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精神性が高いとは、何だろう?

人は同じ精神レベルの人としか関係は深まらない。どこかで聞いたことがあります。私はこれ、本当にそうだなと思っています。しかし、それを測るものはないので、「なんとなく気が合う」と結論づけるわけです。


精神レベルとは?

そもそも、精神レベルの基準がわからなければ、この話は何も進みません。先に言っておきますが、学歴的な意味での頭の良さは関係ないと思っています。これは精神云々ではなく、記憶力や情報処理能力なだけだから。では、精神を測るものは何でしょうか。

結論、愛のある人

精神性の高い人は、道徳心ある人とも言えると思います。もっと大きくいえば、愛のある人です。博愛、自己犠牲に近い貢献の愛な意味で。逆に、精神性が低い人は、自分本位でわがまま、感情のままに口数が多いイメージがつきます。

バランスが崩れるから苦しくなる

もし、ある人との人間関係がキツイなと感じたら、それは互いの精神性に差が大きく開いている可能性があります。・・・なんて言うと思ったら、大間違い。差が開いているということは、片方が愛のある人に近いとも言えますよね。すると、忍耐をもって接することもできます。これは苦しみとは違います。

何が言いたいのかといいますと、人間関係がキツイと感じてくる理由は明確で、お互いの精神性が低いからです。私たち人間は、自分のことは正しいと思いたいものです。そして、相手に対して気に障ることがあれば、悪い見方をしてしまいます。自分に甘く、他人に厳しい精神ですね。こういうことが、精神性の低さだと思っています。

なんとなく気が合うは、なんとなくではない

ですから、「気が合うな」と感じられたら、お互いまたは片方が、愛のある人だということ。精神性の高い人です。何かしらの共通点を見つけくらいでは、気が合うなんて測れません。そういうものではなく、愛の精神がなければこの感覚が生まれないのです。

あとがき

そもそも、なぜこんなことを私は書いているのだろうと、ふと感じました。きっと、聖書の影響なのだと思います。私はここずっと聖書を読まずに一日は始められないし、終えられないです。それくらい大好きな書物です。その聖書には、こういった「互いに愛し合いなさい」や「愛は忍耐強い」なども書かれています。

私はこういった聖書の教えに心から感動しているので、小手先のテクニックなどは好みません。人間関係のもつれって、結局は愛次第なんですよね。もちろん、ビジネスも。現代の生きづらさというものは、きっと精神性の総崩れからくる、愛の枯渇なのかもしれません。


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