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需要があるものと自分が書きたいものとのジレンマ

プロ・アマチュア問わず運が良いだとか天才でもない限り、クリエイターだったら必ずぶつかるジレンマがあると思う。

それは需要があるもの(ウケるもの)を創作するか自分が書きたいものを創作するかである。

クリエイターがーー特にネットで作品を公開する人が真っ先に直面する現実として、作品のクオリティーよりも、人気がある流行りの系統の話やネタであるか、二次創作であれば今が旬のジャンルであるか等の方が余程ブクマ数だとかの評価に直結してしまうというものがある。

人気がある流行りの系統の話やネタにして創作する、旬のジャンルで二次創作をするという方が、自身の描く作品のクオリティーを上げるだとかより良い作品を作るだとかそういった真っ向な努力以上に成果を上げるには手っ取り早いのである。むしろそちらの方が成果を上げることに特化した場合、重視するべきウェイトとしては大きい。

一生懸命自分が書きたいと思って苦労して創作した作品よりも、片手間に創作した流行りの系統の作品の方が評価されるし、クオリティーが高い、流行りに乗っていない作品よりもクオリティーの低い流行りに乗っている作品の方が遥かに評価されるというのが現実としてある。

もっとも、頭二つ三つ以上飛び抜けている作品は別である。他と比べて圧倒的に面白いだとかそういった形で飛び抜けていれば、それはたとえ流行りの系統じゃなかったとしてもヒットする。ただし、大体のクリエイターはそれを目指しつつも結局のところどんぐりの背比べとなり、闇堕ちしつつ喘ぎ続けることになるわけだが。


私の場合、流行りの系統が自分の好みとまるで合わず、そういった作品を書くことができないでいる。流行りの系統に合わせるのが一番手っ取り早く感じて、自分と折り合いがつく範囲で流行りを取り入れたものを書こうと試みたりすることはあるのだけれども、大枠と設定までは作れてもディティールがまるで思い浮かばず全く書くことができない。

また、だからと言って自分が書きたいものを書けているかというと、流行りの系統やネタであるかどうかのウェイトがあまりにも大き過ぎて、この作品を書いても絶対にウケないから没、これも書いてもウケないから没とやっているうちにここ数年、小説が全く書けなくなってしまった。

ネットに作品を投稿し始めたばかりの頃は、自分の作品のクオリティーが低いからいけないんだ、もっと努力して作品の質を高めれば何とかなるんだと考えてそれをモチベーションにして頑張っていたのだけれども、それも潰えた。あと、長編作品(十万字以上)を最後まで書き上げられないというのが自分の最大のネックである。他にもそもそも執筆するスピードが遅くて圧倒的に数が足りないとか色々あるのだけれども。

現在自分にできていることといえば、こうしてnoteをつらつらと書くことぐらいだ。

まあ、これ自体も有益さとかウケは考慮せず、ただただ自分の思考を垂れ流しているだけなので、評価される代物ではないのだが。


クリエイターの中にはひたすらその時々の流行りの系統に照準を当てて、読者ウケのする需要のある作品を創作するのに特化している人達もいる。

きちんとその系統の読者の好むツボを押さえ、変幻自在にその時々に応じて創作する毛色を変える。

そういった人達は最早職人の域だなとある意味尊敬している。そして天才だとか運が良い人以外でクリエイターとして確かな成果を出して食べていけるプロとも言える人というのはきっとこういう人達なんだろうなと思っている。

天才でもなく運もなく、職人のように作品を創作することができない私は、今日も流行りを押さえた需要があるものと自分が書きたいものとの間のジレンマに思い悩むのである。

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