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『メルカリ』という映画の中で、ネオのように目覚めて、タイラーのように生きている。episode 7

●紫帯


2013年にメルカリがスタート、
それから二年後の2015年。

2015年は
自分にとって、
本当にラッキーな一年だった。

アジア選手権の青帯40歳以上の部と、
DUMAU JAPAN GP の青帯35歳以上の部で
優勝して、
僕は紫帯になった。
ちなみに
二週続けて上京して、

2015年9月12日(土)
アジア選手権→東京武道館
2015年9月20日(日)
JAPAN CUP→台東リバーサイド・スポーツセンター

で試合をした。

障害者雇用枠で働いている
安月給の普通のサラリーマンである。

無駄な出費が嫌で、
付き合い、飲み会、忘年会
すべて欠席。

映画『ファイトクラブ』のメンバーのように
僕は完全に狂っていた。

この頃は

『日中適当に仕事して、夜柔術の練習して、
月一回は試合する。ずっとこんな感じの生活でいいかな、楽しいかな』

と考えるようになっていた。

柔術と出逢えたことが奇跡。

自分の人生に置いて、
もうこれ以上のドラマはないだろう。

これ以上を求めると、
映画『ロッキー』シリーズのように、

『ロッキー4で止めれば良かったのに!
無理にロッキー5作るから、
路上でボクシングする羽目になるんだよ!』

と、なってしまう・・・
自分でも、ちょっと何言ってるか分からないが、
勝手にそんな風に考えていた。

●神々の山嶺


強いわけじゃない。
試合で勝ったからといって、
有名なれるわけではない。
お金持ちで、生活に余裕があるわけではない。

柔術が
好きで好きでたまらない・・・
これもちょっと違う気がする。

夢枕獏 原作
エヴェレスト登山家を描いた
映画『神々の山嶺』
の中で、

『ジョージ・マロニーは
なぜ山に登るのか?と問われた時に、
"そこに山があるからだ"
と答えたらしいが、おれは違う。

そこに山があるからじゃない。ここに、おれがいるからだ。ここに、おれがいるから、山に登るんだよ』

という台詞があるのだが、

この頃の自分を振り返って考えてみると、

好きとか嫌いとかの話ではなくて、

『ただやらずにはいられなかった』

という感覚だったかもしれない。

結構生活はギリギリだった。

『次の給料日まで◯日で、残りのお金がいくらで・・・』
なんてことを毎月のように繰り返していた。

練習が終わって
0時前後、
毎晩24時間営業のマックスバリュで、
半額になったお惣菜を買って帰るのが日課だった。
マックスバリュのレジのお姉様に、
『毎晩遅くまでお仕事大変ですね』

なんて言われるぐらい、顔も覚えられていた。

●ラ・ラ・ランド


もうこれで十分!
もうこれ以上の奇跡は起こらない!

勝手に決めて過ごしていたある日、

柔術関係の知人から、
Facebookメッセージが届いた。

『shigeさん、UAEで開催される

"Abū Dhabī WORLD PARA JIUJITSU"

の日本代表選考に申し込んでみたら?』

パラ柔術?

世界大会?

日本代表?

2017年、

映画『ラ・ラ・ランド』

ライアン・ゴズリングとエマ・ストーンの

儚くて切ない、
様々な『夢の形』と『愛の形』を表現したエンディングに、
少し胸が苦しくなりながら過ごしていた2月頃、

全く現実味の無い情報が、
僕の耳に舞い込んできた。

(続く)

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