『マーケティング』の意味が変質?…【古】生活者への価値提供⇒【新】売れるしくみに上手く乗っかる
どうもひっかかる。腑に落ちない。
世の中の人のマーケティングという言葉の使い方だ。
「マーケッターとは生き方だ!」と僕は今年の元日の記事で描いた。でも、マーケティングというタイトルやハッシュタグを付けてる記事を検索すると、どうもそうではない記事がやたらと目につくのだ。
例えば以下のようなテーマの記事が『マーケティング』ということに世の中はなってるらしい。
●SNSでフォロワーを増やす方法
●Instagram広告でLPへの誘導率を上げる方法
●SNSを意識したこれからのSEO対策
●儲かるビジネスモデル開発
●インフルエンサーとしてのコミュニケーション技術
●売れるネーミングとラベルデザイン
●コンバージョンを上げるUI/UX
いや。
確かにそういう方法論も生活者にモノやサービスの価値を伝えるには重要だ。僕も実際、マーケティングのテクニカルな部分を学習して、それを組み合わせてクライアントに対して助言してきたのは否定しない。
でもそれもこれも、最後にお財布からお金を出して払ってくれるお客様にとって『提供価値』があることが前提だ。
提供価値のないものを『テクニック論』だけで売ろうとしたり、人気を得ようとするのはただの詐欺ではないのか?
また、世の全ての方法論に何でも通用する『一般論』はそんなにはなくて、提供価値に合わせてその伝達手法や表現手法を変えるべきもの。
なので、9割のケースに適用できる方法論も、あなたの考えた『素晴らしいサービス』には合わないかもしれない。
そもそも、既存のSNSとか検索エンジンなどのプラットフォーマーの内部ロジック自体が、新しい価値サービスとマッチしない可能性があるのだ。
その場合は、プラットフォーム(デバイス、OS、通信回線、実販売チャネル、ショールーム、コミュニケーションアプリ等)そのものを再開発する必要があるかもしれない。
上記の分かりやすい例に限らず、
破壊的イノベーションや単純な競争論とかではなくて
実事業者から価値を吸い取って、市場を潰す・減衰させるプラットフォームというのはあって、それに乗っかって儲けようとするってことは市場を潰す片棒を担ぐということだ。