Eminemの「Darkness」から見える音楽の社会的存在価値とは


Eminem「Darkness」と銃社会

2020年1月17日にEminemが発表した新作「Music To Be Murdered By」の収録曲「Darkness」とシギの「怪物」に

・事件の加害者の視点から書かれた歌である

・そこから社会に対しての問題提起(「Darkness」の場合は銃社会、「怪物」の場合は無差別殺人犯の環境、それによる精神的問題)

などから親和性があると感じました。

「Darkness」は2017年に起きたラスベガス・ストリップ銃乱射事件の容疑者スティーヴン・パドックの視点で書かれた曲です。

ショーを控えるエミネムと、大量殺人半の孤独な心情を重ね合わせた歌詞になっていて、殺人犯もスターであるエミネムも、そのエミネムのリリックに共感するリスナーも

多かれ少なかれ誰しもが孤独や鬱屈した気持ち、怒りを持ち合わせていてその事件という導火線に火をつける可能性は多くの人が持っているものだと感じさせられます。

MVのラストには

「When will this end?When enough people care.(これはいつ終わるんだ?それは十分な人々が問題性に気づいた時)」というテロップが流れ

法律を改善するために投票を促す内容になっており、銃規制を求める内容になっています。


今までもそうですが、

今後はこのように社会的なアクションをしていく人がもっと増えていくと想像します。

近年ではアメリカの社会問題、人種差別を曲にしたChildish Gambino「This Is America」、Kendrick Lamar「Alright」が挙げられます。

Kendrick Lamarは現状を認識しながらも、自暴自棄にならず希望を持って生きられるよう希望の歌として書いたとしていますが、一部のジャーナリストからは「犯罪を助長させるものだ」と批判を受けています。

このように社会的な出来事は「事実は小説よりも奇なり」という具合にそこらへんにある物語よりも辛いものが多く、

そこには沢山の鬱憤や怒り悲しみ、事情が入り組んだものが存在します。

社会を歌うということは、その問題の蓋をあけるということです。

聴きやすいポップスとして、恋愛や日常のあれこれを歌っているだけでは起こらないような批判にもさらされる事になります。

しかしこの問題というのは、実際に生きている人達が抱えている問題です。それをないふりをせず、自身に批判や誤解が及びながらも社会的なメッセージを伝え続ける芸術家の存在を心強く思います。


日本でもこの先もっと社会的なアクションをする人は増えるでしょう。

昔は「野球と政治の話は飲み屋でするな」などと言われ

自分の意見を公にする事がタブー視されるような空気感がありました。

教育もディスカッションをするよりも

暗記すること、求められる正解を答えることなど

正解ありきで、答えのでない問題に対する思考の仕方などは教わる機会がありません。

しかしネットが普及する事で世界中の情報やそこに生きる人の意見が活発に表現される世界になっています。

好むと好まざるとに関わらず

この流れが後退する事はないでしょう。


この先は有名無名、職業、年齢差別性差に関係なく

多くの人が自分の意見を持ち、

他人事ではなく自分ごととして世の中の問題に向き合う時代が来ている、

そんな熱を感じます。

今のままでいたい人は、

そういう行動を起こす人を批判し侮蔑するような事も起こるでしょう。

成熟した国において、経済的な成長も頭打ちし

安定安心の定義がどんどん崩れていく世の中で

「上の人間が提示したものを信じてその通りに生きる時代」から

「自分の頭で考えて自分を生きていく時代」へ

移行するスピードが速まっていると感じます。


今、時代の過渡期にあります。

今まで通りの「言われた通りに」「自分の意見より常識と世間の目を気にして」という声と、

「自分を生きる時代だ」「あなたらしくありなさい」

という声の間で

不安や苦しみの声を押し殺しながら生きている人は少なくないのではないでしょうか。

周囲からの抑圧に自分を押し殺すことが普通になり

自分がわからなくなり、鬱屈した感情が爆発する人、

爆発しそうな人が今も日本に限らず存在すると思います。

それは、特定の人がなるものではありません。

心を持って生きていれば、

自分の心を殺しながら生きていくことは苦しい事です。自然な苦しみです。


共同制作者がNetflixのオリジナルシリーズ「マインドハンター」を挙げました。

これはシリアルキラーの家庭環境にスポットライトを当てる事に

重きを置かれている作品で、シリアルキラーの多くは家庭環境の人間関係に問題があるそうです。

この作品も「怪物」との親和性を感じました。



話をシギに…

EPICから発売した「輝いた」からもう11年が経ちました。

POPで聴きやすい音楽から一転して今なぜ「怪物」を作ったか。

重い、聞き苦しい、辛い、と感じる意見があるのは承知の上です。

どこまでいっても音楽は娯楽ですが

その中にも社会的意義が求められている時代だと感じたからです。


社会的意義に応えるために必要なのは

「自分を大きく見せる」

「自分ではない立派な自分になる」ではなく

もっと自分自身に帰っていく意識なのではないか、と自分に感じました。


等身大の自分ができることで応えていく。

自分を苦しめるばかりの努力や、心を殺す必要のないもので、応えていく。

それが自分にとっても社会にとっても、求められる姿だと感じています。

シギはシギの立場で、自分の心だからこそできる役割を全うしたい。

抱えて来たトラウマ、弱さや強さ、性格の癖、それらを素直に抱えるからこそ歌える歌がある。

今はそういう想いで制作しています。



怪物という作品について

怪物という作品は自分を生きることを否定され、

親の言いなりに生きた「彼」の気持ちが爆発する事で生まれる悲劇を歌っています。

私はこの曲にジャッジをいれていません。

そしてこのような歌に感動をいれないよう気をつけました。


自分を生きてはいけないという否定から生まれた悲しみが怒りに変わり

導火線に火がつけられます。


日本でも秋葉原で起きた無差別殺人事件、川崎の登戸で起きた無差別殺人など、海外でもいじめが原因で起きたコロンバイン高校銃乱射事件など

加害者の心の中に持つ苦しみや怒り、孤独。

ただ出来事を批判して土に埋めるだけでは、この先も悲しい事件は起こり続けると思いました。


批判や悲しみを脇におき、この悲しい事件が起きた背景に何があるのかを

加害者でも被害者でもない多くの人が感情を挟まずに見つめること

そしてそれは、置かれた環境次第では自分もそうなっていたかもしれないという可能性などを静かに見つめ、考えることが

悲しい事件を減らすきっかけの一つになるのではないかと思いました。


誰からも理解されないと人の心は固くなり、凶器に変わる人もいます。

凶器にならずとも、自らの命を絶つ人もいます。

凶器や自死になる前の段階から、私たちにできることは人の心にある痛みに眼差しを向けることが大切なのではないでしょうか。

多くの人にできなくても、身近にいる人に対して、

眼差しを向けることは可能です。

そしてその眼差しを人に向けられるためには、

まず自分自身の心に広く優しい眼差しを向ける余裕が大切になります。


悲劇的な事件を起こした人の物語を

聴く人がジャッジをはざまずに見つめられる材料(メロディの先入観やアートワークなどからイメージされることは防ぎきれず、だからこそこうしてここに想いを書きます)として歌を存在させるのも

私にできる役割の一つと感じました。

怪物の歌詞を掲載します。



「怪物」 作詞・シギ

誰にも愛されない 生きるだけで苦しい

どいつもこいつもくそ 全てが僕の敵だ


彼は子供の頃 厳しく親に育てられてた

家には沢山のルールが決められていた

何をしていいか悪いかは全て親に決められてた

彼らしさなんてくそほども求められていなかった


そして彼は優秀な人間になる

スポーツも勉強も大人受けも忘れずに身につけてた

その全て母親が作り出した理想の作品だった

無条件に愛される 人々が憎いと思った


誰にも愛されない 生きるだけで苦しい

どいつもこいつもくそ 全てが僕の敵だ


六月の激しい雨が打ち付ける日

彼は乗り込んだトラックで多くの人を轢き殺した

荷台に積んだ散弾銃を逃げる人たちに発砲した

ひとりの女性の身体中に弾が突き刺さった


大量に血を吐く彼女には愛する子供がひとり

彼女は子供を学校に送った帰り道だった

手を振る子供の笑顔と夫と初めて会った日のことを

ぼんやり思い出してた まさか今日が最後の日になるとは


誰にも愛されない 生きるだけで苦しい

どいつもこいつもくそ 全てが僕の敵だ




シギの音楽は、

怪物のように行き場のない気持ちを抱えた人の物語を書くと共に、

自分の気持ちを否定せず大切にすることと

自分の中に眠る強さを信じて不安を引きずりながらも生き続ける強さを

感じられるような音楽でありたいと思っています。

どの時代にも、どの国にも、どの年代にも。

苦しみながらも、それでも人は生きたいと願うものです。


「苦しみを持ちながらも自分を生きることに希望をもてる歌」

一見矛盾しているように見えます。

暑苦しいかもしれないし、重いかもしれません。

ただの希望ばかりを並べた方が、うけるかもしれません。

それでもこの歌をうたう必要があると思っています。


この次は「弱者」という曲のMVを発表します。

この曲は怪物とはまた違うアコースティックな曲です。

また弱者のMVが発表できた時、弱者にこめた想いをここに書きます。


自分を生きたいと願う人や、社会で心を削られてしまった人が思っている本当の声を隠さずに歌に残していきます。人が自分の人生を自分で生きていくことを音楽で支持していく活動をします。どうぞこの活動を広げるサポートをお願いします。