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シカク運営振り返り記 第33回 Bの働かなさを悟る(たけしげみゆき)

中津商店街の店舗が手狭になったため、千鳥橋へと移転することを決めたシカク。その際「シカクが移転したあとの中津商店街の物件はどうしよう?」という話になった。
なんせ家賃が1万5千円とタダ同然なのだから、手放すのはもったいない。ここはここで何か別の形で活用し、利益を生み出すのがいいだろう。その方法をいろいろ考えた結果、シカク跡地は姉妹店のギャラリー「ハッカク」という新しい場所をオープンすることにした。

シカクとハッカク、2つの場所を運営する方法は以下のように決めた。

・シカクはこれまで通り週に5日営業し、本の販売や展示を行う。
・ハッカクは月に1本展示を行い、その期間中だけオープンする。
・ハッカクの展示期間中は、シカクの初代店長Bが中津に通い、店番をする。
・私は今まで通り、シカクの店番をする。

この連載ではおなじみの話だが、Bは精神疾患があったため仕事も家事もほとんどしておらず、そのうえモラハラで私を精神的に追い詰めたり私の行動を常に監視・コントロールしてくるので生活を共にするのが苦痛で仕方がなかった。
そんな状況において、月に2週間だけでもBがハッカクの店番をするという妙案は地獄に垂れてきた蜘蛛の糸のようだった。Bと物理的な距離を置くことができれば私は邪魔されずに仕事をすることができるし、モラハラを受けることも減る。Bも自分にしかできない仕事があることが張り合いになって、精神疾患が改善するかもしれない。昼に働けば夜は眠くなるだろうから、私の睡眠を邪魔してくることも減るだろう。そしてハッカクの展示がうまくいけば収入にもなる(正直収入はあってもなくてもよかったが、あるに越したことはない)。

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それが決まっていざ始まった、ニューシカクの改装工事。

このとき私は、Bが工事の主導権を握ってくれることを期待していた。
そもそも大工の田中さんはBの父親の友人だったから、田中さんとの連絡を取り合うのは自然とBの役目になっていた。それに中津商店街に移転と改装をした際は、田中さんの作業を手伝ったり、資材の買い出しやゴミ捨てのために車を出したり、人手が足りないときは親や友達に協力を求めたりと積極的に動いていた。なので今回もそれを期待するのは自然な流れだったと思う。
なんなら改装についてはBに全部任せて、私はその間も日々の仕事をこなしたり、自宅や店舗の引っ越し作業について考える、ぐらいのハッキリした役割分担を想像していた。

そしてその期待は私にとって一縷の望みでもあった。年月が経つにつれてどんどん仕事をやらなく(できなく)なっていったBだが、改装作業は体が大きく力もある彼のほうが、私よりも明らかに向いている。それに前回はあんなに張り切っていたんだから、今回もやる気を出してくれるんじゃないか……と。

しかし残念ながら、その期待はあっさりと裏切られた。

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千鳥橋のニューシカクを改装するにあたって、何はなくとも大量に放置されたゴミを処分しなければいけない。
大量のゴミは普段の収集では持っていってもらえないが、ゴミ処理場に直接持ち込めば「1kg●円」という形で処分してもらえる。中津商店街の改装の時は、解体で出た大量のゴミをそうやって処分した。
なので今回もそうしようと、Bは親戚のYさんに協力を仰いだ。Yさんは仕事の関係でゴミ処分に馴染みがあり、軽トラも持っていたからだ。

ところがいざYさんが来ると、以前のようにはいかないことがわかった。なぜかというと、今回のゴミにはガラス板やタイヤや農耕機など、家庭ゴミの範疇に収まらないものが大量に混ざっている。そのため家庭ゴミの処理場では受け付けてもらえず、産業廃棄物を引き取ってくれる業者に依頼する必要がある……ということだった。

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産業廃棄物の処分は、家庭ゴミの処分と比べるとかなり値段が高い。
お金を使わないことに全ての行動原理を集約させているBは、「そんなお金出されへん」「なんとかならへんか」とゴネた。しかしYさんにゴネたところで無理なものは無理。
どうしてもお金をかけたくないなら、品目ごとにゴミを処分してくれる業者を探す必要があるが、それだと時間がかかる。今回は改装期間も短く、1日でも早くゴミを処分して作業に取り掛からないといけないから、その出費は仕方がないとYさんは話した。

そこでBがどうしたかというと……なんと、何もしなかった。
彼はオタオタして「そんなお金ない」「どうしよう」とか言ってるだけの存在になった。金を出す決断もしなければ、ゴミ処分の業者を探し始めることもしなかった。
Bのボンクラぶりに驚いたYさんは、今度は私をこっそり呼び出し、
「Bはああ言ってるけど時間を節約するためにはお金をかける必要があるんやで」
と同じように話した。
そんなことは私にだってわかっている。わかっているが、モラハラ被害者で自分の着る服すら自由に買えなかった当時の私が「ならば金を出しましょう」なんて決められるはずもない。Bが白と言えば黒いものも白くなるし、そんな金はないと言うならば金は出せないのだ。

結局私はオタオタしてるだけのBに見切りをつけ、自分でゴミの種類を調べ、ネットで検索し、市の環境課に電話をかけ、業者に見積もりを出した。そして最も安い業者と連絡を取ってゴミを引き取りにきてもらったり、細かく分解して家庭ゴミに混ぜたりと、もっともお金のかからない処分方法を考案して地道に実行していった。ものすごく面倒で大変だった。
にも関わらず農耕機の引き取り業者に9000円払って「なんであんなにかかるん」とネチネチ文句を言われたときは、ヨイトマケですりつぶしてやりたくなった。

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ちなみにこれが農耕機です

また水回りの設備がほぼ死んでいたため、引っ越してくるにあたってトイレやシャワーを取り付け直す必要があったのだが、その工事業者探しや段取りも私がやった。シャワーや洗面台を置く部屋は田中さんに作ってもらう必要があったので、どこにどう部屋を作ってほしいかという図面も私が書いた。人手が必要な作業のとき、協力してくれる人を募集するのも私がやった。それらと並行して、リニューアルオープン後すぐに控えていたシカクとハッカク2つの展示の企画や冊子作りもやっていた。

Bがその間何をしていたかは、よくわからない。ペンキ塗りやガラス割りなど、人手が必要な作業を手伝いに来てくれた人たちと一緒にやっていたことは思い出せるのだが、それ以外は大して何もしていなかったような気がする。
たまに田中さんの助手めいたこともやっていたように見えた瞬間もあったが、のちに田中さんは「Bくんは仕事が雑だから何か頼んでも結局やり直さないといけなかった」と語っており、ほとんど役に立っていなかったことが判明した。

そうした日々が続くうちに私はようやく、
「ああ、この人には仕事を期待しても無駄なんだな」
と、遅すぎる悟りを開いたのだった。

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