしの上司と同じ人がいい人だ。

そのはずが、上司は、その来なくなる直前、彼に最後にこう告げたらしい。

『 次の仕事も、定年まで続けられるものではない。その後の仕事のことを考えて置いてほしい 』

今、目先のことで精いっぱいの人に、その先のことを考えろ、とは。

まして、あと数年。

逆に、定年までその仕事をその彼がしても誰も困らないのに。

さいわいにも、わたしは優しくしてもらっている方だ。

そんな手厳しいことは言われてはいない。

わたしの組織やめるがガチだったことも功を奏したのかもしれないが。



おかしな組織だ。

実は、ここには書けないおかしなことがもっともっとある。

端的に言えば、正直で真面目で仕事ができると馬鹿を見る組織。


こんなところに、ずっといてはわたしの歯車は犯されたままだ。


もう組織から手を引こう。

その後のわたしに何ができるかわからないけど、

とりあえず、今までお世話になった分の恩返しはするつもり真面目に働いて、
そしてわたしは、組織を去ろう。


楽しめる能力がないなら、本当に楽しいと思える時間を自分で増やすことしか、わたしの幸福度の上げる方法はないのだろうから。



いまの仕事をやめたら、
健康になるまでしばらく休んで。


それから、ベビーマッサージのインストラクターか、終活プランナーか、お花やさんか、
あるいはその全部を掛け持ちたいな。
それらの傍らで、
空の写真を毎日撮りながら、
書きたいことを書き続けて暮らすのだ。


───────── やってみたいこと、
あるじゃないか、

わたし。

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