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鹿田、部屋に籠り、楽しいことを考える。

今日も心地の良い筋肉痛だ。フィットボクシングを始めて4日目を迎えた。(詳細は前の記事を読んでね↓)

自分なりに自粛生活を有意義にできている実感はあるのだが、何かと屋内となると活動の範囲は狭まる。もとよりそうなのだが、いざ半強制となると不自由とは身にしみてわかるものだ。その中でまだまだ自分自身の中に常識という偏見が刻み込まれていることも再確認する。なので、この小さな部屋の中から、世界中の人に楽しいことを伝える、また自身も一緒に行動できる術はないかと考える。大丈夫、時間ならたっぷりあるのだ。

ほら、無駄に太字とか挿入アドレス、これも日常の中では時の流れに追いつかず、面倒と使わなかった鹿田だが、使ってみると面白い。きっと見る人にとってもそれはアクセントとなるのだろう。書いている本人はただただ文をつづることに快感を覚えて書いているので平気なのだが、読み手からするとやはりわかりやすいアクセントがないと読むに堪えない文章になってしまう。本ならそれ一冊に集中する時間をあらかじめ考えて読むからね、かえって単純な文の方が想像を邪魔しないのだが、あまりあふれるネット上の文の波を乗り越えるには、読み手にも書き手にもある程度の工夫がいる。

僕は読むことも好きだからたまに好きなワードで検索しては読み漁るが(もちろん”ハッシュタグ夏”)なんせ膨大な文章が溢れるわけで、それをどう攻略するかとなれば一つはタイトル、もう一つは本でいう所のジャケ買い、トップ画像ということになる。また本とは違うのはどうしても横書きなので斜め読みになりやすい。その時ポイントポイントに太字があるとなんと理解しやすいこと。その実体験を通じて今、現在進行形でアウトプットしている訳だ。すごいだろ。

鹿田です、よろしくね。

話を戻す。それら基礎的なnote独自の手法を取り入れつつ、矛盾するがそれをいかに壊してオリジナリティ高く、楽しいnoteを作ることができるか。理屈は難しくなく、これは鹿田は如何にしてnoteを今まで以上に楽しく遊ぶか。と置き換えることができる。それは夏の楽しさを不思議さを奥深さを、いかにしてみんなに共感していただき、それをそうだねああだねとお互い感じながら夏に向かうか、という話になる。

今窓を開けたカーテン越しの田んぼで蛙が鳴いている。そう、もう鳴いているのだ。静か切ない夜は終わる。だから好きだ。蛙は僕が眠りにつくまで泣き続けてはくれやしないが、僕の心の中で鳴き続ける。そうか、もうその季節なんだな、安心して眠ることができる。

また、籠る熱気もある。確かにある。カーテン一枚捲れば外なのに、たまにカーテンを手でずらして外気を取り入れたくなる程度に、熱気がある。車も走っている。片田舎の小さな町だ。以前はとある有名な温泉が近所にあるので風呂上りにそこら辺を散歩するお客さんの下駄の音が鳴り響いたが、コロナ以前のとうの昔に寂れた温泉街には、最後の飲み屋がつぶれたと同時に、旅行客はほとんど街に出なくなった。中で用が済んでしまうのだ、飲み屋もあればラーメン屋もある。

そんなことを考えながら、ぼーっと網戸越しの外を見る。確かに人気はない。家々の街頭さえついているが、ところどころの部屋の明かりさえあるが。車の滑走音が消えれば、そこは蛙の町となる。そこでぼくがげこっといったところで、むなしい風が吹くだけなのだ。

ビールを飲む。

あ、僕は何もこの話を湿気た面で話している訳じゃない。薄情者と思われても仕方ないが、僕はそれでも静かになったこの町は嫌いではないのだ。夜眠りにつくとき、自然の音に包まれる贅沢な夏の季節を感じられることは何物にも代えがたい。昼間とて夏のミンミンゼミを打ち消すような騒音もなければ、朝夕の日暮らしの鳴き声はどこまでもどこまでも響く。

もうすぐその季節がやってくる。そう思うたび、体感するたび僕は最高な気分になるのさ。しかし貪欲鹿田はそれだけにとどまりたくない。もっともっと夏を体感したいし分かち合いたい。なにかいい手はないかな。かってににやけてしまう顔を両手で顎から支えては、素敵な妄想旅行へと旅立つ。


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