「13日金曜日 ボン最期の日」―『太陽にほえろ!』宮内淳氏への哀悼記事・2(2020.9.19再掲)
去る8月14日は俳優・宮内淳氏のご命日でした。謹んで哀悼の意を表し、ここに過去の記事を再掲させていただきます。
以下は、上記記事(2020.9.19)の再掲となります。
⇒このブログは前回からの続きです
☀ボンとスニーカー、その後は?
その後、ボン役の宮内淳さんは
『太陽にほえろ!』卒業後すぐに
同じ日テレ系で、中村雅俊さんの後を受け
『あさひが丘の大統領』の主役に抜擢されたことは、あまりに有名な話ですね。
一方、
山下真司さん――ボンの後を受け、あれだけ期待を一身に背負った新人刑事
=スニーカー ――だったのですが、
なんと、ここから太陽ー!に初のピンチがやってくるのです!!
1979年(S54)10月から、裏番組のTBSで、
かの有名な『3年B組金八先生』(第一シリーズ)の放送が開始されたのです。
さらには1981年に入ると、
これも裏番組のテレビ朝日の『ワールドプロレスリング』において、
「初代タイガーマスク」が登場し、
一種の社会現象にまでになるほどの人気ぶりだったのです。
この間、ボス=石原裕次郎氏の病気による長期離脱等も重なり、
太陽ー!的には一番苦しかた時期とされております。
☀陽はまた昇る、『太陽にほえろ!』復権
しかしながら、時代がどんなに流されようとも、
どんな動きをしようとも、
太陽ー!は再び昇り始めるのです。
スニーカーこと山下真司氏にかわって、
新人刑事=ラガーこと渡辺徹氏の登場から好転を始めます(1982年~)。
神田正輝氏、三田村邦彦氏、世良公則氏などの共演により、
いわゆる今風に言えば「イケメン俳優陣たち」によって、
第二の絶頂期と呼べるまでに視聴率は回復したのだそうです。
強敵の裏番組でも、くじけることなく生き残り、
後に巻き返して、復活をとげる所が
まさに「太陽!!」――「陽はまた昇る!!」
と言う事なのではないでしょうか?
さすがです!!
このように書くと、
なんだか、山下真司氏のスニーカーが悪いみたいに聞こえちゃいますが
決してそうではない、と私は思っています。
逆に、この裏番組が強すぎた!!
「金八先生」や「初代タイガーマスク」となれば、
さすがの太陽ー!でも、持って行かれて仕方ないよなあ~
と当時をリアルに知る私は、そう思うのでした。
太陽ー!では、なかなか脚光を浴びず、
苦しい立場のスニーカーでしたが
後に、山下真司氏は
TBS系青春ドラマ『スクールウォーズ』の先生役で、超ブレイクします!
そして、2020年の現在となっても
頻繁にバラエティー番組に出ては、その元気なコミカルな(?)姿をみせてくれます。
今現在、太陽ー!出身の俳優さんの中では、
一番テレビで元気な姿を見かけるのではないでしょか?!
☀ボン殉職回に出演のヒロインは?――いきの長いあの女優さんです!
せっかくですから余談をもう一つ。
太陽ー!は、もちろん様々な俳優さんが出演いたしました。
有名なところでは
例えば、第一話のゲスト出演は誰でしょう?
今をときめく、あの超有名な俳優さんなんですが……
答えは、水谷豊さんですね。
当然、太陽ー!自体が全718回、パート2を合わせれば730話もあるのだからホント、言い出したらきりがないのですが。
なかでも
ボンの殉職回にゲスト出演していた、ヒロイン役の女優さんは
きっと、誰しもがみたことのある女優さんではないでしょうか??
今も、昔も
みれば、「ああ、この女優さんかあ~」と
そう、根岸とし江(旧芸名)さんです。
現在は根岸季衣(ねぎしとしえ)と言う芸名です。
私なんかは、この根岸さんをみるたびに
ボンを思い出しちゃったりで……。
前述の山下真司さん同様、
ホント、いきの長い、味わいのある女優さんですよね。
☀お人好しの等身大ヒーロー
以上、余談になりました。話を元に戻します。
いずれにしましても、
太陽ー!の歴史を振り返って見れば見るほど、
このボンの時代~
・テキサスとボン(168=ボン登場~216話)
・ボンとスコッチ(217~244話)
・ボン単独(245~255話)
・ボンとロッキー(256~364話)
の時代は、非常に安定していた!
絶頂期の時代であったと言えるのです!!
なぜ、このボンの時期は、これほどまでに視聴率が安定していたのか?
なぜ、ボンはそれほど人気であったのか??
これは、人それぞれ、多様な意見があると思われます。
しかしながら、私自身は次のように考えております。
『ボン刑事=等身大のヒーロー』
すなわち
ボンは劇中、新人として配属され、
先輩テキサスの尻を追っかけるように、
ともに教育され、ともに成長していく。
時には、もちろん失敗もするし、ドジもやる。
それが、逆に人間味にあふれており
「ボンでも、こんな失敗やるんだあ~。俺と同じじゃん!」
などと、当時の若者の共感を得たことは想像に難くありません。
さらには、成長を遂げた後には
後輩のロッキーを迎え、今度は自分が先輩に。
自分がテキサスから教わったように、
今度は、ロッキーに手本を見せながら、
共に勉強し、一緒に成長していく。
その姿が、当時の若者たちの共感を得たのではないでしょうか?
まさに、お人好しの等身大のヒーロー。
これがボンであり、ある意味、演じた宮内氏そのものだったのかもしれません。
☀ありがとう、ボン! 天国で安らかに……
その後
ボンを演じた宮内淳さんは、
ネットで調べる限り
役者を早くに引退(?)されたようです。
役者を離れたあとは、
児童演劇や、俳優の卵の育成、ボランティア活動を中心にされていたようです。
そこら辺の情報となると、ほとんど詳しいことが出てきません。
これこそが、宮内淳さんのお人柄なのではないでしょうか?
多くの視聴者に、
たくさんの夢を与え、
その夢を壊さないように、
プライベートは公にせず、
自身は社会貢献のために尽力する。
まさに、心優しい、ボンそのもののお人柄なのではないでしょうか?
そんなボン刑事に出会えて、本当に私は幸せだったと
心から、そう思います!!
ボン刑事、宮内淳さん、
私たちに、夢を勇気を本当にありがとうございました!
以上、改めまして
宮内淳さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
鹿石八千代
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