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覚悟を決める儀式

あなたは、土下座をしたことはありますか?

私は一度だけあります。

あれは8年10ヶ月前。
正月休みが明けて数週間たったある日。
前社長に、文字通り土下座してお願いした。
「道路開発を引き継がせて下さい。」

さらに遡ること半月前。
当時の専務が突然倒れた。
従業員の立場だった自分にとっては、そこまで深刻な事態だと認識していなかった。
現実的には、数年前から実務的に専務として機能していないように見えたから。

でも実態は違った。
正月休みが空けて間も無く、社長から、
「会社を精算することにした。」
と報告があった。

社長にとって専務の存在感は、周りの人が考えているよりも、遥かに大きかった。
多額の負債を抱えた状態で創業社長から会社を引き継ぎ、言葉にはできないくらいの苦労を共に乗り越えてきた盟友。
本人の言葉でハッキリと聞いたわけじゃないけど、たぶん感覚的にはそういう関係性だったんだと思う。

たとえ実務的に機能していなかったとしても、その存在が側にいたことによって、経営者としての大きな責任を果たすことができていた。

自分も社長という立場になって、8年が過ぎた今はその感覚が理解できる。

突然、伝えられた、
「会社を精算します。」
「3月末までは雇用するので、それまでにその後の進路を決めて下さい。」
「必要であれば、取引先等に転職の斡旋をするので、希望者は申し出て下さい。」

「え?」
自分にとっては、色んな意味でよく理解できなかった。

というのも、実は自分は道路開発の従業員になった経緯が、社長からの「次期経営者候補として入社してもらえれば、助かる。」と言われたことがきっかけだったから。

さらに遡ること約15年…

初めて道路開発の仕事に携わったのは、22~23才の頃だったと思う。
常用労務受けと言って、この業界ではよくある、日雇いのアルバイトみたいなもの。

当時、道路開発は長野オリンピックバブルがはじけたアオリを受け、業績が悪化。
従業員を一斉解雇して、創業社長から前社長に経営者も変わった。

正社員がいない状態でありながらも、それまで道路開発に関わってきた色んな人達が日雇いのアルバイトとして働くことで、現場をこなして、会社を存続させていた。

その中に、現専務の自分の兄と、現会長の自分の父もいた。


元々は父が、道路開発と同じ舗装工事業を営む別会社の社長で、初代の社長と仲良くなったことがきっかけで、下請けで工事を請け負ったりしていた。

そういう関係性もあって、兄も高校を中退してすぐ、道路開発に就職して、昔で言う丁稚奉公みたいに経験を積ませてもらいながら、働いたりもしていた。

兄は数年間、道路開発で働いたあと、父がやっていた「中央道路㈱」に入社し、しばらくしてから、代表取締役に就任した。

でもそれも長くは続かなかった。

というのも、父と兄はことあるごとに、価値観の違いからぶつかり合っていたから。

父親と長男の関係性は、どこの家でもそういうものなんじゃないかな?
(ちなみに今は、関係性は良好そうです。)

で、すったもんだあった結果、兄は中央道路をやめて、道路開発に戻った。

父は後継者を失ったことや、進学校の高校生だった自分が、大学に進学しないことを決めたこともあって、中央道路を精算して廃業した。

兄が戻った道路開発は先述の通り、しばらくして業績が悪化。
従業員だった兄は一斉解雇の対象になって離職。
そんなこともあって、法人としての中央道路㈱ではなく、個人事業主としての中央道路を改めて始めることになった。

結果的に、父や兄がそれぞれ、個人事業主として道路開発の仕事に関わるような状況になっていた。

自分は高校卒業後、子供の頃からの夢だった漫画家になるために、働くこともせず、家にこもってマンガを描いていた。

父からは、「大学に進学するためのお金が不要になったから、二十歳になるまでは働かなくてもいいし、好きなことをしてていい。」と言われていた。

でもそれも実らず、二十歳になってからは、生活費を稼ぐためにスーパーでアルバイトを始め、その後いくつかの接客業を渡り歩いてフリーターになっていた。

その頃父から、「こんな状態を続けていても、何者にもなれない。俺といっしょに新しいことを始めてみないか?」と言われた。

そのことがきっかけで、フリーターをやめて、父が始めていた自然農法の手伝いをしながら、個人事業主として「中央道路PartⅡ」を始めることになった。

父いわく、「今はまだ何もできなくても、個人事業主として仕事をすれば、色んな経験もできて、仕事を覚えるのも早いからいい。」ってことだった。

実際は個人事業主とは名ばかりで、父のつながりで来る仕事を、父といっしょにやっていた。

どんな依頼でもお金を稼ぐためには引き受ける方針で、はじめのうちは父の農業の手伝いをしつつ、近隣の家の草刈りや植木の剪定をしてた。

たまに父に来る舗装工事の依頼を、中央道路PartⅡで受けて、実際の作業はほぼ父がやり、自分はその手伝いをしていたような感じだった。

そんな状況で、父が道路開発の舗装の時だけ呼ばれるようになり、そこに自分もついていって、アルバイト代をもらいながら、舗装の仕事も覚えていった。

そのうちに、道路開発の仕事を手伝うのが中央道路PartⅡのメインの仕事になり、不安定ながらも自分ひとりの生活費を稼げるようにはなって、6~7年たった。

30才が近づいてきた時に、将来を改めて考えるようになり、4~5年付き合ってきた彼女との結婚も考えるようになった。

ちょうどその頃、一時期よりも舗装の仕事が減ってきたことや、彼女のお父さんから「結婚するなら、一度はどこかの会社に就職して、従業員の経験をしてもらいたい。」と言われたこともあって、全く違う業界に転職することを考えるようになった。

兄は数年前に改めて道路開発に雇用され、工事部長になって、現場を取り仕切る存在になっていた。

自分は個人事業主としてだけど、半従業員みたいな形で道路開発に関わり続けていた。

色々悩んだ結果、「中央道路PartⅡをやめて、違う業界に転職することを考えてます。」と社長に報告した。

それに対して社長が、「そういうことなら、道路開発の従業員になる気はないか?」と持ちかけてくれた。

それも、「次期経営者候補として入社してくれたらありがたい。」っていうことだった。

自分にとっては、兄が工事部長もやっていて、次期経営者候補だと思っていたから、どういうことか聞いてみた。

そしたら、兄はもちろん次期経営者候補だけど、自分の働きぶりや物事への取り組み方、人との関わり方が、より経営者向きに感じられる。
兄弟でうまく役割分担して、協力することができれば、それが一番いい形になるかもしれない。
ということだった。

自分にとっても、舗装工事の仕事の楽しさがわかるようになってきていたし、違う業界で改めてゼロスタートすることを考えれば、願ってもない提案だったから、彼女のお父さんにも相談した上で、道路開発に就職することを決めた。

入社してからは社長から、「5~10年くらいかけて事業承継を進めていきたい。」と言われて、現場仕事以外でも、経営的な仕事を経験させてもらうことが増えていった。

そうやって4~5年がたったある日、突然専務が倒れ、会社を清算する話になった。

ここでやっと冒頭の話に戻る…汗

え?どゆこと?
事業承継の話は?
そのために、自分は従業員になって、今まで色んなことをしてきたんだけど…。

内心そんなことを思いながらも、社長が会社を清算する決断に至った理由も、なんとなくわかっていた。

自分は従業員として入社してから、道路開発の次期社長になることを現実的に考えるようになったことで、それまで気にならなかったことが気になるようになった。

経営者としての社長の判断や選択、物事への向き合い方が、自分の感覚とは違ったことで、不満をあらわにして、非協力的になっていった。

それは兄も同じで、自分よりもさらに明確に不満を表現していたように思う。

そういうことが積み重なった結果、社長としては、自分や兄に会社を引き継がせたくないと思うようになったのかもしれない。

結局のところ、社長にそう思わせてしまったのは、自分達の責任だと思った。

それから、志賀家の中でも家族会議を重ね、なんとか道路開発を引き継ぐことはできないか話し合った。

社長にも何度も話し合いの時間を設けてもらい交渉した。

でも、社長の気は変わらない。


そこで覚悟を決めた。
それまでの非を認め、謝罪するために土下座する。

そしてもう1つ、この土下座には意図があった。

結果的に、社長の気持ちが変わらないとしても、自分の気持ちを区切り、覚悟を表明するためにやる必要がある。

今までの自分のやり方は間違っていた。
自分にできるベストを尽くそうとせず、誰かや何かのせいにして、不満をこぼし、不完全燃焼していた。

そういう自分に別れを告げて、新しい自分になる。

そのための儀式。

そう考えて、兄にも説明して理解してもらい、二人で一緒に土下座することにした。


結果、社長の気持ちが変わることはなかった。


でも、期待していた通り、自分の中で何かがふっ切れた。

「やれるだけのことはやった。」

土下座して、謝罪して、お願いしたけど、道路開発を引き継ぐことはできなかった。

そこまでしたことで、変な未練みたいなものがなくなって、新しいアイデアが閃いた。

「道路開発という法人そのものを引き継ぐことはできなくても、名前だけ引き継いで別法人として設立することはできるかもしれない。」

調べてみたら、法律上は同じ地域に同じ社名で法人登記することはできない。
でも、前㈱と後㈱は同じ社名とは認識されないから、可能。

そこからは早かった。


気持ちを切り替えて、「道路開発」という名前を使わせてもらうことに、交渉の方向性を変えた。

「そういうことなら、構わない。」
と社長の承諾も得られた。
しかも、色んな形で協力してもらえることにもなった。

本来であれば、残り2~3ヶ月、会社の清算のための片付けや、受注済みの現場を終わらせなきゃいけないのもあって、新設法人の設立準備をしている時間なんてない。

でも社長の好意で、平日昼間も法人登記の準備を進めることを優先させてもらえることに。

今までの取引先にも、社長から説明してもらい、別会社になるけど、引き続き取引してもらえるように、話してもらえることに。

結果的に、法人登記の準備も司法書士に代行してもらうこともせず、全て自分でやって、3~4週間で新しい道路開発を設立することができた。

㈱道路開発から道路開発㈱へ、必要なだけの車両や重機も売買してもらい、すぐに稼働できる体制を整えられた。

3月末まで従業員として雇用してもらえることになっていたけど、2月半ばには、大まかな準備ができたこともあって、兄と二人で2月末付けで早期退職して、3月頭から本格的に新しい道路開発で仕事を始めることができた。

それからは、兄と二人で馬車馬のように働きまくって、多くの人達の理解と協力を得ることができたこともあって、新しい会社をスムーズに軌道に乗せることができた。


その後は、自分達がやりたかった若手の育成も会社としてできるようになって、その延長で自分は今こんな記事を書いてもいる。


さて、色んなことが複雑に絡んでたから、説明が長くなってしまったけど、改めて本題に戻ります。

◎覚悟を決める儀式:土下座

土下座って、日本人の一般認識としては、謝罪の最上級の形っていう認識が強いと思う。

でも実は、相手に対することよりも、自分自身の覚悟を表現する意味合いの方が強いものだと思う。

昔ながらの日本男児であれば、またちょっと違う感覚なのかもしれないけど、現代人の自分にとっては、土下座って「覚悟の表明」のための型のような気がしている。

単なる謝罪であれば、謝って済むことなら、そして土下座して丸く収まるなら、そこまで深く考えずにやってしまえばいい。

みんながみんな、そうは思わないかもしれないけど、少なくとも自分はそう考えてる。

そのことによって自分の自尊心が踏みにじられるようなこともないし、自分の非を認めることができない方が、「頭固いな…」って思ってしまう。

ちっぽけなプライドを守るために、頑なに謝罪することを拒むより、大きな理想を成し遂げるために、細かいことは全て妥協しちゃえる。

誰になんて言われようと、最終的に大きな物事を成し遂げる方が、自分にとっては価値がある。

そのためだったら、人として一線を越えるようなこともするかもしれないし、細かいことを気にしてたら、それこそ心を病んでしまう。

ちなみに、前社長も現会長の父も、自分が社長になってからしばらくして、ゆっくり話を聞いてみたら、
「もう経営者はやりたくない。」
「経営者の仕事が嫌で嫌で仕方なかった。」
って言っていた。

もしかしたら、残念ながら、世の中の経営者のほとんどはそう感じているのかもしれない。

でもそれは、別に悪いことじゃない。

だって経営者って、命をすり減らしながらやるような仕事だから。
このことは、経験してみればわかる。

でも自分にとっては、こんなにやりがいがあって、苦しさも含めて楽しい仕事はない。

もしいつか、道路開発の社長を退いても、何かしらの事業を立ち上げて、また経営者をやると思う。

自分は、前社長に土下座してお願いする時に、覚悟を決めた。

「何があっても、どんなことをしてでも、この会社を存続させ、成長させ、次の世代に引き継ぐ。」
「死ぬまで経営者として、生き続ける。」
「経営者になりたいと夢見る人のために、経営者になるための経験ができる会社を作り続ける。」


若く何も知らなかったあの頃、自分で自分の可能性を信じられなかった時に、それでも自分の可能性を信じて、チャンスを与え続けてくれた人達がいたから、今の自分は存在している。


あの頃、悔しくてたまらなかったけど、あきらめずに生きてきて良かった。
今は心の底からそう思う。

仕事の楽しさや、認められる嬉しさや、仲間の大切さや、信じることの強さを、仕事を通して多くの先輩達に教えてもらった。

自分はこの気づきを、自分独りで抱えて墓場に持っていきたくはない。

受け継いだものは、全て次の人達に託していきたい。

それが受け取った人の責務だと思う。
(なんか錬獄さんみたいなセリフ…笑)


「覚悟を決めて臨めば、大抵どんなことでもなんとかなる。
もし、なんとかならないなら、それは覚悟が足りないだけ。」

もし、まだ一度も土下座をしたことがない人がいたら、自分の覚悟の表明のために、一度土下座をしてみることをオススメする。

なかなかそんな機会はないとは思うけど…

でも、やってみたらビックリするくらい、自分自身の変化に気づくことができると思います。


PS.
今日の記事は、あることがきっかけで書こうと思いました。

そのことについては、触れませんが。

でも今まで、現在の道路開発がどうやって生まれたのか、オープンに詳しく話したことは少なかったから、いいきっかけをもらえました。

「人は人の影響を受けて成長する。」

どんなことであれ、受け取ったものをプラスにもマイナスにも変換できるのが、人間だけに与えられた特殊能力だと、自分は信じています。

自分がしてもらったのと同じように、不完全燃焼してる人には、完全燃焼できるような場を提供し続けたい。

その夢が、少しずつ実現されはじめているような感覚があります。

「あなたがあなたの可能性を信じられなくなっても、
私はあなたの可能性を信じ続ける。
何があっても、絶対にあきらめない。」


コレが、私の覚悟です。

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