6/15 俺が大器晩成型である理由

今までお腹の鳴る音を疑ったことがなかった。果たしてグーッっていう音は、正しいのかって。たとえば空腹のサインが、自分の惑星に帰る時間を知らせる音のような「ピコン!ピコン!」だったとしよう。グーッよりかは自分の安全性を揺さぶられている気持ちになるから体に栄養が足りてないと気づかせるのには最適な音だけど、あまりにも機械的というか人間味がないから、こういう鋭い破裂音は人の体から出るべきではないと思う。ただし、「ぷぅ~」っていうおならの音は柔らかいからOK…。一方、グーというような濁音の場合、体が愚痴をこぼしているみたいでアホくさくてかわいいから人の体から出るべき音だと思う。だから、今のままで、お腹の鳴る音は正しい。


友達が「自分にとって冷やし中華は特異だ」と言ってきた。ある夏の日にコンビニに行った時のこと。ふと目にした冷やし中華を手に取り、レジの店員に渡したところ「今日は暑いからよく売れるんですよね~」と言われたらしい。その時、自分がなにも考えずに「よく売れる」という統計に加担してしまったことが悔しかったそうだ。友達はいつも何かを買うときにはきちんと理由を付けて買うはずだったと言っていた。おそらく暑さのせいで頭を働かすことをサボり、暑いから冷たいものを食べたいという考えるまでもない陳腐な結論に達して油断したのか、暑い日は冷やし中華がよく売れるという事実を見逃して、マジョリティーの落とし穴にはまってしまった。思考の二重トラップに見事にひっかかった友達は、それ以来冷やし中華を恐れて、あまり近づいていないらしい。


この話を聞いて自分も高校生の時まではなんにでも理由を付けていたことを思い出した。すると理由付けのスピードがどんどん早くなっていき、ほとんどそれは感覚になった。同じような筋道で結論を出していると、自分の中でフォーマットが出来上がっていく。そして俺は友達とのコミニュケーションがパターン化していることに気づいた。自分の中では型にはまった答えしか出せなくなっていた。なによりも自由を求めていて、なによりも縛られるのが嫌だったあの頃に、自分で自分を縛り付けていると感じた。それから俺は今まで作った思考の型を全部捨てた。自分の中からなにがどうやって湧いてくるのか、なにもわからない方がワクワクすると思った。ランダムに生み出される発想の方が、潜在意識の中で眠る一般事象を網羅した真理に近いものになると考えた。だけど、このやり方をしてから、どうしてだろう。会話がめちゃくちゃ下手になった。正解は、思考に型を捨てることではなく、増やして使い分けることだったんだと今になって思う。こんな感じで積み上げてきたものをまっさらにすることがよくある。無駄の多い人生だと思う。この一見、意味のない遠回りが思わぬ力を俺にもたらしてくれることを俺は信じている。信じるがゆえに、大器晩成型である。


小さい頃からお金をもらうことが好きでした