見出し画像

「世界を救おうとしているんだよ」と言った人の話

久々に学生時代のバイト仲間4人で集まったその夜、一体何を思ったのか我々は漬物バーに行きました。


2階のカウンター席には既に1人、常連らしき中年男性が上機嫌でお酒を飲んでいました。

我々4人とその男性しかいない中、彼は当然我々に絡んできます。仲間達はにこにこと相手をしていましたが、正直なところ私は厄介な酔っ払いに遭遇したなと思っていました。

誰かが男性に職業を聞いた時、彼は上機嫌な様子で、


「おじさんはね〜、世界を救おうとしているんだよ!」


と言いました。
ますます厄介だと思いました。

彼は逆に、そちらはどのような集まりなのかと尋ねてきます。先輩がバイト先について簡単に話した後、それぞれがどのような人間か説明し始めました。

「私は会社勤め、この人は大学院で研究中、この人はNPO団体で働いて……そして端にいるこの人が一番面白い。なんだと思います? 小説家を目指しているんですよ」

私は隅の方でずっと黙っていたわけですが、余計なことまで明かされてしまったと微妙な気分でした。小馬鹿にされるか、興味本位に遠慮なくあれこれ聞かれるか、そのどちらも今まで経験しています。少なくとも、初対面の酔っ払いおじさんに話すつもりは全くなかった。


ところが、男性はあっという間に酔いが覚めた顔になり、私に向かって言いました。

「妻が小説家なんだ」と。

酔っ払いおじさんの皮をかぶっていた彼は、それまでの態度が嘘のように、奥さんがいかにして小説家になったのかとつとつと語り出しました。

「彼女は夢を叶えたが、年月はかなり経ってしまっていた。もっと早くから本気で目指していれば若いうちにデビューできたかもしれないと、今でもよく言っている」

「あなたはまだ若いから、めげずに頑張って書き続けなさい」

実はこの時、私は全般的に行き詰まっていて、小説家なんて途方もない目標を掲げてしまったのではなかろうか、この先の人生はどうしたものかと沈み込んでいた時期でした。

まさか漬物バーで偶然会ったおじさんに励まされることになろうとは夢にも思わず、呆気にとられていた私に、彼は奥さんが書いたエッセイ集を紹介してくれました。

その場で検索したところ、内容は作品のことだけでなく、ご自身の人生やご家族に関する話まで踏み込まれていて、あらすじには「旦那は教授だ」という記載がありました。

この人、教授だったのか。

「あの、旦那さんは教授だって……」
「しまった、そのことまで書いてあったか」

彼は少し悩んだ後、名刺を出して見せてくれました。後々その名前を調べたところ、自然科学に関する研究が専門だということが明らかになりました。論文のリストも沢山出てきました。


彼は本当に、「世界を救おうとしている」人でした。



その後、彼は先に帰って行きました。しばらくして我々もお開きにしようかと会計をお願いした時、「もう支払いは済んでいる」と言われたのです。

「あの人、普段こういうことしないよ。ラッキーだったね」



この後、私は新しい長編小説に着手し、1年がかりでなんとか形にしました。数年ぶりに公募で残り、まだ頑張れそうだなとほっとしました。

彼と出会った後も色々なことがあったので、あの夜の出来事を随分昔のように感じていたのですが、このnoteを書くためにスマホの写真フォルダを確認したところ2年前の日付が表示されました。

たった2年前。最近だな。体感としては4年以上前の話だったのに。



あの「世界を救おうとしている」人が、今も世界を救おうとしているのかどうかはわからないのですが、少なくともあの夜励まされた私はめげずに書き続けています。

いつか、彼にいい報告ができるように、まだ頑張りたいなと思っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?