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自信と自尊と自虐について考えてみる

自信があるというテーマで記事を書いたときに
ご質問をいただきました。

>自分が好きで自信があるのは昔からずっとですが?最近ですか?
>私はなんか自信がなくて。

というコメントをいただいたのですが、
私が思うに、信じることについての根拠を求めていくと苦しくなる気がします。目に見えないものの証拠を探す作業って辛くないですか?

自信って本当は生まれてきてずっと持っているものなんじゃないかと思っています。裸で生まれてきて息をして食べ物を求めて大きくなる。
自信が無いと出来ない事だと思います。

そこに何かの証拠を求める必要などなくて、ただそこにある命が証拠なんじゃないかなと。

それは自尊にもつながると思うんですが、
私は学生時代に孤立してました。
家庭には恵まれていたので帰る場所はありましたが、学校に居場所などありませんでした。(今思えば家庭に帰る場所があるというのが一番ありがたい事だと思います。当時は当たり前と思っていたものも当たり前じゃなかったんだと大人になった今なら分かります)

取り立てて何かやったわけじゃないのに、ひそひそと噂されたりばい菌扱いされたり。
だけど自分は大事にしないといけない、親からもらった命だし大切にしてもらえているのだからと思ってました。
これに関しては、家族に恵まれていたからだとは思います。俗に言う「毒親」だったら同じ事を思えていたか?そうでなかった身としては分からないです。
しかし、自尊心を正しく持つことは可能だと思います。

他人に貢献していたら素晴らしい。
地域のために何かしていたら良い人だ。
芸術作品を生み出したら宝だ。

なんて一般的には言われてはいますが、私は人が人である以上その人なりの自尊はあって当然だし、どんな状況であれ自信を持っていいと思うのです。


その逆として自虐です。

[形動]自分で自分のことを苦しめるさま。自らを責め立てるさま。「—な発言」 - goo国語辞書

自分で自分を苦しめる言い方、となると自虐的な物言いをすることは(私は)スキじゃないなと思います。が、自分を面白おかしく言うことについてはネタ的にありだと思うし、別にそれが苦しいことだとは全く思いません。なぜならそれは自信があるからだ、と考えるからです。

言葉を一つ一つ考えて自分に照らし合わせてみると面白いですね。
もっと深めていこうと思います。

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