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日曜日のnote4月4日:記念日が覚えられない私


この日曜日のnoteでは、アセクシャルな私の悩み・経験・過程等、様々な支えと共に今、そしてこれからのことを記録していきます。同じ悩みを抱える人の目に偶然止まった時、どこか楽な気持ちになれますように、そして読んだことをすぐに忘れられるくらい優しい日常になりますように心を込めて。



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決して数字が苦手な訳ではないと思っている。家族の誕生日は覚えているし、行き帰りの電車の時刻も何パターンかは記憶している。ただ数字に関して覚えられないものがあるとすれば「記念日」と恋人の「誕生日」。私はこの2つが原因で何度も恋人達との別れを繰り返してきた。


プリクラが簡単にスマホへ転送出来るように既になっていた高校時代。「〜ヶ月記念日」という落書きが施された写真を友人達がSNSへ投稿するたびに羨ましかった。でも実際私が当事者になりその世界に足を入れると縁の遠い世界だと気付く。

相手を思う「好き」という感情が知りたくて、求めてくれる人がいたらお付き合いをする。そんな最低を繰り返し続けている今でも恋愛感情が分からない私はアセクシャルであり、そしてお付き合いをしている相手のことを思い浮かべ、恋い焦がれた経験は一度もない。それどころか一人でいると一度も相手のことを考える時間とは無縁だった。

だから「いつが記念日なのか把握して忘れないように、今度こそ大切にしよう」と意気込んでいても、気がつくと過ぎ去っている事が殆どだった。だからお祝いをしたこともないし「どれくらい付き合ってるの?」と聞かれても指折り数えて「〜くらいじゃないのかな、多分」と答える事しか出来た試しがない。その度に淡白、冷たいと笑われるしかなかった。


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記念日よりも更に関係を悪化させる数字は「誕生日」。当時付き合っていた彼が夏休み前に誕生日だったにも関わらずそれをすっかり忘れ一度も会う事なく、夏休み明けに会い言われた最初の一言は「しいなといると大切にされてないって実感する」というものだった時の破壊力たるや、夏の猛暑と掛け合わさり凄まじいインパクトだった。そこで誕生日を思い出し悪い事をしてしまったとその時気がついた私は、悪かったと反省し謝ることしか出来なくて。そんな私を見て彼は少し不貞腐れながらも許してくれる優しい人だった。


(ここで余談だなんだけど、私は付き合う前に「好きになれるか分からない・連絡もマメじゃない」この二点を必ず伝えるようにしている。それでも良いよと言ってくれる人とだけお付き合いをするのだけれども。「良いよ、俺全然そういうの気にしないから」と言ってくれる人ほど本当はめちゃくちゃ気にするあの現象、なんなんだろう。まぁ毎回その言葉を信じたくなってしまう私の方がどうかしているのだけれども)


そんな訳で私はこの2つの数字に関しては、今までの元恋人達とほとんど気まづくなる経験をしているのだけれども、それでも彼らは私のことを周囲に悪く言い触らすようなことはしないでいてくれた。それは付き合っている時も別れた後も。そもそも付き合う段階での私からの理不尽な発言「好きじゃないのに付き合う」ということを了承して、その上で噂が立てられないことを不思議に思っていた私はある彼に聞いた事がある。


「どうして私のこと悪く言わないの?私が悪いことなのに」

すると彼は「だってそれでも好きだって思うから」と言ってくれた。


もし今までお付き合いをしてくれた彼達も(あまりに都合良すぎる解釈かもしれないけれど)仮に同じことを思ってくれていたのであればなんて優しい。でもそれ以上に私はより心が苦しくなってしまう。その愛情を純粋に嬉しいと思う事がなかったから。その感情を持っている彼達を羨ましい嫉妬の対象として見てしまう。自分と感覚が違う人達全員のことを美しく高貴なものにすら感じてしまう。そして余計に自分を醜く感じてしまう。誰かと付き合うことは私にとってはこの繰り返しだ。


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私も誰かを大切に思うという感情がきちんと備わっていれば良かったのに、と今まで何度も思ってきた。そうすればこんなにも惨めな思いをすることなく、人との繫りを恐れることもなく年相応のことが楽しめたのに、と。それでも自分の意思で感情を手にして支配することなんて出来ないから、私はアセクシャルな私を受け入れるしか術を持っていなかった。そしてそれに長く時間をかけすぎてしまった。


約10年、自分の感情の欠落について悩んできた。そしてそれはまだ幼かった少女には根拠のない希望が薄く中に待っている状態で、歳を重ねるたびに希望は霞んで殆ど掴めないものだという事を知らせてくる。知りたくもなかった。辿り着けない出口の見えない一本道を誰とも手を繋がず一人で歩いていくしかないらしい。



LGBTを特別視しないでほしい、と多くの人達が発言している中、それは未だ実現されていないのが現状。そしてそもそも人を好きにならないと言うLGBTQIAのAである私は存在自体を恥じて生きてきた。友人達が恋人との時間を過ごすようになった時、置いていかれる孤独感を感じていた。クリスマスもバレンタインもホワイトデイも、カップルイベントがやたらと多いことすらも憎んだ。雑誌の特集を目にする度に悪態をついた。


でももう憎んで恨んでもどうにもならない。


だから私は自ずと信頼できる人たちに公言していった。結果として離れていく人達は多くいたけれど、変わらずに接してくれる人達もいたという事実、ただそれが嬉しかった。だから私はもうこれ以上世間をそして、私という存在を憎むことをやめた。ただ貪欲な私は愛情を探す旅はきっとこれからも続けると思うけれど、でももう必要以上に傷つく必要性はないんじゃないかなと思っている。


私を大切に思ってくれる人達がいる。それだけで本当は幸せなことだから。恋愛感情を返せなくても、様々な形の情をその人達に伝え続けることが私に出来ることだと今は分かっている。



どうか自分を憎まないで、

記念日や誕生日を忘れてしまっても。

それはあなただけじゃないんだよ。私も仲間。

ハイタッチしようよ。

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