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努力って、犠牲だ

私たちは、努力することを刷り込まれてきた。
親の期待に答えるとか、できるまでやる。
結果が出なかったら、努力していない。

誰かの基準が知らずに目標になっていて、
努力することを強いられている。

何のために努力しているのか、
本人がわからなくなっている。

改めて、確認してみると、
親を喜ばせたいとか、
良い大学、会社に行きたい。

そんな答えが返ってくる。

それって、本当か?
『努力は、犠牲だ』

考えたこともないことを
平然と言葉にしているけど、
本気で考えたの?

誰かに言われたことを盲目的に
正しいと受け取ってしまい、
そうすることが良いことと考えている。

私たちは、他者貢献という概念を
知らないうちに実装されている。

他者貢献することに価値があるとさえ、
考えている人もいるかもしれない。

自分を満たすこともできないのに
他人を満たすことができるのだろうか。

自分のために努力をすること。
それはやりたくないことを
我慢してやることではなく
やりたいことに夢中になること。

心地よいと感じられる時間を
過ごして、自分を満たしていくこと。

心が満たされて、溢れ出した心地よさを
他人に分け与えてあげること。

その時初めて、お互いに満たされて
努力したことが周りから返ってくる。

まだ、誰かのために努力していますか。

我慢も同じ。
自分を押し殺してまで、我慢なんて
しなくていい。

そんな自分に酔いしれるくらいなら、
少しくらいわがままになってもいい。

我慢の時代は、崩壊している。
作り上げることが全てではなく、
どのように活用していくかを
これから考える方が必要になる。

『努力は、犠牲だ』

今すぐ、手放そう。


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