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30代最後の年に脳動脈瘤が見つかった話Vol.4 いよいよ手術へ

Vol.3では、手術に向けた準備と仕事の引き継ぎについて書きました。

そしていよいよ、開頭手術に臨みます。



■ 手術3日前に入院

入院は、手術3日前の金曜日でした。

入院当日は、麻酔科で手術で使用する全身麻酔の説明を受けただけで点滴や食事の制限もなく、病室でテレビを見たり持ち込んだPCでちょっと仕事をしたり、用もなく院内のコンビニをぶらぶらしてみたり、ぐうたらした時間を過ごしました。

ただ、今振り返ってみると平静を装ってはいたものの、やはり入院してから手術当日までは不安と緊張で落ち着きがなくソワソワとしていたなぁと思います。

やることもなく病室にいるだけだったので、時間の経過が長く感じたのを覚えています。

Vol.1でも書きましたが、入院した大学病院と私の自宅は徒歩5分圏内にあり、病室の窓から自宅が見えるのは、ちょっと変な気分でした。
ちなみに私は職場も徒歩圏内にあるため、病室からは職場も見える状態でした・・・
職場の上司からは落ち着かない部屋だな、と笑われました。

入院してからヒマな2日間を過ごしましたが、手術前日は意外にもやることがたくさんありました。

手術当日と翌日はICUで過ごすため、先ずICUに持ち込む物全てに名前シールを貼る作業をしました。

ICUなんて嫌だなぁ。
手術後で痛みもあるんだろうし、動けないし何も食べられないし、顔も身体も洗えないし、歯も磨けないし、どうせ何も持ち込めないんだろうし・・・

なんて想像していたのですが、意外にも歯磨きセット、ボディソープ、パジャマ、下着、眼鏡等持ち込めるものが多くて驚きました。

実際、手術翌日には看護師さんの助けを借りて歯を磨くことができました。

いそいそとICUに持ち込む物一式に名前シールを貼っていると、手術当日にお世話になる麻酔科の先生が最終確認のために病室へ来てくれました。

その後もICU担当の看護師さんが説明に来たり、病棟の看護師さんが体調の確認に来たりと、色々やっているうちに気づけば夕方になっていました。

手術後、いつから入浴が可能になるか定かではなかったので、病室の狭いシャワー室ではありましたが、いつもよりゆっくりシャワーを浴びました。

手術前日でしたが、点滴等は一切なく夕食の制限もありませんでした。

ただ、手術12時間前となる21時以降は、水とお茶以外は口にしないよう指示がありました。

夕食後、S先生が病室に来て私の額に油性マーカーで二重丸を書きました。

手術用の目印とのことでしたが、実際に額を切ったわけではなく、結局この目印の意味は最後まで分からなかったのですが・・・

S先生はいつもの抑揚のない声で「大丈夫ですか?」と聞いてきました。

恐怖がなかったと言えば嘘になりますが、病気が判明してからの約3週間、いつ破裂するか分からない不安に怯えながら毎日のようにぐずぐず泣きながら過ごしてきていたので、あと1日でそこから解放されるんだという安堵のほうが大きく、私は「大丈夫です」と答えました。

ふと土日とも先生が回診に来ていることに気づき「先生はいつも病院にいますね。ちゃんと休めていますか」と聞いてみました。

先生は軽く笑いながら「昨日と今日は当直でね。明日の手術が無事に終わったら帰りますよ」と答えました。

脳外科医ってとんでもなくハードなんだな・・・と思うと同時に、
当直明けに手術って、ホント大丈夫?と頭を切られる自分の身が少し心配になりました。

昼間は病室へ回診に来ても忙しそうにさっさと出ていく先生は、
夜で少し余裕があったのか「とは言え何だかんだブラックですよねぇ」と自嘲気味に続けました。

同じ私立大学という組織で働いているのにえらい違いですね・・・と互いの大学について2,3やりとりをしました。

入院してからの3日間は看護師さんと体調の確認をする程度の会話しかしておらず、これまで毎日仕事で多くの人と会話する生活を送ってきた私にとっては、この久々の世間話は気分を軽くしてくれるものでした。

また、冷静であまり感情が見えない先生の人間っぽい一面をみて、根拠はなかったものの、この手術は大丈夫だな・・・と思ったことを覚えています。

とは言えやはり緊張していたのか眠りは浅く、数時間おきに目が開いてしまい、そのまま手術当日を迎えました。


■ さあ、手術へ

手術当日の朝、開始2時間半前となる朝6時半に朝食代わりの栄養ドリンクを渡されました。
掌サイズの小さなパックドリンクでした。

以降は、水分の摂取も禁止されました。

手術開始10分前の8時50分、手術着に着替えた私は看護師さんと一緒に病室を後にしました。

次ここへ戻って来る時には、もう全て終わっている・・・

そう思いながら手術室へ向かって歩きました。

手術室には、既に3名の看護師さんと麻酔科の先生が準備を進めていて、促されるまま手術台へ横になりました。

ちょうど同じタイミングで先生も手術室へ入ってきました。

私は「よろしくお願いします」と伝え、先生は「頑張りましょう」と返してきました。

次にS先生の姿を見たのは手術が終わった時でした。

準備は着々と進み、私の身体には心電図、血圧計が装着され、口には酸素マスクがあてられました。

時計を見ていないので実際には分からないのですが、肌感覚では手術室に入ってからここまでで10分弱だったように思います。

麻酔科の先生が点滴を打ちながら「少しずつ麻酔の薬を入れていきます。身体が少し熱くなりますよ」と伝えてきました。

ものの数十秒で身体が熱くなりました。

「本格的に麻酔の薬を入れますので、瞼が徐々に重くなってきますよ」と言われた直後、瞼が本当に重くなり「あー、これは寝ますね」と呟くと、麻酔科の先生は「では頑張りましょう。よろしくお願いします」と返してきました。

私も「よろしくお願いします」と言って目を閉じました。

実はそこから直ぐに意識がなくなったわけではなく、その後10秒程「あれ、まだ意識あるなぁ」と思っていたのですが、その後の記憶は全くないので、おそらく10秒ちょっとで眠りについたのだと思います。


次の記憶は、遠くのほう、感覚的には左前方のほうからS先生が私の名前を呼ぶ声が聞こえたところからでした。


■ 手術終了

何回くらい名前を呼ばれたのかは分かりませんが、S先生の声で私は目を開けました。

目を開けると頭上で「無事に終わりましたよ。もう大丈夫ですよ」という先生の声が聞こえました。

続けて、これは看護師さんの声だと思うのですが「気分は悪くないですか」と呼びかける声が聞こえました。

この時点で「終わったんだ・・・」ということは自覚できたのですが、手術室が冷えていたのか、私自身に寒いという感覚はなかったものの、勝手に身体が震え出し、上下の歯が当たってガチガチと音を出す程で声も出せず何も伝えられずにいると、「早く暖めてー」と誰かが叫ぶ声が聞こえ、それと同時にストレッチャーでどこかへ運ばれていくのが分かりました。

私はそのままICUへ運ばれ、ベッドに温かい空気が送られると直ぐに震えは治まりました。

看護師さんから「気分悪くないですか?」と聞かれたので、返事をしようとしたのですが、全く声が出ませんでした。

上唇が少し切れて腫れているのも分かりました。

事前に、手術中は口から管が通されると聞いていたので、それが影響していたようです。

手術直後でも案外意識ははっきりしており、眼鏡がなかったので周囲の景色はぼやけていましたが、必死に目を動かして回りの状況を確認したのを覚えています。

ICUは思っていたよりも大きな空間でした。

窓のカーテンは開いていて外は明るく、まだ夕方にもなっていないようでした。

後に分かったことですが、私の手術時間は4時間半程だったそうです。

次に自分の状況を把握しようとしました。

両腕には複数の点滴が付けられていました。
心電図と血圧計も装着されていました。

両足の脹脛には、エコノミー症候群を防止するための機械が巻かれており、一定の感覚で足が圧迫され、血流が滞らないようになっていました。

恐る恐る手足の指を動かしてみたところ、問題なく動いてホッとしました。

口には酸素マスクが付けられていました。

頭部の状況はよく分からなかったのですが、顎、両耳、頭頂部を覆うかたちで包帯が巻かれているのは把握できました。

そうこうしているうちに「無事に終わりましたから、ゆっくり休んでください」というS先生の声が聞こえました。

まだ麻酔が効いていたのか、この時点で痛みはほとんどなく、声はでなかったものの「先生も」と余裕の返答をしました。

周囲の状況も何となく把握でき、自分も生きていることに安心したのかどっと疲れが出てきて、そのまま数時間程深い眠りにつきました。

次に目が覚めた時は既に外が暗くなっていました。

再度声を出そうと試みてみましたが、まだ全然ダメでした。

結局、声がまともに出せるようになったのはそこから24時間後の翌日夕方になってからでした。

声は出なくても流石に口は乾きます。

ナースコールを押すと、すぐに看護師さんが来て水を含めたコットンで唇と口内を洗ってくれました。

このまま明日まで耐えればいいなら何とかなりそう・・・

そう思っていた私でしたが、この直後に自分の見通しの甘さを後悔することになります。

ここから約24時間、私は想定以上の苦しみを味わうことになりました。



Vol.5手術後・・・   に続きます。


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