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愛は形にしないとだめですか?
わたしは「物」を持つことがとても苦手になった。
断捨離をすすめて持ち物を軽くすると、物にとらわれないことがどんなにラクかを実感できる。
人間、どんなに物を持ったところでしんだら全部はもってはゆけない。
あまりにも若いうちから物の量にこだわることもないだろうけれど、不要だと感じたものはすぐ処分する癖はついていた方がいいと思う。
自分の日常品以上に気を使っているのが、わかりやすくいえば「推しのグッズ」だ。
いわゆる推しに関するグッズもあまりも持つことはしない。
有名人のサインもやたら欲しいと思わない。
だって、繰り返しになるけれど、しんだらすべては持っては行けないのよ。
だから、自分のあの世行きの棺という名の舟に入れられる範疇におさめようと決めている。
そうしないままだと、どうなるか?
自分の亡き後、いつの日か、誰かの手によって処分されるのだ。
身内が物を整理してわたしが残した物に困るかもしれないし、業者が無残にゴミとして扱うのかもしれない。
わたしのソウルメイトに関するものは、わたしがコントロールして手に入れる、入れないが可能だから、まあ、いい。
困るのは、なんというか、興味があって応援に参加している団体に関するもの。
興味もあるし応援したいもの本当。
だけど、物・グッズは特に欲しいとは思わない。もともとグッズ収集癖もないし。
だから、こういうグッズ販売します!っていう公式の告知で、みんなこぞって「買いました」「注文しました」ってTwitterやら何やらで自己主張することについてゆけない。
ついてゆく義務はないはずなの、何も買わないと「どうして買わないんですか?」「どうして欲しくないんですか?」みたいな雰囲気になるのが、ちょっとしんどい。
誰かのサインも、正直つらい。
どうしても欲しいものや大切なものはある。
けれど、やたらサインを書かれると、将来の処分に困るので手元に置きたくはないのよ。
だって、その人が一応親切で書いてくれたものを、簡単に処分するなんて、なかなか出来なくて。
書いてくれた親切やサービス心をゴミ扱いするなんてとても出来なくて。
だから、サイン入りなになにグッズ!と出されると、余程のものでない限りわたしは手に入れようとしない。
応援対象者に会っても、握手はしてもらいたいけれどサインはいいやって思ってしまう。
でも「サインしましょうか?」と言われると、いらないです、とも言えずに結局いただいてしまう。
サインしましょうか?という人はそれなりにサインをするような立ち位置の人で、たいていの人がサインをもらえたら嬉しいはずでしょ?
だからサービスでサインしますよ?と言ってくれるわけで。
それを、あなたのことは応援しているけれどサインは要りません、将来の処分に困るので、なんて言って断れないでしょう?
先日も、あるイベントで名前をたずねられて何となく答えたら、デフォルトのサービスだったようでサインを書いてもらってしまった。
その方々のファンの方には殴られそうな話だけど、帰宅してどうしたものかと後悔した。
物じゃない時代になりつつあっても、
愛は結局のところ形あるもので計られてしまうのかなあ、という話でした。
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