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わたしをわたしとして融合できないわたしの2023年

新たな年が始まり、自分が今考えていることを書き留めておきます。
久しぶりに、思いつくままに文章をダラダラ書くので、もしも読んでくださった方、お見苦しいかもわかりませんがお付き合いくださったらウレシイです。
誤字脱字は後で直します!




『風の時代』
こんな言葉を目にしたことがありますか?

星占いやスピリチュアルの界隈ではよく語られますね。

簡単に言うのは難しいのですが、数字はうろ覚えですが200年くらい続いた『物の時代』が終焉を迎え、『精神の時代』が始まります。いや、もう始まっています。
この新たな時代が『風の時代』で、2023年以降は本格化するとのこと。

『物』とは、形や土台がしっかりとあること、固定化されていること。
『精神』『風』とは、その対極のように、形がなく、常に風が吹くようにたえまなく流れ、風向きが自由に変わるように次々と変化があること。

今までの固定観念はがらりと覆されて、新たな価値感の時代に突入したのです。

この区切りをどうとらえるかは人それぞれ。
占いもスピリチュアルも興味ない人にとっては、「時代なんて変わるもので、今は今なのだからそんなに特別なことじゃない」とそれほど気にとめない言葉や社会であるのかもしれません。

わたし自身は、風の時代に関する本を1年くらい前に読んだりして、確かに界隈で語られているように、人が創り出しているとはいえどこか人の力を超えたような世の中の急激な変化に、『風の時代』の始まりを実感、納得しています。

そして、先に書いたように2023年に本格化するこの『風の時代』を、多忙に泣きながら抗えずにただただやり過ごしたり漫然と過ごすのでは、どこかもったいないような気がしているのです。




では、2023年をどうしたいのか。

① 思いつくまま、感じるままに
 やりたいことをやる
② 定期的に真面目に何か書く、
 『何か』発信するアカウントを作る
③ 時間に余裕を作る

 

ちなみに。
昨年、こんな目標をたてました。


『……… 細かく目標をたてて、ほとんどやれてないし!』
『……… 結局同じことを簡単に言い換えてるだけだし!』
とセルフ突っ込みしかないのですが……

2022年は、生活全般において、言葉で表せないような嫌な空気・嫌な出来事がまとわりつき、悪循環から抜け出せず苦しみ続けていました。40年以上生きてきた中で、最も『辛い』とばかり感じていた時期だったように思います。
目標達成だの整えたりすることだの全く届かないまま、ただただ疲れていく一方。
かろうじて神社にすがりつきながら、どうにか過ごしてきました。

昨年と今年で確実に違うのは、今の仕事から退職してしまうつもりなので、さすがにもうちょっと時間に余裕ができるはずだということ。
だから、①と③は、自分がダラついて茫然と時間を無駄にしなければ叶うはずなんです。というか、時間ができるはずなんだから、しっかりと自分の意思を持って過ごさなさきゃね、という戒めのような意味を込めてこの文章を書いています。

今の年収を手放せば、金銭的な余裕はなくなりますけど……それでも得られる精神的な余裕の方が大きいはずだと感じています。

②は、今が真面目に書いていないわけじゃないのですが、やっぱり時間がない分書きたいように書けていないので、書くことにきちんと取り組んだり向き合き合ったりしようということ。
①にも通じるのですが、やっぱり自分にとって続けたいことは『書くこと』『文字を綴ること』なんですよね。
インフルエンサーになりたいわけじゃないんですけど、きっとわたしの書いたものがどこかの誰かに届く。今までも実際色々な形で届いたし、自分も知らない誰かの流した文字に気づきを得たり心の支えにしたことがあった。今までもそういうことが確かにあったのだから、この先も書くことを続けたいな、と。
誰しも、自分にしか書けないもの・創れないものがあって、それが広い広い世の中の誰かにそっと届き、受け取った人の心に動かす。そんな言葉を漂わせてこの先も生きてゆきたいな、それが自分のやりたいことの一つかなと思っているんです。




で、ようやく記事タイトルに絡んだ話になります。
やりたいこと→何か文字書いていたい、そこから転じて『何か』発信するアカウントを作る、となるわけですが……
このアカウントだって『何か』は発信しているし、既に他のSNSアカウントだっていくつか持っています。
フォロワーさんを増やすことに精を出すわけでもなく、言いたいことを言うアカウントをバラバラに持っている状態。
別々のSNSアカウントを相互に紐づけて、『自分のアカウント』として運用している方がほとんどなのかもしれません。

ただ、以前こんな記事を書いたのですが……


自分がHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)だからか、それは関係ないのか何とも言えませんが、『わたしのすべて』を表すアカウントを持つことやアカウントを紐づけてすべてを『わたしの発信』としておくのは、それはそれで居心地悪いんです。
上記の記事のパーソナリティは極端だしあくまで例示なのですが、こういうものすべてを網羅しているのが『わたし』だと人から認識されるのが面倒というか。
『わたし』が何者なのかは自分だけわかっていればよくて、聞いてほしい話を発信するアカウントは分けた方が、確実にその分野に興味がある人に届きやすい。たとえSNS上のみだとしても、シンプルにAの分野で知り合った人とはAの、Bの分野ならBの話を基本的にはしていたいし、その分野に特化、集中しやすい。
必要があれば他の分野の話も多少はするだろうし、した方がわかりやすいしラクな面もあるのでしょうけれど、あくまで必要があれば、というだけで。

だから、『何を発信するアカウントか』を自分の中で分けて使い分けたい。

特に、最近のSNSなんて、少しでも自分が発信したり反応したりするワードをAIが勝手に分析して滅茶苦茶に色々なものをオススメしてくる。
仮に一つのアカウントで色々なことを発信したら、逆に色々な分野の情報がごった煮となってタイムラインなりに現れてくる。それがまたストレスなのです。
「今、この分野の話をする気分じゃないし」という時に、強制的にその話を聞け!と言われているようで。

タイトルの『わたしをわたしとして融合できない』とは、わたしのそんな性質を表しています。
といっても、SNS上のことにすぎませんし、どの分野の知識や経験も脳内で作用しあって『わたし』という一人の人間が出来ているので、最終的には融合しているんですけど。

『そんな面倒くさいことを考えているなら、そもそもSNSなんてやらなくてもいいのでは?』と思われるかもしれません。

まあ確かにそれはそうです(笑)。

でも、今、多くの人がスマホをいじり、何らかのSNSアカウントを持つ時代になりつつあります。
自ら発信するかどうかは別としても、情報収集はTwitterをはじめとするSNSで行う、フォロワー数や閲覧・再生回数なんかで評価される、そんな時代が現代でしょう。
もう、そういう時代、そういう『風の時代』なんです。
この時代に『文字を発信して誰かに届けたい』と思っているなら、まずはSNSからやるのが手っ取り早い。
そして、SNSをやっているからこそ起こせる自分の風、乗ってどこかへ行ける自分だけの風がきっとある。
ここでいう『風』とは、『運気』に通じるもの。
どんな運気にするか、それは自分が快適で楽しめる自分のSNSの在り方なんじゃないかと。

そんなふうに感じている次第なんです。


今現在、ここは創作とエッセイ的なものを流しています。

でも、創作であれダラダラエッセイであれ、ここではなんか書きにくいんだよな…という話もたくさんあります。
今後、時間ができた分そういうものを書きたくなるでしょうから、きっとそれ専用のアカウントを作るんだろうな~と思っています。

自分でストレスや違和感のないSNSの使用。

それが、2023年の自分がやっていたいことですね。


あと、今だらだらと書いている小説は書き上げたい。

わたし、本来は飽きっぽいので、
一つのことを始めて最後まで完結させた、という事実を作りたい。

そうして、中途半端でやめてしまう自分に区切りをつけたい。




ここまでお付き合いくださった方、
本当にありがとうございました。
またのご縁があったらウレシイです。。。

        紫葉 梢





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