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シカク運営振り返り記 第46回 途方にくれる(たけしげみゆき)

初代店長Bがいなくなり自分がシカクの代表になってから、自由になったことの嬉しさやBへの対抗心や「うまくやらないと」という焦りがないまぜになり、とにかく思いつくことを片っ端からやる……という日々を続けていたのは第44回に書いた通り。
そうして1年ほど経った2018年の秋、あるトラブルが起き、私の心はポッキリ折れた。

トラブルの詳細は伏せるが、原因は私の情報共有や連絡不足だったり、うっかりミスだったり、軽率な言動といった自分の行動の積み重ねだった。
スタッフのみんなが間に立ったり状況を整理してくれ、今後同じことが起きないようにこれまでと違う方法が導入されることになり、ひとまずトラブルは沈静化した。

でも、私の心は折れたままだった。
自分が新しいルールのもと、同じことを繰り返さないという自信がまったくなかったからだ。

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私はこのトラブルが起きた時に初めて、どうやら自分の仕事のやり方は一般的なものとズレていることに気付いた。
それまではほとんどの仕事を1人でやっており、スタッフはあくまで補佐的な役割だったため、ズレを認識できずにいた。だが自分が代表になって仕事の幅が広がり、いろいろな人と協力しながら進めていく案件が増えたことにより、ズレが顕著になってトラブルが起きたのだ。

そのズレのひとつひとつについて「こういう時はこうしたらよかったのだ」と説明されたら理解はできる。しかしそれを自分の脳にインストールし、様々な状況に応用していけるか、不安で仕方がなかった。
例えが難しいが、語学を勉強している時の感覚に近いかもしれない。「こう言いたい時はこの文法を使えばいい」という説明は理解できる。しかし例文が変わったり、いろいろな文法を組み合わせないといけなかったり、テストの残り時間が少なくなって焦ると応用がうまくいかなくて間違えてしまう、というような。

この社会ではどうやら私の知らない文法が当たり前に使われているらしい。だから同じ誤ちを繰り返さないためには、自分もその文法をマスターしなければいけない。
しかし語学も社会もそんなに簡単なものではない。基礎的な文法ルールだけでもかなりの種類があるし、略語やスラングだってある。いや、そもそも自分は文字の種類すらマスターできていないのかもしれない。
もちろん、うまくできるよう努力はする。しかしうまくできるだろうか。わからない。また失敗したらどうしよう。怖い。でも頑張るしかない。

悪いことは重なるもので、この時期飼っていた猫が病気になったり、仕事とは別の人間関係でもうまくいかないことがあり、私の精神は崖から滑り落ちるようにどん底に落ち込んだ。
とにかく自分のやることなすこと、間違っていないか、ちゃんとできているかが不安で仕方がない。手順が決められたルーチンワークならこなせるが、クリエイティブなことを考えたり作ったりすることができない。正解かどうかがわからないから、恐怖で頭が真っ白になってしまう。とはいえ仕事はやらないといけないから、必死に恐怖と戦い、毎日泣きながらパソコンに向かっていた。ミスすることなく1日が終わると安心できるが、次の日にはまた恐怖が襲ってくると思うと、朝目覚めるのが怖かった。
気晴らしに楽しいことをしようとしても、自分が迷惑をかけた人から責められているような気がして、こんな自分が楽しい気持ちになることが罪のように思えてくる。
しまいにはペンを落とすだけで「どうして自分はペンもまともに持てないんだ」と泣いたり、遊びの約束をしている友達から「明日どこ行く?」と聞かれて、どう提案すれば相手が楽しんでくれるかわからなくて泣いたりしていた。自分でもおかしいとわかってはいるが、心の奥底から噴水のように恐怖がせり上がってきて止められないのだ。

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そんな折、スタッフのみんなで今後についての話し合いの場が設けられた。
その際に、
「たけしげさんはシカクを今後どうしていきたいんですか?これまでみたいにノリでやっていける規模じゃなくなってるから、きちんとするところはしていかないとダメですよ」
というような話が出た。

この運営記を読んできた人ならわかると思うが、私はこれまで「シカクをどうしていきたいか」という大きな展望を持ったことはなくて、「こんなことしたら楽しそう」「これをもっとみんなに見てほしい」と思ったことを片っ端からノリでやってきただけの無計画人間だ。そもそもお店自体をノリで始めたものだから、「これからはノリだけじゃダメ」と言われて途方に暮れてしまった。
とはいえ実際、今は昔よりイベントやお客さんの数も増えて、みんなの助けがないと成り立たなくなっている。
助けてもらうからにはなるべくみんなが示す「いい形」に近づけるようにしたい。だけど、自分はその「いい形」にうまくなれるんだろうか。

「自分たちはたけしげさんがやりたいことをサポートするためにいるから、サポートしやすい環境を作るためにも、今までみたいに何でもノリでやるんじゃなくてちゃんと連携を心がけていきましょう」

そうも言ってもらい、私にはもったいないようなありがたい言葉だったが、一方でどうしてみんながそこまで私をサポートしようとしてくれるのかが正直なところわからなかった。お給料も充分じゃないし、将来超絶有名人になる見込みもない。
シカク自体への愛着というのはあるのだろうけど、それなら私がいなくなって残ったメンバーだけで運営していったほうが「ちゃんとした」いいお店になるように思える。
……だけどみんなの様子を見ていると、どうやらそういうことでもないようなのだ。


何もかもわからないことだらけで、真っ暗闇の中にいるような日々。
当時つけていた日記にはこう書かれていた。

「どこかの組織に馴染めない。
自分で仕事をやり始めたけど、それもうまくできない。
好きな人から選ばれることもない。
誰かを感動させられるようなものを創ったりもできない。

今はみんな、もう私がいてしまってるから
「いなくなったら困る」という風に言ってくれているけど、
いなくなったらいなくなったで、案外困らないなあと思うだろう。

誰にも必要とされない人は生きてる意味がない、とは思わない。
私よりもっと孤独だったり、もっと周りに馴染めなくても、人生を楽しんでる人はいくらでもいるし
人の存在意義は他人じゃなくて、本人が決めることだと思う。
ただ私は、生き続けることが辛く感じてきてしまっている。
どうしたらいいんだろうか。」

結局どうしたらいいかはわからず、このあともしばらく不安を抱えたまま暗闇の中を這って進むように日々を過ごした。
だがその日々の中でいろいろな偶然が重なり、私はやっと世の中と自分のズレの原因を見つけることができた。そしてそれによって自分自身の見え方がガラリと変わり、この時わからなかったこともいくらかはわかっていくのだった。

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【おしらせ】

★シカクの10周年を記念して、この連載が本(同人誌)になりました!
改めて本でじっくり読みたい人がいましたら、どうぞよろしくお願いいたします。2巻まででだいたい第25回くらいまでの内容が収録されています。

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