見出し画像

個人的なぷろふぃーるは私事でパーソナル

「私事ですが結婚しました。」「個人的には何回も不倫することは仕方ないと思う。」なんて文章をインスタやTwitterで見かけることがある。その人たちはいつから投稿が「私事」ではなくなっていたのだろう。 

「腹減った、早く帰りたい」も私事だし、「多部未華子かわいい」も私事。全て自分の考え意見が含まれているんだから私事なこの上ない。匿名が普及しているおかげで自分の発言だと考えていないことが多い気がする。

ちなみにこれは「自分の言動には責任を持とう!」などという読んでいて意義ある文章ではない。 

「夏のボーナス減っていた。」「新卒の教育が大変」「彼氏との同棲で喧嘩していて気まずい」こんな私の周りにいる人が、私にも含まれていそう、尚且つ経験する可能性があった、近い未来でありそう、興味がある事に関する発言を見かけた時、「もしかしたら私も同じ状況にいるはずなのに、その場面にいない私は、明らかに彼らの他人なのだな」と感じる。

結局他人の私事は私の他人事に過ぎない。 

「寿司がうまい」「今日の電車は明らかに混んでいる」「太ももが筋肉痛だ」。誰でもが感じる他人の私事に、今後一切共感が持てなくなったら、人間界から1歩離れている、人の感性を失ってしまった妖怪のような存在にでもなってしまうのだろうか。 

そんな私のとても個人的な私事。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?