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転機でした。「そうだ 大阪、行こう」

人生には良い転機と悪い転機があると思います。

悪い転機は自分が気づかないうちに仕込みが続いている(経験上…)。対して良い転機というのは、だいたいが「起こる」ものではなく「起こす」ものではないかな、と(これも経験上)。

たとえ良いように時計の針が進んでいたとしても、決めるのは自分だということです。ちなみに今日は「悪い転機」の話はしません(苦笑)。

うんと若い頃、フリーターをしていたことがあります。CDショップで、たぶん2年近くはなんの目的もなく。

そこで「音楽の魅力を伝える仕事がしたい」と一念発起し、雑誌の記者になるべく、当時大阪にあった専門学校へ。どういうきっかけだったか忘れたけど、『雑誌編集』というものを学べる学校があることを知ったのです。

大阪での暮らしぶりは、間違いなく底辺でした。

何の気なしに続けていたバイト代が大半の学費に代わり、生活費は親を通して親戚中に借りて回ってもらう。そういうわけなので大阪でも毎日バイトをし、月2万円の、日当たりゼロの学生マンションでの暮らしです。

食堂で皿洗いをし、調理師でもないのになぜか玉子焼きだけ焼かされる(笑)。大阪の人は玉子焼きが好きだから、めっちゃシビアでした。「ちゃんと焼けてへん!」と。

そして深夜に帰ってから、課題をこなす毎日。夏は暑く、冬は寒い。湿気でジメジメ。

生活には一切の余裕がなかったけれど…あれほど楽しかった時期は、振り返ってもそうそうありません。田舎から都会に出て、見るものがすべて新鮮。通っていた学校は心斎橋のど真ん中、アップルストアが入っているビルの上にあって。

お金はないのに、相変わらずCDを買い、ライブに行き、個人でショップやDJをされている方と知り合ってよくしてもらったり。あまりに広い世界に怖気付くことも多かったですが、都会のきらめきの中に飛び込んで良かったと今でも思います。

ずっと田舎にいて、あのCDショップで働き続ける未来もあったのでしょう。

しかし人生とは面白いもので、あのとき、大阪に打って出る(笑)という選択をしなければ、間違いなくどのような未来を歩もうと、今の自分はなかったはずです。

未来というものは、よく樹形図のようなもので表されますよね。無限に分岐する未来の1つを選び取った感覚が、確かにあります。

よく分からない無謀な自信があったためか、ちゃんと編集の仕事に就くことはできました。入社した会社も間違いなく良い転機、良い選択だったわけですが、すべての始まりは「そうだ 大阪、行こう」だったのですね。

いま、また何度目かの転機で開業というステージを迎えました。どういう方向に転ぶのかはまだ分かりませんが、これも偶然やってきたのではなく、自分で決めたことです。

無謀にいろいろな場所へ飛び込んでいった大阪での暮らしをふと思い返し、今また、ゼロから自分の居場所を作るタイミングであることが当時と重なります。

違いは、当時は地元・香川を出て行き、今はまた香川にいるということ。これもまた分岐する人生というものの、面白いところです。

人間いろんな転機というものがありますが、自分自身で「決めた」転機は、間違いなくその後の「決め手」になっていませんか?

流されずに決めるということの価値は、後々になって分かるものなのかもしれません。

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