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ラブホのお風呂に救われて。 2011年3月 福島での話

湯船に浸かるのが面倒で、普段はシャワーで済ます人でも、そのシャワーですら面倒な人でも、「今日からお風呂に入れません!」と言われたら、きっと辛いのではないでしょうか。


2011年3月11日。
福島県のラジオ局でアナウンサーをしていた私は、福島市の局舎で被災しました。

今後の長期戦を見越して、震災発生の数時間で一度帰宅するに。

家は局から近い社宅。
部屋に入ると、棚から物は落ちていましたが(そもそも当時、心身の余裕がなく部屋が散らかっていた)、建物自体が倒壊している様子はなく、電気も通じていました。

しかし、水道はアウト。

当時、我が家には水の備蓄がなく、震災発生翌日の夜には水が使えなくなりました。
買いに行こうにも近くの小売店からミネラルウォーターがすぐに消え、水が販売されている場所を探しに行きたくても、震災発生から数週間は1日8時間交代(8時間勤務して、8時間休憩後に、また8時間勤務という流れ)だったため、遠くまで足を伸ばすことはできません。

人生で初めて「水が使えない」状態。

水が使えないということは、飲料水が確保できないだけではなく、満足に歯磨きができない、トイレを流せない、そして、体を洗えないということ。

生命活動に「水」がどれだけ大切なのか、この時ほど感じたことはありませんでした。

歯磨きは液体歯磨きで対応、トイレは会社で済ます(営業や管理部の人たちが水を確保してくれた)、そして、体は汗拭きシートで吹くことでなんとか凌いでいました。

震災の影響で、私が住んでいた福島市だけではなく、福島県内各地で断水となり、直接的に大きな被害がなかった地域でも、不自由な生活を強いられました。

そんな中、水を無償で提供する人々が現れたのです。

福島県には、井戸水を生活用水にしている個人宅も多く、そういう人たちが、自宅の軒先などで水を提供してくれました。

あの時は、あちこちで「水あります」という紙を張り出している家を見かけました。

そのうち給水所も設置されるようになり、歯磨きやトイレに使う水は、数日で確保できるように。

しかし、水道の復旧には少し時間がかかり、身体は洗えない日が続きました。

そんな中、局内で「お風呂に入られせくれる場所がある」という知らせが。

その場所とは、スタジオの近くにある「ラブホテル」。

そのラブホテルは、井戸水を使っていたようでお風呂も使用可能。
「県民のために休まず情報を届けている局のみなさんにお風呂を解放する」と連絡してくれたのです。

数日ぶりにお風呂に入れるっ!!!

満足に休むことのできないスタッフも多く、私も含め、心から喜んだ人間も多かったと思います。


そのホテルは、一般の方も利用できるようになっていたため、スタッフは時間を決めた予約制で利用。

しかも、バンガローのように部屋が一棟ずつ戸建てになっているタイプでしたので、少人数で独占せず、より多くの人が利用できるように、私はスタッフの女性と、その女性家族と一緒に利用させてもらうことになりました。

このご家族も久しぶりのお風呂ということで、おばあちゃんからお母さん、姉妹、甥っ子まで5、6人でやってきました。

私は当時も独り者で、近くに親戚もおらず、入社半年ということで知り合いもほとんどいませんでした。

だから、大家族と一緒になり、久々に「家庭」を感じられたことにも、心が解きほぐされたことを覚えています。


ラブホテルのお風呂はとても広く、緊張の日々で縮こまった体を思う存分、伸ばしてくれました。

「風呂は命の洗濯だ」とよく言いますが、あの時ほど楽しく癒された入浴はなかったように思います。


そんな、通常のホテルとも違う「アミューズメント感」に、スタッフさんの甥っ子くんたちは興味津々。

一般的なホテルや旅館のお風呂と違った「ラブホのお風呂」にテンションが上がり、ジャクジーやライトのスイッチをつけてたり消したりして楽しんでいる声が聞こえてきました。

子供の無邪気な声に癒される私。

そうしてお風呂でテンションが上がった子供たちは、ベッドスペースに戻ると早速、部屋内を物色。

そこで気づく私。

「ここ、ラブホだった…」

ラブホテルを利用しないみなさまにご説明をすると、ラブホのテレビというのは、AVが見放題だったり、部屋内に「大人のおもちゃ」が設置・販売されていたりするのです。

癒しの空間から一転、一人緊張が高まる私。

テレビをつける子供…お…………地上波…セーフ。


次に…

小さな自販機を見つける子供…!?!?

「これなーにー」

「なんだろーねー(棒読み)」



子供たちも何かを察したのか、そこまで深く追求することなく、ここもセーフ!

そして、全員入浴を終えて、退出時間になり解散。


久々の入浴で心も体も頭もゆるーくなって帰った自室で、直前のラブホテルの出来事を思い出して笑ってしまいました。

ちなみに、福島市の水道は一週間ほど復旧。
私があのラブホのお風呂を利用したのは一度きりでした。


今でもお風呂を解放してくれた、あのラブホテルには本当に感謝しています。

多くの人を助ける立場の私でしたが、今振り返っても本当に助けられてばかりだったなと思います。

私も、困った人にはすぐに救いの手を差し伸べられるように。

そして、不自由なく水も電気も使え、食べたいものが食べられ、会いたい人に会えることの有り難みを忘れないように。

日頃の備えや防災の意識を薄れさせないように。

東日本大震災の発生から、どれだけ時間が経過しても、忘れず、伝え、実践していきます。

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