『閃光のハサウェイ』を観て考えたこと
こんにちは。
劇場作品『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』(2021年6月公開、8月現在上映中)が、興行収入20億円を超えたのだそうです。ガンダム映画では興行額の歴代最高も狙えるとのこと。
ところで以前、自分は ↓ こんな記事を公開していました。
ふつう、こういう場合は観た後も記事を出すものなんですけれども、なにせ、映画やアニメにかんする専門的なことはなにひとつ知らないので、「このくらいのこともう誰かが言ってそうだなぁ」ってことばかりが浮かんでは消えていきました。
でも、友人から「もったいなっ」(ボソッ)と言われたので、ちょっと書き留めておこうと思います。
◆「ミノフスキー・フライト!」
今回の記事で触れるのは、「ミノフスキー・クラフト」技術の呼称変更についてです。
ANTAさんという往年のガンダム・ファンの方の動画でも言及されているのを見つけたのですが ↓ (気になる方はぜひチャンネル登録を)
原作小説で「ミノフスキー・クラフト」と呼称されている〈ΞG(クスィ―・ガンダム)〉や〈ペーネロペー〉搭載の飛行技術が、劇場版では「ミノフスキー・フライト」という名称へと変更されています。
上記の動画内ではこの変更を「観客に機能をわかりやすく示すため」の変更であろうとご指摘なさっています。おそらくこれは妥当な分析でしょう。
しかしこの変更から窺えることは、例えば、
ハマーン・カーンの「フッハハ――アステロイド・ベルトまで行った人間が戻ってくるって言うのはな、人間がまだ地球の重力に引かれて飛べないって、証拠だろ?」(『機動戦士ガンダムZZ』第47話、1987年1月31日放送)というセリフや、
シャア・アズナブルの「地球に残っている連中は地球を汚染しているだけの、重力に魂を縛られている人々だ!」(『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』、1988年3月12日公開)というセリフを参照してみると、
意外と重要な点ではないかと思います。
どういうことかというと、この「ミノフスキー・クラフト」という技術は、大気圏を音速を超えるスピードで飛翔できる、という作中での描かれ方だといまいち特徴が掴みづらいですが、
本来この技術の強みというのは、大気圏内/外(=宇宙空間)どちらの環境でも換装なしにモビルスーツを飛行(推進)させることができる、というものだったのではないか? と私には思えます。
もうすこし言い方を変えると、大気圏内から宇宙空間に、そのままモビルスーツを飛び立たせることができる推進機関だというのが、本来の「ミノフスキー・クラフト」の機能的強みであったはずなんですね(「クラフト」は「技術」。ドイツ語の「クンスト」に同じ。ミノフスキー粒子(架空の粒子)が形成する力場(磁場のようなもの)を利用して推進するため、ロケット・エンジンのように推進剤などを要しないとのこと)。
しかし今回の劇場版ではこれを「フライト」、つまり空(=大気圏内)における航空機の飛行、という意味で使用される語に変更しているわけです。
地球上と宇宙空間を対比的に表現している、上記のハマーン や シャア のセリフに立ち戻ると、この「ミノフスキー・フライト」への呼称変更はつまり、「ミノフスキー・クラフト」の飛行性能を、観客に対して語用論的に見えにくくしていることになります。
読解のセオリー的にいえば、この地球上と宇宙空間という対立項に、それぞれ「生活の場」と「観念の場」という対比を割り当ててみるところですが、ここに関しては、ほかにも「物質と精神」、「過去と未来」、「リアリズムとロマンティシズム」など、さまざまな概念を割り当てることができます。もちろんこうした対比は、ハサウェイ(の陣営)から見た対比ということになります。
宇宙世紀100年代という作中舞台においては、宇宙を単純に地上に対比させることは、本来すこし難しいです。宇宙コロニーが老朽化してきているという設定がありますし、宇宙にも、人の生活があるわけですから。
ですから、差し当たって今回は、ちょっと庵野秀明っぽく(?)「現実(リアル)と虚構(フィクション)」の対比を割り当てておきましょう。
「ミノフスキー・クラフト」とは、地球上と宇宙空間どちらも自由自在に飛行・航行させることができる装置です。これは、地球上から宇宙空間へとモビルスーツ(およびパイロット)を自由自在に移動させることができる装置ということと、ほぼ同義です。
そしてこの構図は、『閃光のハサウェイ』においては主人公のハサウェイ・ノアが、現実(リアル)の自分から虚構(フィクション)の自分(=マフティー・ナビーユ・エリン)への移行のために「ミノフスキー・クラフト」搭載機〈ΞG〉に搭乗するという作中の構図と重なっている、ということができます。
映画版でも、ハサウェイが〈ΞG〉のコクピットに乗りこみ起動させている際、コンソール・パネルにパイロットの登録者名が表示されていますが、その登録名は「マフティー・ナビーユ・エリン」となっています。
つまりハサウェイは劇中において、〈ΞG〉に乗りこみ起動するという行為によって、〈マフティー〉へと identify (自己認証)しているのです。
しかも本作では、ハサウェイが〈ΞG〉に乗りこみ、地球の重力から自由になって飛翔できるようになるという構図は、さらにハサウェイがメイン・ヒロインであるギギ・アンダルシアへの執着を断ち切ることで自らの使命の方に identify (自己認証)する、という構図とも重なるかたちで作劇されているわけですから(「僕は変わるよ、変えてみせるよ」というハサウェイの心内語のシーンです)、ここにおいてギギは、地球という惑星に、構図としては割り当てられていることになります。
おそらくこれは、「逆襲のシャア」のヒロインであるクェス・パラヤから引き継いだ構図ではないのかと思います。クェスも、地球と重ねられていた。だからこそ、「逆シャア」のハサウェイはクェスの死後言うのです。
「やっちゃいけなかったんだよ。そんなこともわからないから、大人って、地球だって平気で消せるんだ」
このセリフは、だからハサウェイの心情を語るものであるとともに、映画「逆襲のシャア」そのもののテーマとも共振するものになっているのです。
「閃光のハサウェイ」におけるギギも、こうした構図を引き継いではいますが、両作では作中における地球の位置付けがやや異なるため、クェスとギギがハサウェイにとって完全におなじ意味合いを持つ、と読むことはできないのではありますけれども。
さて、ではハサウェイがマフティーへと移行する鍵となっている〈ΞG〉という機体に搭載された「ミノフスキー・クラフト」が、「ミノフスキー・フライト」という名称に変更されていることからは、いったい何が窺えるのでしょうか。
勘のよい読者の方にはもう予想がついていると思いますが、ここに「ミノフスキー・クラフト」が「大気圏内から宇宙空間に、そのままモビルスーツを飛び立たせることができる推進機関」であることが関係してきます。
ハサウェイは、「ミノフスキー・クラフト」の搭載された〈ΞG〉に搭乗したとしても、〈宇宙〉(=「観念(理想)」「虚構の自分」)には到達することができない、ということを「ミノフスキー・フライト」という名称への変更は、暗示してしまっているように思えてならないのです。
つまり、宇宙ではなく、地上で死ぬ、という結末が、すでに暗示されているのではないか、という読みです。ハサウェイ生存というアナザー・ルートは、おそらくないのではないか? と私にはそう思えてなりません。
これが、「ミノフスキー・クラフト」が「ミノフスキー・フライト」へと名称変更されていることから窺える、劇場版『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』の妄想的読みであり、劇場版三部作結末の予想です。
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