第2章―アフリカ平和再建委員会(ARC)の発足

 1994年4月、世界の人々は、突然、大量の難民がルワンダから周辺国に流出していることを知り、多くの人々が、ルワンダという国の名前をはじめて知りました。その時は、なぜこのような大量の難民が発生したのかを、誰も知りませんでした。しかし徐々に、ルワンダの国内でツチと呼ばれる少数派の人々が大量に殺戮されていたことが明らかになりました。これはのちに「ジェノサイド」と呼ばれることとなりました。しかし当時の世界の多くの関心は、この大量に発生した難民問題をどのように支援していくかということでした。


 1994年6月、東京。このルワンダで起きた出来事に対し、どのように考え、取り組んでいくか考えるための、アフリカ研究者、NGO関係者、大学生、青年海外協力隊OB/OGの集まりがありました。そこで話し合われたことが、難民はいつかルワンダに帰還していく。だから、今のうちから、難民が帰還すべきルワンダの国内の状況を見ていかなくちゃいけないという結論になりました。そして内戦が終結した後の1994年8月に、このワーキンググループから2人が現地状況調査に訪れました。
 彼らが出会ったのは、ルワンダ人のNGO団体の人々でした。ルワンダではジェノサイド発生以前から、ルワンダ人によるNGO活動が様々な分野で活発に行われていました。そのメンバーも、国内と難民キャンプとに分断されてもいました。ルワンダのNGOたちは、様々な分野を超えて、新しいルワンダの復興と和解のために力合わせていこうとしていました。

 この現地調査をもとにルワンダの市民社会の人々のイニシアチブを側面から応援しようという目的で、現在のアフリカ平和再建委員会(ARC)が発足しました。そしてそこに私、小峯茂嗣も参加しました。


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