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「ヒロシマの物語」は遠い日の昔話ではない 2017年7月21日

 自称「書けなかった女」神垣です。


 広島では夏になると、

 カンナやキョウチクトウの花を

 街のあちこちで目にします。

 原爆投下により、75年間草木も生えないといわれた焦土に
 いち早く咲いた花として
 キョウチクトウが広島市の「市の花」に制定されているためも
 あるのでしょうが

 とりわけ、川のほとりに多く、
 キョウチクトウが咲いていると
 夏の到来を感じ、8月6日が近いことを意識します。


 昨年、仕事を通じて
 被爆者の方の話を聞き取りする機会がありました。

 肉親以外から原爆が投下された日のことや
 その後の惨状を直接聞くのは初めてで

 被爆の事実は被爆した人の中に
 ずっと消えることなく残り続けていることを目の当たりにし
 なんともいえない気持ちになりました。

 悲しいとか、気の毒とか、ショックとか
 言葉にできない
 なんともいえない感情です。

 今回、紹介する
 朽木 祥さんの「八月の光」には、
 この“なんともいえない感情”が描かれていて
 心に残りました。


 本書の一篇「カンナ」は
 キョウチクトウ同様、
 夏に咲くカンナに生きる希望を見出し、そして
 毎年その花を見ることなく亡くなった少年の話です。

 毎年、広島の街に当たり前に咲く花があり
 当たり前に流れる川があり
 当たり前に生活している人がいて、
 わたしもその一人です。

 でも、その当たり前が一瞬にして奪われ、
 朝まで一緒にいた家族を目の前で、あるいは
 生死の痕跡を知ることもなく、知らされることもなく
 失った人たちが、今も確かに存在しています。

 日常がある日、跡形もなく消えてなくなる。

 それは原爆だけでなく、地震や水害や
 原発事故や病気でも起こりうることです。

 本書は児童向けの短編集ですが
 年齢を越えて感じるものが多くあります。

 学校の夏休みが始まりましたが
 「ヒロシマの物語」は遠い日の昔話ではないことを
 本書を通じて知ってもらえたら、と思います。

朽木 祥 著「八月の光  失われた声に耳をすませて」

 いろんな思いが交差して、うまくまとめられませんでした。
 本書のあとがきの一文を紹介します

  数でしかない人びと、数でさえない人びと。
  命がそこにあったという事実さえ、消えてしまったことになります。
  ヒロシマの物語を書くということは、
  あるいは読むということも、
  そのような人びとの『失われた声』に耳をすませることなのだと
  私は考えています。
  その声がもし心の深いところに届けば、
  私たちの未来にも希望があるかもしれません。

朽木 祥 著「八月の光  失われた声に耳をすませて」

朽木 祥さんは被爆二世の児童文学作家。
これまで多くの絵本や児童書を出版しています。

(VOL.2904 2017年7月21日 配信 【仕事のメール心得帖】あとがきより)


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