5/22 トリートメントをどれくらい洗い流せばいいかわからなかった

細菌は15000種類いるらしい。大雑把に括れば35個のグループに分類されるそうで。それを聞いたとき、俺はもっと見た目に気を配らなければいけないなあと反省した。

人の感覚は細かくわけたらおそらく細菌の種類よりは多い。だけど雑にまとめれば、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚の5つ。つまり、それぞれの持つ力がでかいってこと。感覚が35個になれば力が分散されて、人は今より感覚の調整がうまくなる。色んな要素を組み合わせて他人を評価できるようになれる。だけど現実では5つしかないからそれぞれのパワーが強くなり制御しきれない。それで相手を判断するときは1つの感覚に頼りがちになる。

特に人は冷静じゃないとき、それが顕著に現れる。感覚に人は支配される。つまり、人を見た目で判断している外見至上主義の人はただ取り乱しているだけ。無意識のうちに慌てているだけだから、どうか彼らを責めないでほしい。単にいつも取り乱しているだけのかわいらしい人たちなだけ。初対面の人と出会った瞬間に「この人顔悪いからほっとこう」と思ったら、もう、取り乱しているんだ。そうなってしまったらもう視覚の奴隷なんだよ。

そうそう、なんで見た目に気を遣おうかと思ったかだったよね。素性を知らない人からキャッチできる一番大きな情報は見た目で、それを受け取る「捕手」は人の理性でさえも押さえつける強大なパワーを持った「視覚」だから。見た目が人を判断するのに一番安易で楽な方法になるのも必然だよ。人が色んな要素を加味できずに初対面の相手を判断するというのは人間の仕組み的に逆らいようのない事実なんだよ。ここまで理解が及んで、ようやく見た目に気を遣っていこうと踏ん切りがついた。

見た目で人を判断するのは本質じゃないとか言う人もいるだろうけれど、生物学的に考えたら、これは全うなことであり、真理なんだよ。そんなわけで、見た目について考えを巡らせてみたんだけど、今はセルフ・プロデュース、個性の時代だから、自分なりのこだわりはあった方がいいんじゃないかという結論に達した。どんな姿になりたいのか自分の心に問いかけてみたら、少しばかりちやほやされていた小さい頃の自分が頭に思い浮かんできた。そんで髪がサラサラでおかっぱで女の子みたいだったあの頃に戻ろうと決めて、俺は徐々に髪を伸ばしてきている。なんならトリートメントまで付けるようにもなった。でも全然あの頃の髪質には戻らない。元はと言えば小中学校で畑を耕すみたいに何度もゆびを俺のサラサラの髪に馴染ませて触覚欲を満たしていた友達が悪い。断りきれずに触らせてしまっていた俺も悪いが。あの教室の前後の席には都合の良い関係性が築き上げられてしまっていた。でもきっぱりと断ることはできなかった。相手の癖を壊すこともできなかった。去勢させられないのなら、自分を去勢するしかない。ある時からお湯で髪をガシャガシャ洗うようにして無理矢理ツヤを剥がし始めた。サラサラじゃなくなった時、これでようやくあの関係性をやめられるのだと喜んでいたが、今になってそのことをすごく後悔している。

一向に髪質が良くならないから、ある疑念が浮かんできた。トリートメントのハケ量についてだ。トリートメントをしたあと、どのくらいシャワーで落とせばいいのかわからない。トリートメントはどこまで残してあげるべきなのか。トリートメントも人間の寿命みたいに時が経つと勝手に世界からいなくなるシステムになればいいのに。そうすれば適切な量のトリートメントが髪の上に居続けるんだ。でも、そのうち「トリートメントは残りすぎたんだよ」とか言って俺の頭を焼け野原にしようとする悪いトリートメントが現れるかもしれないからやっぱりなしで。あいつらなんなんだろう?「人間は増えすぎたんだよ」とか言ってるやつ。お前は地球のなんなのさ。もしも自分の頭の上でトリートメントがトリートメントを殺していて俺の頭が少しでもハゲたら本当に怒るからな。最近巷では戦争が流行っているけど地球もそのうちぶちギレて火山噴火させまくるんじゃないかな。なんで人間たちのエゴのぶつけ合いに巻き込まれなきゃいけないんだよ。って。どうか地球をハゲさせないであげてください。

小さい頃からお金をもらうことが好きでした