見出し画像

ロングバケーション

 いまだに家族には打ち明けていない秘密がある。今となっては隠す必要もないのだが、当時は隠す必要があって、打ち明ける機会を失ったまま今に至っている。実は、今年の1月中旬から2月いっぱいまで、会社を休んでいた。適応障害という診断書は、自己申告でどうにでもなるものだな、と感心しつつ、1ヶ月以上も仕事から遠ざかるのは、社会人になってから経験がないので、少しだけワクワクした。

 この休職が決まった時、私はルールを決めた。それは「当時受験生の同居人である三男には絶対にバレないこと」というルールであり自分にとっては死守すべき最高法規だった。それまでは朝の7時には部屋を出て、夜の7時すぎに帰宅する生活。つまり、息子が外出する前に出勤し、息子が帰宅した後に帰宅する、その生活は続ける必要があったのだ。毎朝、コメダ珈琲かスタバでコーヒーを飲んで、10時前に板橋中央図書館に通う、夕方の18時まで図書館で過ごし、ゆっくりと自転車で帰路につく。その生活を続けた。本がたくさんある場所が好きなので、色々な図書館を見てまわったのだが、この図書館が一番自分には合っていた。大宮図書館も素晴らしかったが、自転車では通えなかったので、最終的にこの図書館に落ち着いた。

 たくさんの本を読むことができた。それに加えて、小説を書いて、最後まで書ききることができた。20代の頃は、物書きになるのが私の夢だった。小説家ではなく、ルポライターになりたいと思ってジャーナリストを志望した。当時、マスコミ就職読本を読んで、テレビ局以外にもマスコミには広告会社という選択肢もあるのだと悟った私は、テレビ局には入れず、結果、広告代理店に入った。今振り返れば、私が望んだジャーナリズムとは対極の「ザ・資本主義」な世界に、誤って足を踏み入れてしまったのだ。沢木耕太郎の深夜特急や一瞬の夏に心躍らせた学生時代だったが、社会に入って、人間への自由な好奇心や探究心は次第に薄れ、それを表現する意欲も失っていった。いつのまにか。

多分、このロングバケーションがなければ、生涯、小説作品を書き上げることはなかったろうと思う。図書館で暮らした1ヶ月半のおかげで、自分は本来の自分を取り戻せたような気がする。日本語で文章を書くのは楽しい。札幌に来て3ヶ月が過ぎ、いろいろと落ち着いたので、今週から自分に課してみたのだ。毎日、何でもいいから文章を書いてみようと。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?