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その集団には希望が無いという事なのだ。

『そしてこうした解釈をする人たちにとって自然界や、あるいは人間社会において、一見無駄と思える形質を持つ個体や、ほかよりも弱そうな個体、あるいは「普通とは違う」と判断される人物は「不完全」「不適格」「できそこない」といった無用ともいえる存在に見えることも多々あるようです。進化の本当の意味は、生物の「試行錯誤」の繰り返しであり、その試行=形や性質の変化が「正解」か「誤り」かを決めるのはそのときそのときの自然環境にすぎず、当然人間が決めることではありません。そして生物は、たとえ今自分が持っている形質が「正解」だったとしても「いつまた環境が変化するかもしれない」という不確実性に備えて、つねに「新しい変化」=「遺伝子の変異」を生み出し続けます。そして、生物の世界では、人間から見て「無駄じゃね?」と思える形質が意外と生き残っていることがあり、そうした「一見無駄と思われる形質」にも実は存在意義がちゃんとあったりするのです。この事例を実証されたのが日本で私が注目している昆虫学者のひとり、北海道大学の長谷川英祐先生です。生態学の分野では無双のベストセラー『働かないアリに意義がある』(メディアファクトリー新書)の著者です。この著書のタイトルのとおり、長谷川先生はアリの巣の中で働きもせずにゴロゴロしているだけの働きアリの存在意義を明らかにされました。アリという昆虫は、その遺伝的構造が特殊で、基本はすべての個体がメスでオスは交尾の時期にだけ生産されます。そして女王とその娘たちである働きアリから成る「家族単位」で生活しています。働きアリは自分たちの巣を守るためだけに、エサの採集、女王が産む子どもたちの育児、そして敵の襲来に対する防御などを行います。自分に与えられた使命を、生涯をかけて果たすように遺伝子によってプログラミングされているのです。働きアリにとってはそうした生き方こそが自分の遺伝子を共有する姉妹たちの生存率を上げることになり、ひいては働きアリの持つ遺伝子が次の世代に残る確率を最大化することにつながるようにできているのです。こうしたアリの徹底した社会システムを「真社会性」といいます。ダーウィンの「自然選択説」に基づけば、真社会性昆虫の巣では、全員が否が応でも働き者になるはずです。もし、少しでも「怠け者」が出てくれば、ほかの巣とエサや住処をめぐる競争で負けてしまいます。だから「怠け者」の存在する余地なんて「理論上は」寸分もないことになります。しかし、事実は理論より奇なり。実際にアリの巣を観察していると、ほかの働きアリがせっせと働いているのを尻目に、1日中、なにもしないで巣穴でゴロゴロして過ごす「怠け者」が存在することがわかったのです。怠け者といえどエサは必要ですから、彼らもちゃんとエサだけは食べます。まさに無駄飯食いです。こんな働きアリが巣に居候されたのでは、全個体が働き者という巣が別に存在したら、その巣に競争で負けてしまい、子孫を残すことが難しくなります。なので「怠け者」を作り出す遺伝子は自然界からは淘汰されて消滅してしまうはずです。ところが怠け者にもちゃんと存在意義があったのです。この怠け者がいる巣から、働き者のアリを除去してみると、今まで怠けていたアリたちが働き者に変化して、せっせと働き出すことがわかったのです。どうやらこの「怠け者」たちは、労働量が不足する事態が発生したときに巣全体の労働量を補填するための予備軍らしいということがわかりました。もし、予備軍がなく、巣全体で100%の労働パフォーマンスを発揮し続けていたら、不測の事態が生じたときにパンクしてしまうことになるでしょう。アリの巣は最初からこの不測の事態を織り込み済みで、つねに怠け者が生じるように遺伝的にプログラミングされているのです。怠け者を「予備軍」と読み替えるだけで、皆さんの中でも、その存在に対する印象がガラリと変わると思います。結局「怠け者」というレッテルは人間の先入観がもたらしたものにすぎず、実際には彼らは働かずにじっと力を蓄えて待機する、という「仕事」をしているのです。~ところがこのアリの巣を観察していると、アリたちはエサ不足になると、このダニを食べてしまうことがわかったのです。つまりこの居候のダニは、いざというときのための「非常食」だったわけです。一方のダニのほうはなぜ食べられるかもしれないリスクを無視してアリの世話になる生き方をしているのか? おそらく、ダニがアリの巣の外で単独で生きていくとなれば、天敵に襲われる可能性が高いからです。そうであれば、たまに食べられるかもしれないとしてもアリの巣の中で世話してもらう生活のほうが、自分の子孫を残せる確率が「相対的に」高いと考えられます。こうしてアリとダニ双方がいつ訪れるかわからない食料不足という不確実性によって共生関係を進化させてきたと考えられるのです。「働かないアリにも意味がある」ことを発見された長谷川先生は、以下のようにも指摘しています。「生物の進化の背景には、短期的・瞬間的な適応力の最大化という自然選択だけでなく、持続性という長期的な適応力も重要な要素として存在する」。自然選択説を単純な「不要物排除論」として捉えるのは人間の主観にすぎず、自然界で繰り広げられる進化のメカニズムとプロセスは、人間の想像をはるかに超える複雑さと奇想天外さに満ちているのです。生物は変化を続けます。それは遺伝子が変異をし続けるからです。適応力が極端に弱い変異はすぐに淘汰されて自然界から消滅することでしょう。適応力は弱いけど、自然界の中で微妙なバランスでマイノリティーとして残る変異もあります。あるいは箸にも棒にもかからないどうでもいい変異が自然界でぶらぶらとほっつき歩くこともあります。自然界にはさまざまな遺伝子の変異が蓄積され、いろいろな遺伝子からいろいろな種が生み出され、とてつもなく多くの種が豊かな生態系を作り、この地球には生物が織りなす多様な世界が展開されるようになりました。これが皆さんもたまに耳にする「生物多様性」の正体です。遺伝子、種、そして生態系というそれぞれのレベルでの多様性は過去から現在までの進化のたまものであるとともに、生物たちの未来に対する「備え」=「希望」でもあるのです。』

『「備え」=「希望』』と捉えると生産性を突き詰めて効率化を極めてしまうと常にギリギリの自転車操業と同じでその集団には希望が無いという事なのだ。

「あえて怠け者を許す」働きアリの不思議な生態
人間が軽視する「働かないアリ」の生存理由
https://toyokeizai.net/articles/-/374615

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