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元不登校のいとこと叔母と、末期がんの大叔父に会いに行った話

「大丈夫。どうにでもなる。ここに、不登校だったけど大丈夫になった先輩がおるし」

そう言って、運転中の私の後ろから、叔母はやさしく声をかけてくれた。
その隣に座る、彼女の娘である従姉妹は、恥ずかしそうに、まぁその節は……。と母親に笑いかけていた。

私も。
いつかそう振り返って笑いあえるのかな。
そうだといいな。

そう心に留めながら、2人を見送っていったのは今朝のことだ。

叔母と従姉妹がやってきた

叔母は娘とともに、2日前の夜に我が家にやってきた。
都内でのコンサート鑑賞を終えて、我が家に到着したのは22時頃。
楽しみに待っていた我が家の子どもたちは頑張って起きていたものの、皆力尽きて眠ったあとだった。

「久しぶり~わるいね~~こんな時間に」

そういう叔母に、「大丈夫だよ~」と言いながら、
急に団体戦の人数が足りないといって駆り出されたその日の試合の愚痴を私は早々に漏らす。(迷惑)

「あらあ~大変やったねえ~~ありがとねえそんな日に~~。
あ、これ土産ね~。
えぇっズボンこれなんか湿っとるわ~~干してくれる?」

叔母は私の話をうんうんと軽快に聞き流しつつ荷解きを進める。

このあっさりした人柄が私は好きだ。

叔母は、私が小さなころからずっと、いつ会ってもこんな感じなのだ。

その娘である、歳の離れたいとこは現在高校3年生。
相変わらずシャイなガールだけど、会うたびに美しくなる彼女を私はいつもじっと見つめてしまう。(やはり迷惑)

shiiimo「また背が伸びたね~~いまいくつよ?」
いとこ「ん~~171センチだったかなあ……(照)」
shiiimo「ほほう……(じっっっっ)」(やめたげて)

ちなみにどうでもいい情報だが、shiiimoは153センチ。
顔だけは背が高そうなのに実際小さいよね(笑)といわれがち。
(どういうこと???態度がでかい???やっぱり??)

叔母はシングルマザーだ。
実家で自分の父と母を介護しながら、ここまで娘を育ててきた。
数年前、父(私にとっての祖父)は他界。
祖父ととても仲良しだった祖母はそこからガクッと認知症が進んでしまい、現在は施設に入所している。

介護と娘のことで悩んでいた叔母は、長年苦しそうだった。
数年前、うつ病を発症したとLINEで聞いた時も、

「娘には心配させるといかんで、私あの子に言っていないから、言わんといてね」
と私に言った。

そして、今。
ようやくすべてがひと段落し、彼女は人生をもう一度謳歌しているようだ。

娘とバンドを組んだり、
保護者会の代表として前に立ったり、
推しの漫画について語っていたり。(遺伝を感じる)
そんな叔母から、元気をもらっている。

従姉妹の膝にずっと居座っていた三男(尊い)

大叔父の肺がんはすでに末期だった

そんな二人が我が家にやってきたのは、
コンサート講演にやってきたのも目的のひとつだが、
もうひとつの大きな目的があった。

私にとっての大叔父。
叔母にとっての叔父にあたるが、
その人が末期がんに侵されたと連絡を受け、会いにやってきたのだ。

連絡を受けたのは今年のはじめ。
当時の私は、親戚中へ伝えたり病院の情報を得たり、その最中で育休からの復帰手続きも進めたり。
てんてこ舞いで悲しみに身を浸す余裕がなかった。
だからこそ、その時はあまり深刻にならずに済んだかもしれない。

目を、そらしていただけともいう。

身近な人ととのお別れは、人生の中で数多くあった。
それでも当然ながら、慣れはしないものだ。

あの日一緒に泣いてくれた大叔父

高2の秋のはじめ。
私は父を亡くした。

突然のことだった。

当時のことを細かく話すことはしない。
私は毎日泣いていて、
とにかく、いつまでも泣いていた。
しばらくしてもふと涙が出る。
それは、いまだにそうだ。

当時から付き合っていた彼氏(現、夫)がいなかったら、
今こんな風に笑っていられなかったろうとも思う。

翌年、受験真っただ中の高3の秋。
やりたいことは山ほどありつつも、
私はいったんすべてを休んで、
1周忌のために代々のお墓がある田舎に帰省していた。

まだ夏の気配が残る田舎の居間で、
お坊さんがお経を唱えていた。

1年たっても私は、泣きじゃくっていた。
お経の声を耳にすると、1年前の記憶がよみがえってくるようで辛かった。
私の二人の兄も母も、すっと涙が頬を伝っていたのだろうか。
それを見つける余裕もなかった。

そんな中。

唯一、私と同じくらい泣きじゃくっている人がいた。

大叔父だった。

しわくちゃの、少し黄ばんだハンカチを握りしめて、
嗚咽交じりに大叔父はお経の間中、泣き続けた。

私は、それを見て、さらに泣いた。

お経と、私と、大叔父の嗚咽が部屋に響いていた。


お経が終わると、それではお墓に参りましょう。とお坊さんが言った。
はいわかりました、とささっと準備に入る母。
その母にもたれかかるように私は立ち上がろうとしたが、できなかった。

「……あ、足しびれたわ……」

泣きはらした顔で、しょぼしょぼの声で私は言った。
自分でもびっくりのしゃがれ声だった。

はは、大丈夫かよ。と、少し赤い目をして笑う兄たちの横で、
もうひとりが、

ずって~~~ん!!

と大きな音を立てて尻もちをついた。

大叔父だった。

「いかんわ……俺も足がしびれてしまったわ!!先に行ってて!!」

大叔父はしわくちゃの顔を隠しもせずに、そういった。

「ね。そうなるよね?あはは……」

私と大叔父は、見つめあって笑った。

その場で泣くことだけが、
悲しみの深度を表すわけではないことは、私もよく分かっている。

母はこの先待ち受ける全てのことを一身に受け持つ覚悟を備えていたこともあるし、
兄たちもそれぞれの想いがあった。

その中で末っ子で甘えん坊の私は、
皆の悲しみを体現することしかできなかった。

そんな中。

大叔父は周りも気にせず一緒に悲しみに浸り泣いてくれたし、
一緒に慣れない正座で足を痺れさせてくれた。

あの瞬間を、よく覚えている。

末期ガンの大叔父と交わした約束

「おう、よう来たね」

叔母と従姉妹。母と私。
面会は2人ずつと言われたので、私と母は2回目の面会で、その相部屋に入った。

大叔父はだいぶやせ細り、髪も白髪だらけになっていた。歳も80ほどになるので、それを考えれば当たり前のことだ。

でも、いつも豪快に笑い、タバコを吸いまくり、軽の白ワゴンでどこにでも駆けつける彼の姿を、どうしても探してしまう自分がいた。

ただ、大叔父は大叔父だった。

「オレはさぁ、元気は元気なんだよォ」
「この、屎尿便もな。こっちに置く方がいいだろって、オレが言ったんだよ。すごくやりやすくなったよ。」
「母ちゃん(大叔母のこと)、忙しそうなんだよなぁ。体操にも行ってるんだよ。かーぶす?だっけかなぁ。パートも行ってるしなぁ」

このあたりの話を、行ったりきたりした。
途中言葉がわからないところがありつつも、思っていたよりも会話ができたことに、私と母は安堵していた。

「まぁなあ。仕方ねぇけどなっ。長かったしなぁ。忙しくしたよ。とくにアレはよかった、アメリカは楽しかったよ」

病室でも、いつものようにキャップを被り、
腕を頭の後に回して、大叔父は昔の話を繰り返した。

私が5人目を生んだ情報は耳に入っていなかったらしい。
目をまん丸にして驚いていた。

「shiiimoちゃん。ようやったね。」

大叔父はそう言ってほほ笑んだ。
あの、お経の後の居間で笑いあったように。


そろそろ帰るね、と私たちが立ち上がると、大叔父は掛け布団をバサッと払って、ベッドの柵に手を置いた。
少しずつ柵の方へ動いてみたが、少ししたところで
「動かんわ」
と呟いた。

「ここで大丈夫。また、来るからさ」

正直、この言葉が果たせるかどうかは不確かだし、不可能かもしれない、と思っていた。
けれど、言葉にしたことで、
また必ずそうしなければ、と思った。

「おう、ごめんね。またね」

”またね”

この言葉の重みを、あの日一緒に泣いていた私たちは、よく、わかっている。

「不登校」の先輩からの言葉

母ができなかったUNDERTALEのGルートを披露する従姉妹。テンション爆アゲの5児

叔母と従姉妹は、我が家に2泊した。

子も多くて大変だからホテルに行くよとも言っていたが、
本来なら父と協力してやるはずだった介護を一手に引き受け、そして頑張りすぎた叔母への、私なりの償いの思いもあった。

我が子は、数年前に2人に会った記憶もあるし、元々双子兄をはじめとして懐っこい。
歳が離れ、姪のように可愛がっている従姉妹と我が子。
すぐに一緒に遊びだした。
「推しと推しの戯れ…」
とshiiimoが合掌して眺めている中で、絶賛不登校中の長女だけはずっと距離をとっていた。

事前に長女のことは伝えてはいたけど、数年前は1番従姉妹に懐いていた彼女がそんな感じなので、従姉妹も戸惑いがあったようだった。

結局、帰る今朝まで、長女は少し会話した程度に終わった。

「なんかごめんね。また最近、学校がダメになって、色々考えてることもあるみたいで……」

帰りの車内で、私は叔母と従姉妹に言った。
叔母は、全く気にしとらん、という声のトーンで
「そうみたいねぇー」と言った。

そして、冒頭のように言ったのだった。

極めて明るく、
何も問題ではない、というように。

「小学校の勉強なんてすぐやれば追いつくしね。あと数年はこんな感じかもしれんけど、なにかが変わればね。すぐよ。大丈夫、大丈夫」

とくに多くを語らない従姉妹も、
うん、うん。と小さく頷いているのが、バックミラー越しにわかった。

「そうだよね。そうだよね……」

私は自分に言い聞かせるように何度も言った。
その度に、2人は優しく首を縦に振った。


****

奇跡が起きないかぎり。
大叔父がここから回復するのは難しいことだろう。
これは自然の摂理に等しい。

その事実をここから、いかに受け止めていくのか。
それは残されていく側の、これからの生き方次第だろう。


不登校の私の娘は、どうなっていくのだろう。
これは本人にも、私にもわからない。
でも、これは「奇跡」を待つ話ではないことは確か。

私がこれから、どう働きかけて、
娘がどう生きていくかという「道」を示していけるかどうか。


あの日、一緒に泣いてくれた大叔父に。
恥じない人間でいたい。

新たな決意をくれた大叔父と。
未来の明かりを見せてくれた叔母といとこに。

感謝をしながら、
長くなりすぎた私の話を終わります。


ここまで読んでくださったあなたもありがとうございます。
明日も、元気で。



ちょっとずつ更新しています。

写真のGルートの話はここでしています。従姉妹、尊敬。

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