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2003年の思い出2

昨日は原爆の日でした。

長すぎた梅雨が明け、本格的な夏が一気に押し寄せてきて毎日暑い暑いと言ってるだけで一日が過ぎていきます。

PCの前に座り、何度か書くモードに入ろうとしては失敗。

そうこうしてるうちに最新型THEBACKHORNが開催した「銀河遊牧会2020」と初の「配信LIVEスタジオ編」を観ました。

おかげさまで楽しすぎる週末の夜を過ごせました(^^)

さて、話を2003年に戻します。

2003年1月に「爆弾楽団TOUR」を終えて2月にエレカシとの対バン。

その後もコンスタントに各種対バンに顔を出すTHEBACKHORNを追いかけました。

6月6日には熊谷VOGUEでハスキンとdownyと対バン。

6月8日にF.A.D YOKOHAMAでロスインと対バン。

6月12日には郡山ヒップショットでCOCKROACHと2マン。

この日が有名は「栄純金返せ」事件の日でしたw

この夜は他にも「楽しいコック」的な笑顔満載の時間があったり、栄純さんの長いMCがあったりと色々濃い夜でした。

LIVE終了後に両バンドのメンバーさんと呑みながら話す時間があって楽しかった思い出。

この一連のイベント出演中に「光の結晶」「生命線」のLIVE初披露とリリース(「光の結晶」は6月「生命線」は8月)

そこからも止まらないバクホンは「夏の東名阪TOUR お祭りビッグバン」開催。

夏のフェスまみれから9月4日には渋谷公会堂でくるりとGRAPEVINEと対バン。

1番手で盛り上げたバクホン。

2番手のくるりでちょっとした事件。

岸田さんがいきなり「当てられたわ」と裸足になる。

それにしてもこの日の岸田さんはピリピリしてて怖いくらいだった。

楽器交換でタイミングを外したスタッフを公開でちょっと怒ったり、あからさまに曲とは裏腹な厳しさを出してきてた。

当時もあまり見れなかった岸ダンスも披露するくらい熱い熱いくるり。

思えば海外RECなどでバタバタしてた時期でもある(「アンテナ」リリースは翌年)くるりの過渡期のLIVEだった。

そして2003年10月「イキルサイノウ」リリース。

傑作としか言いようがないアルバム。

細かな感想とかはまた別の記事で書きたいんですが、とにかくインパクトが凄かった。

さらに中野に『secret of  8』開店。

思えばこの頃からさらに深くTHEBACKHORNの世界に嵌ることに。

11月から「イキルサイノウTOUR 絶望アッパーカット」スタート。※正確には10/31の学園祭からスタート。

11/1渋谷屋根裏での初日。

余談ですがチケット価格2000円でした。

安い、安すぎる。

この夜をはっきり覚えているのには理由があるけど割愛。

ギュウギュウに詰まった渋谷屋根裏、前から3列目くらいの中央。

「惑星メランコリー」から始まったLIVEは前半が絶好調、中盤がガタガタ、後半ちょっと盛り返す。

本編がサイレン、光の結晶どちらかで終わるパターンのツアー。

ECは空星でほぼ固定。(※ゲームや無限もありおそらくは会場使用時間や移動、対バンがあるかないかとの兼ね合いもあり※最終日名古屋は全部乗せ)

この後、年内は長野・郡山・水戸・千葉と参戦。

演奏はとにかく荒く、固まらないまま進む。

長丁場のツアー+ジャパンサーキットとかも入る。

11月15日渋谷AXでのジャパンサーキットはACIDMAN、アジカン、ART‐SCHOOLとのがぶり4つの恐ろしいイベント。

ACIDMAN LIVE TOUR "Loop"終了直後、完成度の高さで圧倒されたACIDMAN。

当時『崩壊アンプリファー』でいきなりHITして数日後には「君繋ファイブエム」発売を控えた勢いがやばいアジカン。

デビュー後の大事な時期。メンバー2人(日向秀和と大山純)脱退直前の鬼気迫る演奏が会場を飲み込んだART-SCHOOL。

正直な感想でしかないがバクホンは疲れも観えたような、演奏の粗さが会場の広さで余計に露見したように感じた。

ツアーはそのまま12月まで続き、幕張メッセのカウントダウンを経て2004年へと続く。

しいたけお。

2020/08/07

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