ヒカリノハコ「命の灯」に想う(音楽文掲載3)

「命の灯は僕等が思うよりもずっと小さくて弱いもの風が吹けばすぐに消えてしまう」

これは、終戦記念日である8月15日に発売されたCOCKROACHの遠藤仁平とTHEBACKHORNの山田将司を中心に生まれた茨城県のミュージシャンによるプロジェクト「ヒカリノハコ」が発表した楽曲「命の灯」の一節だ。歌いだしの歌詞とメロディが胸を締め付けてくる。

僕が茨城県を始めて訪れたのは2000年頃。

水戸LIGHTHOUSEにTHEBACKHORNのLIVEを観に行ったのが初めてだった。

あれから20年。

日本は、そして世界もすっかり変わってしまった。

2002年に縁あって茨城県鉾田市の海沿いに家を購入した。

LIVEを観に行く時や、フェスに参戦する際、休みの日などに泊まる為に所謂別荘のような使い方をしていた。

海に近く夜には海鳴りも聞こえる。素晴らしい場所だった。

そんな素敵な場所を、2011年の東日本大震災が襲った。

当時、沿岸に近い場所にあった介護施設に祖母が入居していたのだが、海側のガラスは全て割れて粉々になり、建物自体も傾いでいた。

幸い、住めなくなるほどではなかったが別荘も大きな被害を受けたし、震災を機にその地を去った人たちもいた。

日本中が阪神淡路大震災以上の災害と原子力発電所の事故に恐れおののき立ち止まっていた。

娯楽を楽しむなんてムードではなく、むしろ娯楽産業が「不謹慎」という名の見えない圧に押しつぶされそうになった時期が確かにあった。

ようやく復興ムードが高まり、LIVEも再開され始めたころ、水戸LIGHTHOUSEにTHEBACKHORNを観に行った。

短い時間ではあったが水戸に音楽が戻った。

アンコール前の「イバラギコール」と終演後にTHEBACKHORNのメンバーさんと交わした握手は今でも記憶に刻まれている。


あれから約10年。

世界にはコロナウイルスが蔓延している。
このウイルスは、健康だけではなく人々の心までも侵しているような気がする。

現実世界もSNSも誹謗中傷に溢れ、心休まる場所が見当たらない。

毎日更新される感染者数、死者数。2020年の春から世界は混乱したまま進んでいる。

そんな中、最初にやり玉に挙がったのがライブハウスだった。

「ライブハウスで集団感染」という強い言葉が毎日のように各媒体で発信され、予定されていたイベントは次々と中止になった。

LIVEで味わう非日常と感動に生かされている身としては辛く悔しい日々。

東日本大震災以上の自粛ムードに加え、緊急事態宣言もあり音楽を生で体感する機会は失われた。

2020年8月現在、僅かながら開催されている有観客でのLIVEを除けば音楽は配信に留まっているように思う。

そんな中で生まれた「ヒカリノハコ」プロジェクト。

個人的には発起人であるCOCKROACH遠藤仁平とTHEBACKHORN山田将司の名前を観るだけで胸の高まりを抑えられない。

以前の投稿でも書かせて頂いたが、THEBACKHORNは自分の人生を変えてくれたバンド。そしてその盟友であるCOCKROACHは昨年14年ぶりに復活を果たした水戸を、茨城県を代表するバンド。

2バンドの共演を切に願う自分にとっては遠藤山田両氏が組んで、さらにそこに茨城県所縁のミュージシャンたちが集うなんて夢のよう。

そして発売された「命の灯」は予想を超えた曲だった。

6分を超える大作。

一瞬たりとも隙のない張りつめた緊張感と激しさを最後に山田将司の声が優しく締めくくる。

途中「それでも生きなさい」という歌詞がある。

これは僕が幼い頃にある悲しい出来事があった際に、泣きじゃくる僕に祖母が言った言葉と同じだった。

初めて「命の灯」を聴いた時に、曲中で描かれているのは「母」なのに僕は僕自身の体験から祖母を思い出していた。

「あなただけは笑顔で皆を見ている。そんな最後を迎えられるような人生」という言葉も祖母から聞いたことがある。残念ながら現在自分がそんな風に生きているとは思えないが、確実に心の奥深くにあった記憶を刺された気持ちだ。

事実、しまい込んでいた20年前に祖母から届いた手紙を取り出して読み返し涙した。

そこには、故郷を遠く離れた孫に対する心配と当時贈ったプレゼントに対する感謝とそして共に過ごした18年間への想いが書かれてあった。

届いた当時には、全く気付かなかった祖母という1人の人間の想いが詰まっていた。

最後に祖母に逢ったのは11年も前。

その2年前に長く闘病していた祖父を亡くし、緊張が解けたのだろうか、軽い認知症を患った祖母は住み慣れた家を離れ施設に入っていた。

当時1歳になったばかりの長女を連れて会いに行った。

その時、施設の人が驚くほどのしっかりとした対応と記憶の回復を見せた祖母。

6年前に亡くなったが地元の親戚や知人が訪ねるたびに僕の話をしていたと聞いた。

両親が離婚していた僕を育ててくれたのは実質祖父母で、特に祖母は僕を大切にしてくれた存在だ。

18歳の時の別れ方はけして褒められものではなかったし、心のどこかに棘のように刺さったまま流れる年月に包んでしまい込んでいた。


その記憶を刺された。

強く思うのは、「命の灯」はきっと聴いた誰もの記憶に針を刺すような曲だと思う。

忘れていた、忘れようとしていた、忘れている事さえ忘れていた記憶に刺さる言葉とメロディ。

「ヒカリノハコ」に参加しているミュージシャンたちはそんな曲を生み出せるミュージシャンの集まりだと思った。

遠藤仁平の歌詞、遠藤仁平のメロディなんだけどそこに込められた感情やアレンジには確実にハッキリと参加したミュージシャン1人1人の個性と命が込められている。

「一度火が消えたらもう二度と火は灯らないの?」

語り掛ける言葉は命の大切さをもう一度、世界に教えてくれる。

人は数ではない。一人一人が命だ。

THEBACKHORNの「美しい名前」のMVを観た事がある方は、あの蝋燭の炎に命を見ただろうと思う。けして数字でまとめられて扱われるべきでは無いのが命なんだと強く思う。

「命の火」は今これを書いている僕にもあるし、「命の灯」を聴いているあなたにもあるし、歌っているミュージシャンたちにも灯っている。

「悪しき風からあなたの灯を守ることができるなら」

その悪しき風とはどこから生まれるのか。
僕の中からも悪しき風は生まれているのかもしれない。

その風は気付かないうちに他人の火を消し、僕自身の火を消すかもしれない。

そうならないように、生まれた命を大切にこの世界を自分自身の人生を生きていこうと思わされた。

余談だが、「ヒカリノハコ」はなんだろうと考えた。

命の灯を持った人間や動物や植物・・・生きとし生ける物すべてでもあるし、水戸LIGHTHOUSEでもあり、世界中全てのライブハウスでもあるのかなと思う。

今は、茨城県に行くことすら難しい状況。

でも、必ず笑って茨城県へそして水戸へ行く日が来ると信じている。

その日はきっと水戸で音楽を体感したい。

生きてまた会いたい人がたくさんいる。

生きてまた会いたい音楽が溢れている。

これが生きてるという事なんだなと流れた涙で感じることができた。

だから、生きます。

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