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制約があるから燃えるという話

あぁ、こんばんは。

ウイルス怖いですね、電車乗りたくないなぁ…。

昨日は中学のときの話をnoteに書いて、

色々な方から感想をいただき中3の私が喜んでおりました。

このことも、強烈な体験として思い出に残っている他のこともそうなのですが、

なにかドラマチックなエピソードが生まれるときって、必ずそこに制約があるからだなと思っていて。

文化祭の場合は、決められた企画、メンバー、スケジュール、場所などがあって。

部活の場合も同じく、限られた場所、練習メニュー、レギュラー争い、ペナルティのランニング、声出しなどなど。

制約が目の前に立ちはだかったとき、「理不尽だからどうにかしてやろう」と思うのではなく、「わーどうしよう」と思いながらもその中でどうするか考えて頑張っていたなあと。

私の体験以外にも、思えば好きな番組や企画もそうでした。

私が一時期どハマりしていた番組も、一見理不尽な謎ルールがあって。(限られた時間しか話すチャンスがないとか、告白はどっちかからとか、誰かが嘘をついているとか)
(どんな番組をみていたかバレてしまう)(恥)

でもそれがあるからこそ、数々のドラマが生まれていました。

全く縛られず自由だったら楽しい!と思うかもしれないけど、

何でもかんでも「いいよ」って言われてたら張り合いがないし、刺激がなくて退屈だと思う。

これについては色々な意見があると思うけど、私はルールの中で上手く踊りながら進む人生でありたいなと。

ただし、言いなりになってばかりではやりがいを奪われて面白味がなくなってしまうから、その塩梅が難しいのだけれど。

ルールを上手く使って、ものすごいエネルギーに転換したい。

でも私は基本なまけものなので、自分で自分にルールを課すことは苦手…と、反省しながら書いております。

「ルールをつくる」ということについては、また今度考えてみよう。

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しほ
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