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黙読に俯くと光が射す

 結局心なのだ。心が動くか動かないかでその文章のすべてが決まると言ってもいい。例えばだんだんと早まるキーのタップ音や、一人でにんまり微笑んで見つめている画面にふと映る自分とか。

そういったものの永続こそが、進行形で至福という素晴らしき快感なのである。つまらないなら書かないさ、楽しいから書く。

書けば書くほど楽しくなるから僕は、ひとつ、またひとつと作品を生んでいく。記事は作品だ。そしてそれはきっとみんな同じなのだ。

そしてそれをより助長させるのがビールなのだっ!
鹿田です、よろしくね!

こたつに半纏のダブルアタックで頭が茹だる。茹だった頭にまたビールが回転を加速させる。ゆらゆらゆらゆらとしてくる。それで、そっと夏の幻覚を見せてくれやしないかと企んでいる。ま、その前に眠ってしまうのが毎度だが。

今年も色んな本を読んだなあと考えていた。え、まだ早い?いや、さっさと冬なんて終わらせてしまおうよ。所詮、所詮冬なのだから!

Twitterを見返せば様々な記憶が蘇る。noteも本格的に始動して結果良かった。まだ使いこなすには至ってないがどんなnoteよりも楽しくしたいと意気込んでいる。自分自身が、だが。

あーたのしいあーたのしいっていいながら書き上げられるnoteってほんと最高なんだよ。書いている今も、書き終わったあとも尚己のバカ具合を確認し、(ああよかったよかった、今日もたのしくばかやってらーオレ♪)と思えるのが楽しい。楽しいのループだね!



意外と今、心に残っている本は『デフ・ヴォイス(著 丸山正樹)』だったりする。


知らない世界の深みにそっと触れられたとき、心地いい疼きがあった。いや、全く知らないわけではないのだけれど、少し仕事でその世界に触れたことはある。(鹿田の仕事は公言するつもりはないけれどね、ここは夏バカ鹿田の夏バカ帝国だから。…帝国っていう言葉、今『新人世の「資本論」』読んでるからなんか少し、拒否感あるけれど)

それで知った気になっていたが、実際は全く分かっていなかったから余計に心に残っているのかもしれない。ま、それでもまだ、指先が少し触れ、感触があった、位の話だが。

僕の滑舌の悪さは常々公言しているので知っている人は多いかもしれない。

その上子こどもの頃から自分の声自体があまり好きでなく、しゃべることを好まなかった。(この話だけで鹿田が陰キャ道のど真ん中を歩いていたことは公表されたに近いが。今もたいして変わらない。飲み会が好きな陰キャだ。)

それで中学生になった頃か、流行りの歌を手話で演じることが周囲で流行り、そこで初めて手話との邂逅を果たした。

ほう、これが手話というのか。まてよ、これさえマスターすれば、僕は言葉を話さなくても周囲とコミュニケーションがとれるではないか!

天啓である。

まあしかし中途半端な鹿田のことだ、結果はどうだったか語るに足らずだが、せっかくなので言ってしまうと

<ぼくは、手話の、勉強中、です>

という手話と、あ~さ行の指文字を覚えるに一時期を費やし、

その後挫折し鹿田はそうそうと手話と別れ、大人になった。


ちなみにデフ・ヴォイスを読んでみると、結局少年期の鹿田がやっていたことは手話の真似事に過ぎないということがわかる。手話には表情が欠かせないし、手話には日本手話と日本語対応手話があり、元来ろう者(あえて、ろう者と明記する根拠は、本に書いてあるのでぜひ読んでほしい)が使ってきたのは日本手話。そしてその2つは全く別のものであるのだ。

僕は専門家ではないので本から分かる内容しか敢えてここでは記さないが、それは結局、外国語におおよそ等しい。ろう者にはろう者の文化があるのだ、そのようなことが書かれていた気がする。再三だが気になった人は読んでみてほしい。

文化を尊重した上で、また数ある中の1つの文化と捉えた上で、僕が話したいことは、やっぱり手話は魅力的だなあという事なのである。

未だ滑舌に悩み、コンプレックスをいだき、可能なら話をせずコミュニケーションを取りたいという鹿田にとっては、少しうらやましいものなのである。だってさ、手話って、声は要らないのは勿論どれだけ騒音の中だろうが、どれだけ遠かろうが、見えていれば分かるんだよ。言葉にはないメリットだ。

鹿田は一時期英会話もできるようになりたいとNHKのテキストを定期購読し、ラジオと対面していた時期があった。しかし結局言葉は言葉、そこにも滑舌の壁はどっしり構えているのである。その時映画でやっていた実写版アラジンにハマった鹿田は結局、その1年をア・ホール・ニュー・ワールドの1番めの歌詞を暗記するに留まった。

戻って。やっぱり読書っていいなあと思う。大切、ではない、重要、ではない。いいなあである。そっと、触れることができる。それをどうするかは結局、考える個人の問題であって。

知らない文化を知り、そして確かに、少しだけど触れることができる。うまく行けば、何かに気づくことができる。

読書も滑舌関係ないしな

じゃね。

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