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【地味に傷つく】人の名前を間違える人

私は昔から名前を間違えられやすいです。珍しい名前なので、見慣れていないというのもあるでしょう。しかし、間違えずにきちんと言える人ももちろんいます。この差は何か?この名前で生きてきて30年、私の中で積み上がってきた統計があります。さすがにね、30年の経験からですから。


名前を間違える人、なぜ?

人の名前を間違える時点で、相手に対して興味がないのだと思います。または、注意散漫な人ですね。間違えた人が悪だとは言いません。しかしね、ここからが重要です。はじめて出会った人と、何度も会っている人の違い。前者はともかく、後者は「だめでしょ」と思います。

すでに知った仲であっても

私が今でも心に残っているのは2つの出来事です。1つ目は、ある趣味の集まりで半年の間に10回以上は顔を合わせている人からのものでした。もう何度も会って喋っているのに、急に名前を間違えてきたのです。「えっ!?」と私は驚き。こんなことってあります?この日から申し訳ないけれど、私の中で信頼度はガタ落ちしました。残念な気持ちが大きかったです。

2つ目は、仕事において。チームのメンバーが、私を人に紹介する時でした。「あー、えっと、苗字なんでしたっけ?すみません」なんて言われたことがありました。毎週MTGをしていた中でした。しかし、私の名前を覚えていない、または思い出せないほどに忘れていたのです。こんなことってありますかね?ずっと協力し合ってきたと思っていただけに、どうしようもない虚しさがありました。

わざと間違える人

私は中学生の頃、ある女の子に目をつけられたことがありました。それで、わざとらしく名前を間違えてきたことがあるんですよね。私はこの時「は?◯◯なんだけど」と冷たく言えば、「あー」みたいな声でうやむやにされたことがありました。それ以来何も言ってこないようになりました。

悪意ある間違え方はなんとなくわかります。嫌がらせですよね。この件しか経験はありませんが、嫌がらせに対しては私の対応もきつめになります。名前って、大切ですよ。

間違えるのは、ボンヤリの証拠

ともかくここでお伝えしたいことは、無意識に名前を間違えてしまう人が一定数いるということです。しかし、それでも30年間の人生で数えきれないほどにありましたね。病院の受付とか、宅配便の人、面接の時、先生、電話口、またある時には紙に印字された名前をなぞりながら間違えてくる凄い人までいました。

いずれも直感的にわかったのは、そういう人たちってボンヤリとしているんですよね。目の奥の感情を見れば、すぐに気がつけます。思考停止のままにぼんやりと言葉を放っているのです。だから名前を間違えます。

一時期は、なぜか自分を責めた

私の名前は確かに見慣れないです。非常に珍しいタイプです。佐藤さんとか鈴木さんとはワケが違いますからね。見かけない珍しい自分の名前に対して、20代前半までは本気で嫌でした。悲しみが大きかったです。人に覚えてもらえない名前だと実感します。

受け入れること

しかし、一発で覚えてくれる人もたくさんいました。むしろ「かっこいい」「由緒あるお家?」など、興味を示してくれることもありました。すごくありがたかったです。自分の名前を恥じたことがありますが、一方では印象に残ることもあるのです。プラスに考えようとマインドを切り替えました。自分を責めることはやめました。受け入れたのです。

むしろ、いい見極めになる

名前を間違えてくる人は、自分に対して興味がないってことです。どうでもいいってことなんですよ。それがすぐにわかるのですから、ある意味いいじゃないですか!とすら思うようになりました。自分なりの判断基準になりますね。

いちいち耳を傾けなくていい

人の名前を間違える時点で、目の前の人と向き合えていないことを表しています。心ここに在らずでしょう。注意散漫。ぼんやり。本当にどうでもいいんですよね。そんな適当な扱いをしてくる人、こちらももうどうでもよくないですか?ここにいちいち心を傷ませて悲しんでいたり、イラっとしたり、感情を揺れ動かしていては自分の精神が持ちません。

間違いは誰にでもあるけれど、名前はどう考えてもだめです。おつりを間違えました、とはわけが違うのです。取り返せない信頼があります。なぜなら、名前はその人そのものを表しますから。間違えても仕方がないというのは、私の中では全く通用しません。30年間の経験上、私なりに見てきた信頼における人との分かれ目はここにある気もします。

行きようのない気持ちへの向き合い方

誰かを責めたいわけではない。けれど、なんだかモヤモヤする。こういった感覚は人生につきものです。私の場合は、前述のとおり名前を間違えられる度に感じていた頃もありました。ですが、意識次第でどうにでもなります。

いちいち訂正することもないくらい、「あーはいはい」みたいな感覚に変わっていきました。向こうが適当ならば、こちらもそれなりにしていくこともあるからです。ここに固執していたら、自分を追い詰めるばかりです。


すごい言葉が目白押し。読みながら、一人こっそり笑わせていただきました。

もう少し適当になったっていいんだと気づかせてくれたのが、こちらの本たち。その著者は、カマたく氏。新宿・歌舞伎町のBARで働きつつ、キレッキレの人生名言をSNSやYouTubeで発信されている方です。「お前、誰?」という何ともいえないパワーワードに、思わず笑っちゃいます。すごいなぁ。

※この記事は、2024/3/3 に書いたものです。
※【私のブログSTART】2024/2 WordPressにて開設→2024/4 現noteに移転

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