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仙台は、いつから牛タンの町になったのか

 青森県で学生時代を過ごした私は、当時、宮城県出身の同級生と付き合っていた。30年以上昔の話だが、彼女は料理が上手で、帰省しない年の正月には、ひき菜と呼ぶ千切りの大根・にんじん、牛蒡などがたくさん入った宮城の雑煮を作ってくれた。仙台麩といって、もっちりした食べ応えのある揚げた麩を煮物料理なんかにも使ってくれて、郷土色に溢れた美味しい料理をよく食べさせてくれた。彼女に限らず宮城出身の友人が帰省から戻る時の仙台土産と言えば、当時は笹かまぼこと萩の月がベーシックだった。

大学を卒業し、札幌に戻って年を重ねた。いつのまにか、仙台は「牛タン」と「ずんだ」の町になっていた。昔は、少なくとも「全国区」にはなっていなかったはず。その歴史を確認しようと思ってそれぞれウィキペディアで調べてみた。

 仙台牛タン焼き‥‥宮城県仙台に始まった牛タン料理。戦後、庶民の外食産業から発展したものであり、仙台のご当地グルメとして知られている。やや厚切りにした牛タン焼きと、麦飯、テールスープ、浅漬け、味噌南蛮(唐辛子の味噌漬け)をともに提供する「牛タン定食」が定番。
 ずんだもち‥‥ずんだ餅(ずんだもち、づんだもち)は、すりつぶした枝豆を餡に用いる餅菓子で、南東北、特に宮城県を中心にした地域の郷土菓子。他にじんだ(ん)餅、ずんだん餅、ぬた餅(以上東北地方)、ばんだい餅(栃木県)などとも呼ばれる。東北方言では「ずんだもづ」「ぬだもづ」などと発音される。

両者とも涼しい顔して、さも「昔から定番ですけど何か?」と言いたげな解説。だが、絶対に違う。昔からこれらの食文化が地域にあったことは認めるが、その細々と繋がっていた文化を、全国区に押し上げた、壮大で狡猾なプロモーションが展開されていたのは疑いようがない。自治体が町おこしを目的に主導したのか、飲食業や食品業界が「仙台」を利用して名物に仕立てあげたのか、きっと調べればわかることだが、うまいことやって、仙台の食の歴史を塗り替えてしまった。

まあ、牛タン・ずんだで仙台の歴史が塗り替えられても問題ない。今や、仙台市民の誇りであり、仙台観光には欠かせないソウルフードといってもいいだろう。それに、ただの牛タン焼きではない、写真のような画期的ニューウェーブ牛タン(牛たんけやきの超極厚切三種盛定食)も登場し仙台の牛タンマーケットは活況を呈している。息子二人がこの春から仙台に住んでいるため、この6月、久々に訪れた。昔の仙台の街並みはもう記憶の彼方で、どう変わったかも覚えていないが、良き美しい町だった。そして、牛タンは美味しかった。さすが本場仙台。


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