なまえが長いけど大事なデザインの歴史 「インターナショナル・タイポグラフィック・スタイル」
ビジネスに使えるデザインの話
ビジネスにデザインの知識はけっこう使えます。苦手な人も多いから1つ知るだけでもその分アドバンテージになることもあります。noteは毎日午前7時に更新しています。
インターナショナル・タイポグラフィック・スタイル
インターナショナル・タイポグラフィック・スタイル(International Typographic Style)は、1920年代にロシア、オランダ、ドイツで生まれ、1950年代にスイスのデザイナーによって発展したグラフィックデザインのスタイルです。スイススタイル(Swiss Style)とも呼ばれています。また日本では、国際タイポグラフィー様式と翻訳されています。モダニズム運動の一環としてグラフィックデザインに大きな影響を与え、その影響は建築、美術などまで及びました。
非対称のレイアウト、グリッドの使用、Akzidenz Grotesk(アクチデンツ・グロテスク)などのサンセリフ書体、左揃え右ラグ組み(Flush left and ragged right:段落の左側の文字を揃え、右側は自然のままに不揃いにしておく)な組版などがその特徴です。また、イラストやドローイングの代わりに写真が好まれるのもこのスタイルの特徴。初期のインターナショナル・タイポグラフィック・スタイルの作品の多くは、タイポグラフィを主要なデザイン要素としていました。そのため、この様式を「タイポグラフィック・スタイル」と名付けられています。このスタイルは、歴史のなかで終わることなく、現在のデザインにも引き継がれ続けています。
モダニズム運動
モダニズムは、19世紀後半から20世紀初頭にかけての西洋社会の大きな変革から生まれた哲学的・芸術的運動です。この運動は、都市化、(戦争による)新技術とそれにともなって発生した産業、また戦争からの直接的な感情的影響などを反映したムーブメント(運動)です。モダニズム運動によって、芸術家、デザイナー、建築家たちは、コンベンショナルな芸術形式から脱却しようとしました。1934年に詩人エズラ・パウンド(Ezra Pound)による「Make it New(新しくする)」という言葉がモダニズム運動をクリアに象徴しています。
Akzidenz Grotesk(アクチデンツ・グロテスク)という書体
1898年にドイツ、ベルリンのBerthold鋳造所がリリース。1950年代後半からG.G.ランゲ(Lange)によってさらに拡張され、均質化されました。「グロテスク」は、当時のサンセリフ書体の標準名称であった。
インターナショナル・タイポグラフィック・スタイルの歴史
インターナショナル・タイポグラフィック・スタイルは、モダニズム運動の流れに沿い、それまでの伝統的書体の背景の意味に影響されない、客観的な情報伝達を目指した様式です。前述のアクチデンツ・グロテスクという書体が1896年にリリースされ、この書体が、メッセージを明瞭かつ普遍的な方法で伝えようとするモデルとなりました。
インターナショナル・タイポグラフィック・スタイルの初期、スイスのデザインスクール2校が重要な役割を担っていました。バーゼル造形大学(Schule für Gestaltung Basel)とチューリッヒ芸術大学です。バーゼル造形大学では、グリッドをベースにしたグラフィックデザイン技法が広められました。一方でチューリッヒ芸術大学では、エルンスト・ケラー(Ernst Keller)が教授となり、グラフィックデザインならびにタイポグラフィ科を立ち上げました。そこでケラー氏は、問題自体から生まれるデザインと概念を広めました。それまで芸術は、 「美のための美」を目指した活動でしたが、それに対して、デザインは問題を解決するものとして提示していきました。
アクツデンツ・グロテスクという書体のあとには、スイスの書体デザイナー、アドリアン・フルティガー(Adrian Frutiger)によるUnivers(ユニバース)(1957年)という書体やマックス・ミーディンガー(Max Miedinger)とその共同制作者エドゥアルド・ホフマン(Edouard Hoffman)よるHelvetica(ヘルベチカ)(1957年)という書体が、このインターナショナル・タイポグラフィック・スタイルが目指す普遍性をより発展させたものとして世に広まっていきました。
Univers
Helvetica
Neue Grafikという刊行物
1958年に創刊された季刊のグラフィックデザイン誌『Neue Grafik』(New Graphic Designという意味)。インターナショナル・タイポグラフィック・スタイルの理念を発信し、そのムーブメントを生み出す媒体となりました。1958年から1965年まで18号が刊行されました。この雑誌の編集者のひとりが、スイスのヨーゼフ・ミュラー=ブロックマン(Josef Müller-Brockmann)氏(1914–1996)。ちなみの二人目の妻は、日本人の抽象画家、吉川静子氏。(最初の妻は事故死しています。)
ブロックマン氏は、以下のように述べ、インターナショナル・タイポグラフィック・スタイルの概念を明確にしています。
数ヶ国語を表記する必要があるスイスという環境がタイポグラフィーを発展させ、さらに第二次世界大戦後になると国際貿易が盛んになり、世界全体においてタイポグラフィが重要なものになっていきました。
アメリカ合衆国のデザイナーで初めてスイススタイルを取り入れたのは、ルドルフ・デ・ハラク(Rudolph de Harak)。インターナショナル・タイポグラフィック・スタイルがが与えた影響は、ハラク氏の1960年代にマグロウヒル(McGraw-Hill )出版社のためデザインした多くの書籍の表紙に見て取れます。表紙には、書名と著者を示し、しばしば左寄せ、右寄せのグリッドでレイアウトされています。インターナショナル・タイポグラフィック・スタイルは、1960年代から1980年にかけた約20年にわたり、アメリカの企業や団体で採用されました。特にこのスタイルに傾倒した機関のひとつがMITでした。
関連する芸術運動
デ・ステイル(De Stijl)
デ・ステイルは、1917年から1931年にかけて興ったオランダの芸術運動です。ピート・モンドリアン氏による白黒と原色のみを用いた垂直・水平のレイアウトで、形と色の本質への還元による純粋な抽象化が、作品『コンポジション』シリーズにあらわれています。デ・ステイルには、ピート・モンドリアン、ヴィルモシュ・フスザール、バート・ファン・デル・レックなどの画家やヘリット・リートフェルト、ロバート・ファン・ト・ホフ、J・J・P・ウードなどが関わりました。デ・ステイルで求められた抽象化は普遍性を求める動機の1手段でした。モンドリアン氏は、キュビスムからの影響を昇華し、目に見えるものの本質を具現化するために水平と垂直、原色、濃淡という3要素への集約を試みました。
バウハウス
バウハウスは、ドイツを中心に、幾何学の純粋性、装飾の排除、「形態は機能に従う」をモットーにした運動であり、学校です(関連記事あり)。工芸と美術を融合させようとした試みであり、ヴァルター・グロピウス氏によって学校は設立されました。「形態は機能に従う」という概念も普遍性を追求したインターナショナル・タイポグラフィック・スタイルからの流れを組んだものです。
構成主義
構成主義(Constructivism )は、1920年代にロシアで生まれた芸術・建築の思想です。機械的なものを組み合わせて抽象的な可動構造体を作り、それを発展させたスタイル。幾何学的な縮小、フォトモンタージュ、簡略化されたパレットなどが特徴的です。
シュプレマティズム
1913年に誕生したシュプレマティズム(Suprematism)も、同様に幾何学的形態の単純化と純化に焦点を当て、精神性の価値を語るロシアの芸術運動です。
これらの運動とインターナショナル・タイポグラフィック・スタイルは、幾何学と色彩に基づく階層を通してメッセージを伝える視覚的に説得力のある戦略として定義されるようなものでした。
関連人物
マックス・ビル
マックス・ビル(1908–1994年)は、スイスの建築家、アーティスト、画家、書体デザイナー、工業デザイナー、グラフィックデザイナー。
アドリアン・フルティガー
アルミン・ホフマン
アルミン・ホフマン(Armin Hofmann)(1920–2020)は、スイスのグラフィックデザイナー。
リヒャルト・パウル・ローゼ
リヒャルト・パウル・ローゼ(Richard Paul Lohse、1902–1988)は、スイスの画家、グラフィックアーティスト、具体美術・構成美術運動の代表的な人物。
ヨーゼフ・ミュラー=ブロックマン
ヨーゼフ・ミュラー=ブロックマン(Josef Müller-Brockmann)は、スイスのグラフィックデザイナー、作家、教育者。
ポール・ランド
ポール・ランド(Paul Rand、1914–1996年)は、アメリカのアートディレクター、グラフィックデザイナー。IBM、UPS、エンロン、モーニングスター社、ウェスティングハウス、ABC、ネクストなどの企業ロゴデザインでよく知られています。
エミール・ルーダー
エミール・ルーダー(Emil Ruder、1914–1970年)は、スイスのタイポグラファー、グラフィックデザイナーであり、アルミン・ホフマンとともにバーゼル造形大学の教員に。
ヤン・チヒョルト
ヤン・チヒョルト(Jan Tschichold、1902–1974年)は、ドイツのタイポグラファー、ブックデザイナー、教師、作家。タイポグラフィー・モダニズムの原理を開発・推進し、その後、保守的なタイポグラフィーの構造を理想化した人物。第二次世界大戦後の10年間、ペンギン・ブックスのビジュアル・アイデンティティを担当し、企業のアイデンティティ・プログラムを企画するという、急成長中のデザイン手法のモデルとなりました。また、Sabonという書体もデザインしています。
まとめ
芸術のムーブメントであったキュビスムやダダイスム、抽象画が20世紀になって生まれ、成長し始めたグラフィックデザインと密接な関係がありました。その接点が、ほとんどこのインターナショナル・タイポグラフィック・スタイルと言っても過言ではありません。既存の芸術様式への拒絶、普遍性を追求した結果の幾何学化、人間味の減少、工業化、国際化が、インターナショナル・タイポグラフィック・スタイルを形成する諸要素です。そして、このスタイルが産み落としていたいったものの恩恵を現代に生きるわたしたちは、グラフィックデザイナーのみならず、強く受けています。帝国ホテル東京の設計に関わったフランク・ロイド・ライトもモダニズム運動を通して、スイスで発展したこの様式とつながっています。わたしたちがよく目にするヘルベチカやフツラという書体もまたこの様式に関係した書体です。
そんなわけなので、グラフィックデザイナーは、このながーいなまえの様式、インターナショナル・タイポグラフィック・スタイルについてはある程度の知識を持っておいたほうが良いでしょう。何故良いか……。お世話になっているから。
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参照
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