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猫♂(約8歳) 本名は「しいたけお」 鴉に襲われていたところを救われて以来、小さな部屋…

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猫♂(約8歳) 本名は「しいたけお」 鴉に襲われていたところを救われて以来、小さな部屋で人間と暮らす。 ※救われた当初♀猫と思われて「しいたけ子」と名付けられたが後に♂とわかり改名。 一匹と一人のゆるゆる暮らし継続中。 同居人↓ し〜さんと呼ばれてるアラフィフ

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向き合う

PEと聞いてピンとくる人はいるだろうか。 震災以降の数ヶ月に身に降り掛かった事に向き合う事は大切な事だった。 自分は今の業界に2001年から携わってきた。 その中で様々な資格を得た。 学歴は高卒(しかも農業高校、だって実家は農家だもん)だから働きながら通信大学を経験した。 臨床心理士や付随する心理系資格。 実務経験経ての社会福祉士とCMなど。 MSWをしながら様々な経験をして介護事業運営会社へ転職。そこから様々な紆余曲折経て今がある。 2011年3月11日。 偶

    • 12年を経て/20230310-0311

      12年前の今日もちょうどこの時間くらいから仕事で宮城県へ。 あれ以来色々あって、この時期を外して東北関連の仕事やイベントは行ってました。先日、当時大変お世話になった方が亡くなられた事もありお墓参りを兼ねて某式典に参加となりました。 2011年は個人的に震災を機に色々あった年で未だに抱えてる病あれこれ。 正直、まだちょっと震えてる。 思い出せば涙と吐き気。 ふとした瞬間に襲ってくるフラッシュバックは震災からたまたま逃れた恐怖と、数日後に仕事としてボランティアとして訪れた気仙

      • COCKROACH「回帰」

        2005.09.03 静かなる虫達の別れ 「褐色の流星群9.3」 あれから17年を経た 2022.05.07 静かなる虫達の調べ 「回帰」 この日、水戸ライトハウスにCOCKROACHは帰還した。 生まれ変わった新しいCOCKROACH。 2005年のお別れの夜から、復活を切に願うという事は無かった様に思う。 『COCKROACHは終わったのだ』 そう言い聞かせていた。 解散中も毎日のように聴いていたし大好きだけど、終演後の晴れやかな笑顔。 やりきったメンバーさ

        • MOROHA武道館「単独」

          20220211 建国記念の日 MOROHAが武道館に立った 10分遅れの開演。 客電付けたままふらっと現れた2人 「イケタライクヨヲコエテイク」からスタート 「一文銭」「二文銭」とじわじわと温まるフロア 中盤MCで来場しないことを選んだUKのお母さんに生電話。 出会い系アプリの通知をさらっと話す辺がMOROHA 後半には「革命」も披露 終盤の「エリザベス」からはステージ両脇のスクリーンも使いつつ最後まで走り抜く AFLOのお母さんへの言葉 スタッフへの言

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          2021を振り返る

          2021/1 初詣は神田明神⛩ 投薬スタート💊 2021/2 三鷹の森ジブリ美術館 江ノ島水族館 ラママにブルモン観に行く 2021/3 THE BACK HORN カルペ・ディエムツアー 新木場スタジオコースト 東日本大震災慰霊式 2021初職質 2021/4 髪が赤色に変わる THE赤猿初LIVE at ラママ あざらしワンマン at 下北沢ラグーナ アンバサダーホテル ディズニーランド ディズニーシー 2021/5 THE赤猿 at

          2021を振り返る

          引きずる

          引きずってるふりをして 引きずっていなかったり 引きずってないふりをして 引きずっていたり ヘッドフォンから流れる音にその両方を揺り動かされる

          ヒカリノハコ「命の灯」に想う(音楽文掲載3)

          「命の灯は僕等が思うよりもずっと小さくて弱いもの風が吹けばすぐに消えてしまう」 これは、終戦記念日である8月15日に発売されたCOCKROACHの遠藤仁平とTHEBACKHORNの山田将司を中心に生まれた茨城県のミュージシャンによるプロジェクト「ヒカリノハコ」が発表した楽曲「命の灯」の一節だ。歌いだしの歌詞とメロディが胸を締め付けてくる。 僕が茨城県を始めて訪れたのは2000年頃。 水戸LIGHTHOUSEにTHEBACKHORNのLIVEを観に行ったのが初めてだった。

          ヒカリノハコ「命の灯」に想う(音楽文掲載3)

          かくも長き不在(音楽文掲載2)

          人生初の下北沢は薄暗く肌寒い街だった。 自分が生きている理由を見失いながら、ただ流されるままだった1999年3月。 その夜4人は、俯いたまま挨拶も無く下北沢屋根裏のステージに立った。 ハイハットが鳴った。 その夜から20年を超えた2019年2月。 THE BACK HORNは3度目の武道館であの夜と同じ「冬のミルク」を歌った。 自分にとって生きていく支えとなったバンド。 彼らは今、バンド史上かつてない危機の中で音を止めている。 ファンにとっても、バンドにとって

          かくも長き不在(音楽文掲載2)

          瑠璃色のキャンバス(音楽文掲載1)

          「闇夜をそっと照らし出す歌」 コロナ自粛で生まれた闇を、突然一条の光が照らしたのは2020年6月10日だった。 THE BACK HORNのファンクラブ「銀河遊牧民」会員宛に発売が告知され、一部解禁となった新曲「瑠璃色のキャンバス」。 TOUR延期、再延期、数々の夏のイベントの中止を受けて落胆した日々を送り、それぞれの日常を彷徨っていた銀河遊牧民たる我々の目の前に現れた希望のキャンバス。 少し時間を戻すと、THE BACK HORNの苦難は2020年初頭から、正確には

          瑠璃色のキャンバス(音楽文掲載1)

          努力とか

          誰かに負けたくないとか。 これだけは譲れないとか。 そんな気持ちを持たないように育った気がする 努力 根性 ひたむきな思い 無い プロ野球選手になりたいと挫折し、家業を継ぐもんだと思ってたら挫折し、プロミュージシャンになりたいと思ってたら挫折。 でも何処かで、こんなもんだなと。 強い気持ちとかが無い。 でも何かしらプライドはあって。 めんどくさいw 努力をちゃんとできる人は偉い 何かしら自信を持つために努力できる人は偉い 何かしら光らせようとしてる

          努力とか

          あざらしの輪2021.10.10

          コロナ過で延期になったまま中止になるLIVEが多い中、ついに実現した「あざらし」のワンマン。 2021年9月29日に新作「TUBUYAKU」も発売され奇しくもレコ発LIVEともなった。 久しぶりの下北沢は緊急事態宣言も明けた日曜だけあって駅前は賑やか。 快晴のもと、街中の喧騒を抜けた先にある下北沢Lagunaへ。 開演はほぼオンタイム。 リラックスした感じでまずは「弱虫」「でんぱ人間」を披露。 定番曲「明日元気になれ」でMC。 いつものたどたどしいのかスムーズな

          あざらしの輪2021.10.10

          2004年の思い出

          2004年は今は無きSHIBUYA-AXから。 この日は雪も降りましたね。 2003年11月から(正確には10月の学園祭から)スタートした長期のツアーもいよいよ終盤。 熱量の高いLIVEだった記憶はある。 確かこの日夜は東京でも雪。 この年だったの思うのだが終演後に寒い中ファンを待たせてはダメだからと裏口からメンバーとスタッフが出てみたらAXの広い敷地に1人もいなかった(そりゃそうだとにかく寒かった) この年はもうひとつ渋谷ラジオ収録出待ちゼロ事件もありましたがそ

          2004年の思い出

          何もかも放り投げる勇気はほしくないけど勢いはほしい

          何もかも放り投げる勇気はほしくないけど勢いはほしい

          2005年COCKROACHとの別れ

          世界観をもったバンドが好きです。 とか他人に言うようになったのは間違いなくこの音に出会ってから。 COCKROACH。 茨城県水戸市で産まれた化け物バンド。 1999年に上京するまで、自分の中のNO.1はB'zと黒夢そしてエアロスミスだった。 稲葉さんとスティーブンは神様だったし清春さんは目標だった。 紆余曲折を経て東京に辿り着いた自分は、そこで出会ったTHE BACK HORNに夢中になり、THE BACK HORNを追いかける中で出会ったバンドたちに夢中になる

          2005年COCKROACHとの別れ

          2003年の思い出2

          昨日は原爆の日でした。 長すぎた梅雨が明け、本格的な夏が一気に押し寄せてきて毎日暑い暑いと言ってるだけで一日が過ぎていきます。 PCの前に座り、何度か書くモードに入ろうとしては失敗。 そうこうしてるうちに最新型THEBACKHORNが開催した「銀河遊牧会2020」と初の「配信LIVEスタジオ編」を観ました。 おかげさまで楽しすぎる週末の夜を過ごせました(^^) さて、話を2003年に戻します。 2003年1月に「爆弾楽団TOUR」を終えて2月にエレカシとの対バン。

          2003年の思い出2

          2003年10月11日幕張メッセ

          2003年と言えばTMGE解散に尽きるという人も多いのではないでしょうか? 自分もその1人です。 ミッシェルは当時、ワンマンが取れずフェスでしか体験したことが無いバンドでした。 そのミッシェルのチケットが取れた!!!と大騒ぎしたのは職場の昼休み。 しかし、当選発表から間もなくして「解散」が発表になりました。 当時ヤフオクでは10万円を超える金額まで吊り上がったことを覚えています そして当日。 勿論LIVEは楽しみ、でももう今日からは観れない。 そんな重い雰囲気

          2003年10月11日幕張メッセ