【リブリオエッセイ】 動作は世代で途絶える。詩と物語は世代を超える。


▼2023年8月ふみサロ課題本
「絶滅危惧動作図鑑 藪本晶子」祥伝社

 ▼本文

 むかしむかし、私がまだ子どもだった頃、実家は居間と納屋とに分かれていた。納屋では祖父が杵を振りかざし、祖母が石臼の餅米を捏ねて、お正月用の丸餅を作るのが年末の恒例行事だった。しかし、両親は、これを継がなかった。全自動餅つき機を購入して以降、いつの間にか、杵も臼も処分されていた。

 今は亡き父の仕事は、左官(建物の壁を塗る職人)だった。要領よくコテを動かし、漆喰の壁を完成させていく。建築現場には、よく遊びにいっていた。仕事風景は、何度も眺めていた。しかし、私は長男でありながら、父の仕事を継がなかった。職人芸は、父で途絶えてしまった。

 祖父の仕事を継いだ父は、仕事選びについては本意ではなかったのかもしれない。父は、私の仕事に対して一切の口出しをしなかった。動作は伝承する者を決めておかなければ、途絶えてしまう。しかし、書物にすれば、時代を超えて伝承されていく。縄文土器を作れる日本人は、今の日本には存在しない。しかし万葉集や源氏物語は一千年の時を超え、写本で伝承されてきた。後世まで残したい文章があれば、詩か物語にすればいい。それは、私が詩を書く理由の一つであり、モノ書きを続けていく上での一つのポリシーにもなっている。

 2023年8月、父の初盆が終わった。昨年末より私は里帰りし、父が建てた家の中で、父が壁を塗った部屋の中で、この文章を書いている。漆喰の壁を撫でるたび、今にも壁の向こう側から父の呼び声が聞こえてきそうな錯覚に陥る事がある。建築では、建物という形で芸が残る。しかし、文筆業では本にして残すまで書き続けなければ、カタチとしてのモノは残せない。今の私に出来ることは書き続ける事しかない。芸能の魂を受け継ぎながら後世に伝えていく……それが親孝行になると念じながら、私は日々を過ごしている。そして私の息子もいつの日か、何らかの形でモノ書きになってくれればいいなぁなどと、密かに期待したりしているのである。

▼今回の作品の執筆意図
久しぶりに”ガチエッセイ”を書いてみたくなった為、最初から着地点はそこを目指してプロットを組み立てた。毎度の事ながら、書きたいことを全部書けば余裕で文字数オーバーする為、削る削る削るで起承転結、4世代の流れを描く多層構造、及び、現在の私がビジネス系より、文芸系に舵を切っている理由を述べていく流れにしました。

▼エッセイの流れ(チャート)
<起>祖父&祖母世代=杵と臼で餅つきをしていた明治&大正生まれ世代
   ↓  昭和生まれ世代が親になれば、リアル餅つきの風習は継がない
  昭和50年代以降は、自動餅つき機で餅を作る
<承>親世代=昭和20年以前生まれ世代
   父の職業:左官。木造建築の住宅に漆喰の壁を塗る職人だった。
   ↓ 私は小学生時代に木造校舎が、鉄筋コンクリートの校舎に建て替えられていく状況を体感した世代→木造住宅は減るのではないか?という未来予測から父の職業を継ぐ事を視野から外していた。=職人芸の断絶
>>>父は読書しない、文章は書かない人だったが、私は幼少期から本好き、日記や感想文に対する抵抗が皆無だった→親と異なる自分を目指す指向
   ↓
<転>私の世代=昭和40年代生まれ世代
   (日本国憲法の影響か?)父は私に職業選択の自由を与えた。
>>>動作を伴う伝承は途絶えやすいが、文章を書き残す行為は、世代を超えられることに強みがあるのだという持論の展開。
   ↓
<結>私の息子=平成生まれ世代に対する期待
①一度、実家を出た私が、再び実家に戻った後の、現在の心境
 父の左官職人としての技術は、現在住んでいる家の中に残されている。
※②父はモノ書きではなかったが、地元のカラオケチャンピオンとして、何度か地元の大会で優勝し、歌うことに命を懸けて(芸能に命を懸けて)一生を終えた。⇦本文内には書けなかったエピソード
③芸能に命を懸けた父の魂を受け継いで、私はモノ書きで自己表現したい
④私は父親の行動を継がなかったが、自分の息子には何らかの形で、いつかモノ書きになってほしいという淡い期待を持っているという願望で結び。


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