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妊娠9週、稽留流産と診断されてから手術後1週間までの記録

はじめに:妊娠した女性の約40%が流産している

第二子を妊娠し3度目の検診で「赤ちゃんの心拍が確認できません」と言われ、3日後再度みてもらったところ、やはり心拍が確認できず「稽留流産」と診断されました。

何事もなければこの日の診察後、母子手帳を交付してもらいに行く予定でした。夫に運転してもらっていた病院行きの車内で、母子手帳を発行してくれる施設にあるプレイルームを息子用に意気揚々と電話予約して向かった先での出来事。私にとってはまさに「青天の霹靂」でした。

日本産科婦人科学会の調査によると、

医療機関で確認された妊娠の15%前後が流産になります。また、妊娠した女性の約40%が流産しているとの報告もあり、多くの女性が経験する疾患です。妊娠12週未満での早い時期での流産が8割以上でありほとんどを占めます

とのこと。

改めて調べてみると決して低い確率ではないことがわかります。けれども当時の私はどこか、流産や死産は「起こりうることは起こりうるけど、自分には関係のないこと」と思ってしまっている節がありました。
そして恥ずかしながら、流産にはさまざまな種類があることも、自分ごとになって初めて知りました(知りたい方は上のリンク、日本産科婦人科学会のサイトを参照ください)。まさか自分が、自分の赤ちゃんがこんなことになるなんて。流産の事実を伝えられた時はショックで頭が真っ白になりました(実際貧血で倒れ夫と息子に迎えにきてもらった)。

誰にどう伝えるべきか、はたまた伝えずにいるべきか

妊娠9週は、一般的に「安定期」と呼ばれる16週目(妊娠5ヶ月)〜27週目(7ヶ月)の期間よりも前。一般的には「妊娠報告は安定期に入ってから」という空気が根強く、周囲への妊娠報告をしていない方も多い時期です。さらに、約40%と多くの妊婦さんが経験している流産でも、その詳細や報告をわざわざ公にするような例はあまりありません。

現在私は、1歳の息子の子育てをしながら、フルリモートでスタートアップ2社の経営とシェアハウス大家を仕事としています。

第一子妊娠時は幸運にも悪阻らしい症状が全くなく、産休に入るまでめいっぱい働けていたのですが、今回は悪阻がかなりひどく、子育てをしながらはたらくことも困難になってきているレベルでした。

そのため、夫婦それぞれの両親の他、一緒に働いている仲間やシェアハウスの住人には早い段階で第二子妊娠の報告と、仕事量の調整及び引き継ぎをしていました。

妊娠報告はみんな喜んで祝福、すすんでフォロー等してくれ、本当に本当にありがたかったのですが、流産したという事実はどう報告したらいいんだろう…。隠すことでもないけれど、でも報告されてどうリアクションしたらいいか困らせてしまいそうだな…と最初は悩みました。

結果、本当に最低限、やっとの思いでスマホに文字を打ち込み実親と同僚の経営陣には自分から直接報告し、あとの人たちには夫から伝えてもらうという形になりました。

直接連絡すべきだったのにできなかった方々には申し訳なく思っています。迷惑やご心配をかけてしまい、本当にごめんなさい。

そうした直接報告できていない方々や、その他普段から関わりのある方々にどうやってこの状況を伝えたら良いか。むしろ伝えないでおく方がいいのか。ずっと悩みました。今もこうして書いてはいますが、未だに迷っている自分がいます。この記事もやっぱり消すかもしれません。


「流産の体験なんて、わざわざ公表するものでもなかろうに」「こんなの書いて公表して何になるんだろう」と思う気持ちもありつつ、「この経験を一生忘れたくない」そして、私がとある方の流産体験記を読んでそうだったように、「同じような経験をされた方、今その渦中にいる方に"こんな思いをしているのは自分だけじゃないんだ"と少しでも思ってもらえたら、自分も救われるような気がする」という気持ちの方が割と強いので、こうして書いてみることにしています。

以降は最初に赤ちゃんの心拍停止宣告を受けてから、手術を受けるまでの1週間の日記から抜粋しています。あくまでも「私の場合」になりますので、参考程度に目を通してもらえたら嬉しいです。

6月29日(火) 3度目の検診。心拍停止を指摘される

前回の検診から2週間が経過。
この日は診察後母子手帳をもらいに行く予定だったので、行きの車内でいきいきプラザのおもちゃ図書館を予約するなどして意気揚々と病院に向かった。診察のあいだパパとたまは近場で待っていてもらうことに。ダイソーで絵本やおもちゃをみていたみたい。

いつも通り超音波検査。手足が生えてる。ちゃんと育ってる!
…と思ったのも束の間「心拍が確認できない」と言われる。

大きさ的には9週2日相当で順調に成長しているみたいだから、心拍が止まってしまったのはごく最近のよう。1回の診断では確定できないそうで、金曜日の9:30にもう1度病院で診察を受けることに。

自分の場合はおそらく「稽留流産」(胎児は死亡しているが、胎児そのものと胎児を保護するための内容物が子宮内に留まっている状態。個人差はあるが一定期間経つと自然に排出される)であろうとのことで、自然排出を待つ他に、日を決めて手術することで人工的に排出する、という選択肢がありました(後述しますが、結果的に自分はこちらを選びました)。

ただ自然排出したとしても、その際に激痛や大量出血を伴うリスクがあり、その際には手術や処置を行う必要性も出てくる可能性があるとのことで、その「もしも」の場合に備え採血と心電図検査を今日しましょう、と指示される。

採血直後に貧血になり、処置室で休ませてもらう。元々迎えに来てもらう予定だった夫に連絡して、息子を連れて産婦人科まで来てもらった。息子、わたしの顔を見るなり短時間だったが号泣。何かを察したかのようだった。少し落ち着いてから心電図検査を受け、会計して帰宅。5900円だった。

帰宅後、ベッドの上で泣きながら
「妊娠9週 心拍停止 復活 自然流産 稽留流産」
などのワードでひたすら検索。

再診を受ける金曜日までの3日間は、あかちゃんの復活を願ってもいいのかどうか、別れの覚悟を決めるべきなのか、よく分からず悶々とする長い日々だった。変わらずつわり症状はあったので、ほとんど食欲がなく、シェアメイトが作ってくれる夜ごはんもまともに食べられない。3日間、息子の世話以外は、ベッドの上で泣くか眠るか検索するかしかしていなかった。

7/2(金) 再診・流産確定。そのまま緊急入院


2度目の診察。やはり心拍は確認できなかった。「稽留流産」であると正式に診断される。涙があふれて止まらない。

また、前回検診を受けた時に持病の不整脈がかなり出ていたようで(強いストレスを感じると脈拍が乱れ、最悪の場合心不全を引き起こしたりするリスクもあるらしい)、大事をとってこの日から月曜日まで精密検査のため緊急入院となる。金土日の3泊4日で、ここ(市立病院)には循環器内科の専門医がいないので月曜朝に山梨赤十字病院に転院するように、と言われる。なんだか他人事みたいに、ぼうっとお医者さんの説明を聞いていた。

点滴すらしなかったが、4日間ずっと心電図つけっぱなし。看護師さんが気を遣ってくれて、(赤ちゃんの声が聞こえてしまうから)産婦人科病棟ではなく内科の入院病棟で、かつ今はコロナ用に基本空けられている個室を特別に確保してくれた。肝心のお腹のほうは、一向に変化がない。出血も痛みも、一切ない。入院中に出てきてくれたら…という淡い期待を描きつつ、その様子はどうやらなさそうだ。

今日はいなフリ最終日だというのに、本来であればメンターとしていなフリの現場にいるべきだった夫も、他の運営スタッフがフォローしてくれたおかげで朝の再診から夕方に入院するまでずっと付き添ってくれ、本当に心強かった。3泊4日、面会禁止なので夫にも息子にも会えない。実家の両親と、土日は妹が東京から帰って来てくれて息子を預かってくれた。本当に助かった。

この時間をもらえたことはいま振り返るとギフトだったなと思う。大したことはしていないけれど、久しぶりにPCを一切開かず、仕事のことを考えずに過ごす時間。今はただただ、悲しい。疲れた。なのになかなかこの日は寝付けなかった。

7/3(土)入院2日目。長い日記

体調も気持ちも昨日よりは安定してきた感があるけど、朝、産婦人科の先生と看護師さんが来てくれた時泣いてしまった。人のやさしさに触れるとダメみたいだ。北病棟(産婦人科の入院病棟)にしなくてよかった。

早く息子に会いたい。実家の両親が写真や動画や電話をいっぱいかけてきてくれてすごく助かっている。妹も予定をキャンセルして東京から帰ってきてくれたみたいで、ありがたい。

こんな風にゆっくりお茶やおやつを味わって食べ飲みしたり、山の稜線をぼーっと眺める時間をもらえたのはいつぶりだろう。

まさか出産から1年半後、産婦人科ではなく内科病棟に泊まり込みでこんなにゆっくりと時間を過ごす日が来るなんて思ってなかった。お空に帰ったあかちゃんからのプレゼントだね。本当にありがとう。

流産がわかってから、心電図検査で期外収縮が強く出て、きっとそれもあかちゃんが、私に「もっと自分を大事にして」って教えてくれたんだと思う。ごめんね、ちゃんと育ててあげられなくて。

両親の体質や生活習慣のせいではありません、染色体異常で元々そういう運命だったんです、と言われても、どこか自分に非があったんじゃないかと小さなことを色々と疑ってしまう。

もっと食べるものに気を遣ったらよかったのかな、息子が卒乳してからもお酒は一切飲むべきじゃなかったのかな、知らず知らずのうちに心にも身体にもストレスがかかっていたのかな…とか。そんなこと考えたって仕方ないよ、と思いつつも、考えてしまう。自分を責めてしまう。

それでも何か観ていたり読んでいたりすると気が紛れるので、Netflix観たりKindleで読書したり(心が疲れているので賑やかなものは見られなかったけど)、気ままに過ごさせてもらっている。

流産関連の情報を検索しまくっていた時、SNSで見つけた「おかあさん、お空のセカイのはなしをしてあげる」という本が丁度、KindleのUnlimitedで読めるようになっていて一気読みした。


そのおかげで心が少しラクになったというか、いつか息子が胎内記憶のこと話してくれる機会があったら聞いてみたいし、今回はちゃんと会えなかったけど、あかちゃんにまたいつか会える日が来るといいなぁ。と思えるようになった。その時には自分自身がしっかり準備して、万全の状態で彼?彼女?をお迎えしたいなぁと心から思った。

今回の妊娠は、振り返ってみると「焦り」があったなぁと思う。望んでいなかったわけでは決してないし、現にあかちゃんに会えないことがわかった今悲しくて仕方がないけれど、それでも。色々なことを置き去りにしてすすめて来てしまったような気がしている。

夫の育休が延長できる、第一子2歳になるまでのタイミングに合わせて、というのも実は100%納得できていなかったし(ちゃんとそのことを話さなかった自分が悪いと思ってる)、自分自身がこれからどんな風に生きていきたいかも定まっていなかったし。なんだかんだで忙しく、なし崩し的に日々を「こなして」きていたような気がする。そのことをあかちゃんは、見抜いていたのかもしれないなぁ。もう一度、自分自身とじっくり向き合うべき時が来たのかもしれない。そのための時間を、あかちゃんがプレゼントしてくれたのでは?と思うようになった。

稽留流産の場合、まだお腹の中にあかちゃんの亡骸や彼(女?)を守るための諸々が子宮内に留まっている状態で、それらがいつ出てくるかは個人差が大きく全く分からないそう。現に私も診断を受けてから一向に排出の兆しがない。このまま自然に排出されるのを待つか、日を決めて手術するか。助産師HISAKOさんのYouTubeを見たりして考えて、自分は一旦待つことを選んだつもり。だけど月曜日、大きな病院に行ったら手術を勧められるんじゃないかなという気がしている。


理想はそこまで痛くなく、自然に出てきてくれて、自分の手で抱っこしてあげたいし、姿もこの目で直接確認したい。けれど普通に家で生活していて冷静にその時を迎えられる自信は正直ないし、大量出血とか起きたらどうしていいかわからない。そもそもシェアハウス(住民は自分以外全員男性)に暮らしていて、心が休まるとも思えないし、息子のことも心配。となるとやっぱり、手術したほうがいいのかな…。ここまで考えて、そんなことを悩むのも結局自分で、夫(というか世の男性)は気楽でいいよねなどとひねくれたりもしている。

この日はひとまず気持ちを切り替えて、これから自分がしたいことをリストアップした。でもまあ焦る必要はないし、”何もしたくない”も十分やりたいことだよね。今は、あかちゃんと共に引き続き過ごそう。そう思って早めに就寝した(が、隣の隣の部屋に認知症のおじいさんが入ってきたそうで、夜中中叫んだり壁を叩く音が響いてきて実際はあまり寝られなかった)。

7/4(日)入院3日目。


昨日今日で「おくりびと」と「日々是好日」を観て、いっぱい泣いた。朝には瞑想もして、お腹のあかちゃんと共にいる、をめいっぱい味わっている。

明日からどうなるんだろう。ひとまず後で母に電話はしないとなぁ。7月いっぱい仕事をお休みさせてもらうことはとりあえずなんとか経営陣に伝えた。あたたかいメッセージももらえて本当に感謝。流産した・することをnoteに書いて出すことは、だんな氏とも相談してやっていこうと思う。手術も、悩んだし今も決め切れてはいないけど、受けようかな。明日病院に行って判断しよう。

それにしても早く息子に会いたい。あかちゃんが来てくれたおかげで、息子が生まれてくれて今こうして一緒に暮らせていることが決して当たり前なんかじゃなく、奇跡なんだった、改めて気づかせてもらった。あかちゃん、ありがとう。あなたのことは絶対、絶対忘れないよ。いつかまた、会おうね。

7/5(月)退院。その足で隣町の大病院へ

9:00に市立病院を退院し、夫に迎えにきてもらってその足で山梨赤十字病院へ。部長の先生に診察してもらい、案の定手術を勧められる。

「胎児の身長が約20mm。そうすると赤ちゃんの入っている袋、胎嚢は推定50mm。自然排出するには比較的大きいですね。出血も相当するだろうし、かなり痛いと思います。不整脈のリスクもあるから、循環器内科の先生が何かあった時にすぐ対応できる日を選んで、手術した方がいいと思います」

直前まで迷っていたが、こうしてキッパリと説明してもらえたことで踏ん切りがついた。中途半端に慰めとか感傷的な空気をあえてさしはさまず、私の目を真っ直ぐ見て話してくれたのにも救われた気がする。
言われた通り、最短で循環器内科の先生が多くいる日、7/7(水)に日帰りで手術をすることが決まった。七夕だなぁ。

帰りは焼肉ランチを食べて、ミスドをお土産に買って、サーティワンのアイスを夫と分けっこして食べながら実家に帰った(旦那氏ありがとう)。やっと息子に会える。実家には母だけかと思っていたら、父もいた。仕事、休んだのかな。泣いてしまいそうで聞けなかった。息子を抱きしめて、すごく安心した。それからのことは、あまり覚えていない。

7/6(火)手術前日。自宅で安静に

1日自宅でゆっくりと過ごす。あかちゃんと共にいられる最後のいちにち。

金土日であかちゃんとゆっくり過ごす時間はもらうことができたから、少しずつでも前を向いていかないと。いや、前を向いていきたい。という気持ちになっている。あかちゃんが私のところにきてくれたということ、これから一生忘れたくないな。

出生前の胎児が法的に”人間”とみなされるのはもっと後みたい(諸説あるようですが、妊娠12週以降は「死産届」を役所に提出する義務があるそうです。私は9週だったのでその必要すらなかった)だけど、それでも、私だけはあかちゃんの生きていた証をずっと覚えていたい。そう思って、オーダーメイドの指輪を注文した。予定日になるはずだった1月の誕生石、ガーネットの少し珍しい種類のもの。光の具合によって色が変わるらしい。石言葉の「大切な人との再会の約束」というところ、入院中にみた「おくりびと」の「さよなら、また会いましょう」というセリフにも影響を受けて。「自分を大切にする」というあかちゃんとの約束の証。お守りとして今後ずっと身につけて大切にしようと思う。届くのが楽しみ。手術も不安がないと言ったら嘘になるけど、起きたことを受け入れよう、という心境。この日は早めに眠りについた。息子も一緒だったこともあり、久しぶりにぐっすり眠れた気がする。

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最近いつも息子はこのように私の上に乗っかってほっぺをひっつけて眠る。癒し。ありがとう、大好きだよ。

7/7(水)手術当日


7:30に家を出て、夫に運転手・付き添ってもらい、実家に息子を預け、通勤ラッシュを避けるため高速道路で病院へ向かい8時過ぎに到着。外来で手術の説明を改めて受け、子宮口を広げるための処置をして、PCR検査後に入院。着替えて点滴を入れて、9:50に早速手術室入りした。

手術室までは歩いて入る。手術台にも自分で上がった。テレビで見るのと同じだな…BGMがかかっている…サカナクションの曲だ…となんともミーハーな感想を抱きつつ、麻酔が効いてきて眠りに落ちる。手術は10分程度で終わるとの説明だったが本当にそのようだった。眠っている間の出来事だったので、痛みなどは全く感じなかった(※個人差があるそうです。あくまでも私の場合)。

手術後、ストレッチャー?の上で運ばれている振動で一度目を覚ました(と思う)。目を閉じたまま、看護師さんと会話した気がする。

よせばいいのに「差し支えなければ検体(摘出した胎嚢や子宮内残存物)を見せてもらうことは可能でしょうか…」と食い下がる私。検体って。
その場で看護師さんが先生に確認してくれ「もう病理検査にまわされてしまったようです」との答え。「そうですか。。」
ああ、もうあかちゃんに会うことはできないんだなぁ。そう思ってまた、眠りに落ちた(夢だったかもしれない)。

次に目を覚ましたのは正午ごろ。お昼ご飯を運ぶ賑やかな空気と、看護師さんが様子を見にきてくれて目を開けた。泣いていた。隣の部屋から男の子の泣き声が聞こえてくる。

起き上がってトイレに行く。その時に点滴は外してもらった。まだ頭の奥の方がぼうっと痺れる感じがして、真っすぐ歩くのもなかなか大変だった。すごく出血しているのかな…とドキドキしたけれど、思いの外大したことはなく、ありがたかった。

休んでいる間、循環器内科のお医者さんと手術を担当してくれた産婦人科の先生とがそれぞれきてくれて、もう帰って良いとのことだったので14:00ごろ帰宅。夕方までかかると言われていたので思いの外早かったな…と思いながら帰り支度をしている最中、入院していた部屋の目の前が小児科の処置室?で、運び込まれたらしき子どもの泣き叫ぶ声が流石に応えた。

「痛いよーーーーー」「おかあさんーーーーー」

ありえないことだとは頭では分かっているけど、どうにも感情が抑えられず涙が溢れてきてしまう。慌てて看護師さんが入院棟の外に連れ出してくれ、廊下の家族用待合スペースで夫の迎えを待った。離れてはいるけれど、遠くからまだあの子の泣き声が聞こえてくる。涙が止まらない。ほんの十数分だったはずだが、長い長い時間だった。辛かった。

迎えにきてもらってからは、前日夜から絶食で何も食べていなかったのと、夫婦2人だったというのもあり、麻酔切れかけのフラフラする身体に鞭打って(良い子はマネしないでください)山中湖のPaperMoonでアップルパイとハーブティーをいただく。その後実家で預かってもらっていた息子を迎えに行って、夜ご飯はシェアメイトの作ってくれたかた焼きそばを半分くらい食べた。まだなんとなく頭がぼうっとするのと食欲はそんなになかったけれど、この日は早めにベッドに入り、翌朝からはつわり症状が嘘のようになくなって、通常の食欲が復活した。食べることが大好きな私にとっては喜ばしいことだけれど、ああ、妊娠が終わったんだなと切なくもなり、複雑な気持ちだった。

終わりに:それから1週間と、今思うこと

このnoteを書いている今日は、手術からちょうど1週間が経ちました。出血はまだありますが大分落ち着いてきていて、体調もほぼ回復しています。来週診察があってそこで経過観察して、問題なければ通常の生活に戻ってよし、と言われています。

ここまで書いてみて、いまだに「こんなものを出して誰が読むんだろう…」という気持ちが拭えません。もう少し寝かせてから出した方がいいのかな。
ひとまず夫に読んでもらって、それから、しかるべきタイミングで出そうと思います。(追記:出しました。笑)

何よりもこれからの自分自身のために、この時の気持ちを忘れたくない、書き留めておけたらと思い、ここに残しておこうと思います。




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