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ネットにおける人間らしさとは。
SNSを開けば、なんらかの課題の解決方法、たとえば
フォロワーの増やし方
YouTubeの再生回数の伸ばし方
転職で確実にキャリアアップする方法
などなどの情報があふれていますが…もはやネット上は情報量が多すぎて疲れることはありませんか?
どれも似たり寄ったりで「なんかスゴそう」だけど、結局何がいいのか分からず食指が動かない。
ふとそんなとき。誰かのクスッと笑えるひと言や、ごくパーソナルなこと、どこそこのご飯が美味しかった、のような情報の方が、自分を満たしてくれることがあります。
友達とLINEをしたり、飲食店で店主さんと会話をしているような、他愛のない時間に感じるそれ。とりとめもないけれど確実に心の栄養になっている。
とあるラジオで聴いたのですが、疲れる・疲れないの境界線は「成果を求めるかどうか」だという話がありました。
成果が求められることにはコストがかかるし、成果が出なくても労力や時間、モチベーションを支払っています。課題を解決すべく動くことは、エネルギーの交換であるわけです。
(断っておきますが、コストをかけて行動することも大切です)
だから成果でありコストを求める情報ばかりが目に飛び込んでくると、疲れる。SNS疲れ・情報疲れという現象の一端はこれにあると思う。
あれやれ、これやれ。あれがいい、これがいい…こんな主張ばかりだと本当に疲れます。
成果を求めない気楽な情報には価値がないのか? というと、まったくそんなことはないですよね。
むしろクスッと笑えたり、「この人の考え方は面白いな」と感じられる情報に触れたときの方が、発信者のことを好きになります。
信念を持って活動している人の想いなどもそう。コストを感じることはないけれど、心は動かされます。
誰もが一方的な“ありがたいお言葉”だけを好んでいるわけじゃない。
情報はコミュニケーションの媒介です。先生と生徒、教える人と教えられる人といった、上下関係やルールを強いるだけのコンテンツにはギスギスとしたストレスが伴います。
情報発信にダラダラと時間を使うくらいであればビジネスならビジネス、趣味なら趣味と目的があった方が当然いいです。が、誰かに向けて発信をするなら、相手に強いるコストを考えてあげることが親切の証。
なぜなら対人間なのだから。リアルなら感情の機敏を察して声をかけるはずなのに、ネットだと途端に気遣いがなくなってしまう。
今発信しようとしているのは、なんらかの成果を求めてのものなのか。コストを伴う情報なのか。気楽なコミュニケーションなのか。バランスよく扱うことがネットにおける人間らしさなのではないでしょうか。
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