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書くことは、癒しになる

今月末まで開催中のままフリーランス養成講座・通称ままフリの中で、
まずは自分の気持ちをnoteに書くことから始めてみようと思います
とコメントしてくれた参加者さんがいた。

「在宅で仕事ができるぐらいのWEBスキルを身につけてもらう」
ことを念頭においた講座だったので、極力精神論的なことは省いて
ゼロからスキルを学んでもらうことに終始していたけれど、参加者さんのその一言から、どうしても伝えたいことが溢れてきてしまったので、久しぶりにこうして記事を書いている。

私のこのアカウントの中で、ダントツ読まれている記事はこれ。

当時の日記から抜粋した内容で、正直こんなに沢山の人に読まれるとは微塵も思っていなかった。

しかも見ず知らずの人からのコメントもついていて。

「流産の体験なんて、わざわざ公表するものでもなかろうに」「こんなの書いて公表して何になるんだろう」と思う気持ちもありつつ、「この経験を一生忘れたくない」そして、私がとある方の流産体験記を読んでそうだったように、「同じような経験をされた方、今その渦中にいる方に"こんな思いをしているのは自分だけじゃないんだ"と少しでも思ってもらえたら、自分も救われるような気がする」という気持ちの方が割と強いので、こうして書いてみることにしています。

note「妊娠9週、稽留流産と診断されてから手術後1週間までの記録」から抜粋

自分の気持ちを差し出してみることで、受け取ってくれる人はきっといる
この一連の出来事を通して、そのことが確信に変わりました。

自分の心の中のやわらかい部分。
こんなこと書いて何になるんだろう、って思うようなことにこそ
お金ではない、それ以上の価値が眠っているんだなぁと。
「価値」と表現するのも烏滸がましいと感じるような、
大切ななにか。
それを言葉にして表現することのパワフルさ。

***

「ならみおさんは、文章を書くことが元々お好きだったんですか?」

先日とある方のキャリア相談にのった際に、こんな質問を受けました。

好きと言えば好きだけど、その一言だけではないような気がする。

こうして自分の気持ちを文字にすること、世に放つことは
私にとって、癒しになっていると思う。
癒しであり、救いかな。

読んでくれる人がいることで、
私はひとりではない、と感じることができるし
話すと上滑りしてしまいそうなことも
それなりに熟慮して表現することができる。

そして何より、後から見返した時に、誰よりも自分自身が、力をもらえる。

あの時こんなこと考えていたんだなぁ、とか
本当に頑張っていたね、とか。
冒頭のnoteを今回久しぶりに全部読んで、泣きそうになった。
(いま仕事場でこの記事書いてるから自重したけど、家だったら泣いてた)

だからきっと私はこれからも、
こうしてその時々の気持ちを書き続けると思う。
誰に何を言われても、誰からも何も言われなかったとしても。

それが私にとっては、
「自分のことを大切にする」ことにつながっているんじゃないかなと改めて。







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