正解を自分の正解にできる人が未来を切り拓く人
さぁ、今日はどんな価値を創ろうか。
こんにちは、大鹿です。
noteを開いてくださってありがとうございます。
本日のテーマ:正解がないことが正解
私はマーケティングの仕事もしています。最近、知人にこんなことを聞かれました。
「Instagramはプロフィールが大事なんだよね?」
これ、字面だけ見たら「そんなの当たり前だろう」と思いますよね。でも本人は至って真面目。真顔で聞いてきました。
私は思わずキョトンとしてしまいました。えっっっと、あ…はい。
ただつっけんどんに正論を述べるのも悪いので、「なんでそう思うんですか?」と聞き返すと、
「インスタはプロフがキモってよく聞くから」
ええとですね。看板もない。飲食店なのか服屋さんなのかもよく分からないお店に、入ろうと思いますか?
「というわけで、そんなの当たり前です」
「そうなんだ…」
こういうやり取りはホンッットーに頻繁にあります。ちなみにSNSに関連することで一番よく聞かれるのは次の質問。知人からも上の質問に続けて聞かれました。
「週に何回投稿したらいいのかな?」
これも正論を返すのは簡単です。
しかし、いきなり相手を否定するのも悪いのでやはり「なんでそう思うんですか?」と聞くと、決まって返ってくる答えが
「週2回がいいってよく聞くから」
ええとですね。週に2回しか目につかない人と毎日目に留まる人、どっちが記憶に残りますか?
「毎日…かな?」
「そういうことです」
同じようなことをあといくつか聞かれたと思います。そのたびに私、デジャブを感じながら意図を問い続けました。そして最後にこう言いました。
「(あなたの)SNS活用に一番必要なのは、他人のポジショントークに惑わされないことです」
たとえば「SNSはプロフが大事」と主張する人は、“プロフが大事論”を述べ続けることで自分のポジション(存在感)を取ろうとしているわけです。
それを目にする人は「プロフが大事」「プロフが大事」という情報がしつこく脳内に刷り込まれるものだから、だんだん不安になる。
あげく、論者たちが徒党を組んで洪水のごとく情報を流すから
「自分のプロフは大丈夫だろうか?」と恐怖にかられる。冷静な判断がつかなくなる。
客観的にSNSの仕組みを勉強すれば、プロフィールが大事だということは分かるはずなんです。
投稿を目にして、気になった人の素性をチェックして、興味が湧けば他の投稿も見てみようと思う。逆もまた然り。これがSNSの基本構造。
でも短期的に正解を求めてしまうから、そんな「当たり前のこと」がくぐもって見えなくってしまうわけです。
特に私のように起業をすると明快な正解などありません。私の収入がきっかり90日後に10倍になる方法があったとして、それを誰が教えてくれるわけでもない。
手伝いをすることはできると思います。しかし誰も約束はしてくれません。責任を取れないから。
何より、正解は人それぞれにあるから。
知人くらいの関係性だと「そっかー、そうだよね」と目が覚めたように気づいてくれます。
中には「だって~、インスタで有名な○○っていう人が『週2回がベスト』って言っていたから~」としつこく食い下がってくる人もいます。
(じゃあなんでオレにアドバイスを求めるんだろう?)という気持ちをグッとこらえて、
「その○○さんを真似てやってみるといいと思いますよ。真似ることも正解に近づくための大切な考え方ですから」
こう言うと「どうやって真似ればいいんですか?」と繰り返し聞かれます。あれ? 私は今
、禅問答の最中にいるのか?
まるで正解というやさしい顔をした悪魔に取り憑かれているかのよう。
いや、分かるんですよ。正解を求めようとする気持ち。私も未知のことに対しては恐怖や不安を感じて正解に手を伸ばそうとしてしまいます。
けれど、、
子どもの頃、水泳の授業で先生から平泳ぎのフォームをジェスチャーで説明されても、まず泳げなかったと思うんです。
数学の公式を習っても、応用問題の正解率が100%だったか? というとそうではなかった。
正解が「ある」ことと「自分の正解にできる」ことは違います。キッパリ言える。誰もが体感的に分かっていたことのはずです。
それが大人になって仕事を始めると、なまじ答えを教えてくれる上司や先輩がいるから(自分の評価や効率のためにね)いつの間にか正解が「ある」ことが当たり前になってしまう。
誰かにとっての正解はそこにはあるかもしれません。
でもそれが自分にとっての正解かどうかは、自分の目で確かめないと分からないもの。
初めからこう考えるといいと思います。
「正解がないことが正解だ」と。この方が気がラク。
今日はこの辺で筆を止めておきます。
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