ぼくは関東大震災100年講演会へ行く

 ぼくは関東大震災100年講演会へ行く。少し前、ぼくは、千代田区立日比谷図書文化館というところの地下のホールで開かれた講演会へ行ってきた。日比谷図書文化館では『関東大震災100年「首都東京の復興ものがたり-未来へ繋ぐ100年の記憶-」』という展覧会をやっていて、その関連で、畑中章宏という民俗学者の先生の講演会が開かれたのである。

 ぼくがこの講演会のことを知ったのは、夏休みに、日本近代文学館というところで開かれた『教科書のなかの文学/教室のそとの文学Ⅰ──芥川龍之介「羅生門」とその時代』という展覧会へ彼女と一緒に行った時のことだ(その展覧会のことは「ぼくと彼女は羅生門展へ行く」という記事に書いた)。その時、ぼくらはこの『関東大震災100年「首都東京の復興ものがたり-未来へ繋ぐ100年の記憶-」』のチラシをもらった。別にきちんと目を通していたわけではなかったのだが、チラシの裏面に書かれてある『特別展関連講座③「関東大震災に遭った文豪・学者たち ―芥川龍之介・柳田国男・折口信夫その他』という文字がぼくの目に飛び込んできた。

 隠しているわけではないから改めて書いてしまうけど、ぼくは文学部の学生である。だから、「文豪」とか「文学」とかいう文字を目にすると、それなりに脊髄反射する体質になってしまっているのだと思う。ましてや「芥川龍之介」である。いまさっき『羅生門展』で直筆原稿とかを見てきたばかりの文豪である。しかも、ぼくはもともと芥川が好きときたもんだ。恥ずかしながら畑中章宏先生のことは存じ上げなかったが、きっとぼくの知的好奇心を満たしてくれる講演会になることだろう。

 ぼくはチラシの裏面の『特別展関連講座③』と印字されているところを指さし、由梨に向かって「この講演会面白そう」と伝えた。ただ、その講演会の開催日は土曜日の午後だった。ぼくは土曜日は日中はオフだが、由梨にはバイトが入っている。由梨はチラシを見ながら「『関東大震災に……文豪・学者たち』」と読み上げると、「土曜日かあ」とつぶやき、「友達と一緒に行ってきたら?」とぼくに言ってきた。由梨的にはバイトを休んで行くつもりはないということである。まあ、「バイト休むから一緒に行こう」と言われたところでぼくも困るんだけど。

 さて、誰と一緒に講演会に行こうかな。夏休み中だったので、学科の友人の香川にLINEで誘ってみたが、「だいぶ先だな。土曜日はバイトだから無理だと思うよ。転職してたら分からないけど」と返ってきた。そうだった、香川も土曜はバイトの曜日だった。数日後、地元の友人たちと遊んだ時に楢崎(他大学の経済学部)を誘ってみたが、「文豪の講演会かあ、興味ないなあ。まあ、また近くなったら言って」という塩対応だった。

 他にも同じ学部の後輩の早瀬とか、サークルの後輩の藤沢とか梶とか阿久澤とか井上公輝とか、高校の同級生の朝田とか羽角とか、ぼくの初体験の相手の上野くんを誘おうかとさえ思ったが、待てよ、そもそも誰かと一緒に行く必要なんてないじゃないか。由梨から「友達と一緒に行ってきたら?」と言われたので無意識に行動を刷り込まれていたが、ぼくは一人で講演会に行ってもいいはずだ。っていうか、別に無理して行かなくてもいいし。そう考えたら気が楽になった。

 夏休み明け。ぼくはサークルの部室で、A4クリアファイルの中に挟んでおいたはずのミニドラマの企画書を「あれ? どこ行ったんだろ?」などと言いながら探していた。必要なものは必要なときに限って見つからない。いつだってそうだ。ぼくはクリアファイルに挟んであるすべての書類を部室の机の上に並べる。その中には、ずっとファイルに入れっぱなしにしてあった『関東大震災100年「首都東京の復興ものがたり-未来へ繋ぐ100年の記憶-」』のチラシも含まれていた。その時に部室にいた伊勢崎香莉奈(同期で文学部)がチラシを目にして「今年は関東大震災から100年なんだよねー」と言う。ぼくは見失われた企画書を探しながら「そう、それの芥川の講演会に行こうと思うんだけど一緒に行くひといないんだよね」と一応リアクションする。物探しに集中しているので上の空の言葉である。

 だが、伊勢崎はぼくの話に興味を持ったようで、「芥川って?」と聞いてきた。伊勢崎は国文学科だから、日本の文豪の名前に触れると脊髄反射で興味を持ってしまうのだろう。ぼくはまだ行方不明の企画書を探している途中だったので、「チラシの裏に書いてある」と投げやりに回答する。チラシの文面を読みながら伊勢崎が「柳田国男じゃん。民俗学? 行ってみたい! 一緒に行こうよ!」と言い出した。まあ、伊勢崎のことは嫌いではないし、うちのサークルを象徴する部員の一人だと評価しているし、交流もそれなりに濃いが、伊勢崎と一緒に行くパターンだけは想定していなかった。ぼくと伊勢崎は「友達」って関係ではないのである。ただまあ、関東大震災発生時の文豪たちの行動について知ることは国文科の伊勢崎にとってもプラスになるだろう。詳細は不明だが民俗学に関心があるようだし。ぼくは伊勢崎に向かって「……じゃあ、ぼくのほうから予約しておこうか?」と提案する。探していたミニドラマの企画書は結局見つからなかった(帰宅後に改めて自宅でプリントアウトし直した)。

 伊勢崎と二人で出かけてもいまいち盛り上がらなそうな気がしたので、うちの会長の河村(同期で理工学部)にもLINEで誘ってみたが、「用事があるので遠慮します(冷や汗の絵文字)」とのことだった(なぜ敬語?)。仕方ない。これ以上誰かを誘って断られるのも心が折れるし、さすがのぼくも「この講演会は文学部の中でもマニアックな人間しか行きたがらない講演会なんだな」と察したので、これ以上悪あがきはしないことにした。伊勢崎に改めてLINEで「本当に予約する? 参加者2人だけだけど」と連絡する。「行く!」と3文字の回答が返ってきた。千代田区立図書館ホームページの応募フォームから2人分で予約する。参加費500円。無料じゃないのかよ。しかも500円も取るのかよ……と思いつつ、ぼくは応募ボタンを押した。

 講演会数日前。部室に寄ったら伊勢崎もいたので、「あ、今度の週末よろしく」と声をかける。そうしたら、その場にいた河村が「おれは講演会には行けないけど夜は空いてるから3人で飲もう」と言ってきた。それはよさそうだな。じゃあ飲みますか! ……そういうわけで、講演会が終わったあと、JR新橋駅のSL広場に集合して3人で飲むことが決まった。ここまでで3,000文字弱である(前フリが長すぎるだろ!)。

 講演会当日。東京メトロ千代田線霞ヶ関駅のC4出口前(地上)で待ち合わせ、10分ぐらい待たされたあと、日比谷図書文化館へ向かう。日比谷図書文化館は日比谷公園の敷地内にある。日比谷公園というか、日比谷公園内の日比谷公会堂には高校の合唱コンコールで行ったことがあるが、日比谷図書文化館へ行くのは今回が初めてだ。本当は講演会に参加する前に、1階で開催中の展覧会『関東大震災100年「首都東京の復興ものがたり-未来へ繋ぐ100年の記憶-」』へ行くつもりだったのだが、伊勢崎が遅刻しやがったので予定を変更し、展覧会のほうは講演会のあとに寄ることにした。

 地下1階の受付で名前を名乗り、2人分の参加費1000円を払い、伊勢崎から「細かいのないからあとでいい?」と言われたので了承し、ぼくらはホールへ入場した。想像していたより多くの聴講客がすでに来ている。若いひとは少ない。というか、ほぼいない。聴講客の9割方が「年金を払っている」というよりは「年金を受け取っている」世代である。伊勢崎が「このあたりでいいんじゃない?」と言うので、とりあえずそのあたりの席に座る。椅子はテーブル付きだ。これならメモが取りやすい。配られたレジュメを見ながら伊勢崎が文学の知識を口走る。伊勢崎は放送研究会と劇団を掛け持ちして派手なパフォーマンスをする異常なハイテンション女として世間では知られているが、実は勉強ができるし文学の造詣が深かったりする。実際、ぼくは、二葉亭四迷のペンネームの由来が「くたばってしめえ」であることを一年生の時に伊勢崎から教わったのだった。

 講師の畑中先生が入場し、講演会が始まる。スクリーンにはレジュメと同じ内容のスライドが映し出され、それに沿って講演が進んでいった。畑中先生のお話は面白い。もしこれがぼくが大学で取っている授業だとしたら、ぼくはこの授業を受けるのを毎週楽しみにしていると思う。芥川龍之介は関東大震災発生時を回想して「わたしは妻と子を抱いて表へ連れ出し、別の子を連れ出すためにまた家の中に戻った」などと大活躍した的な文章を書いているが、夫人の証言によると芥川は実際には妻子を置いて自分だけ真っ先に逃げたらしい。ぼくはこの話を聞いて二ヤリと微笑む程度だったが、左隣の伊勢崎は小さく笑い声を上げていた。

 それから、柳田国男は「天譴論」(地震が起きたのは天罰だという主張)に憤りを抱いていたという話だとか、いまとは状況が違うが100年前にパレスチナ問題に関心を抱いていたとかいう話が続いた。この時はまだ左隣の伊勢崎もたまにメモを取っていた。だが、折口信夫が「自警団」に囲まれた時の話あたりから、明らかに伊勢崎の意識が混濁してきたのが分かった。田山花袋が地震発生時を思い出して書いた文章は描写力が高いという話の時には完全に寝ていた。文字通りの爆睡である。起こすのも面倒なのでそのままにしておく。結局、畑中先生の話が終わり、職員の女性が結びの挨拶をした段階でもなお、伊勢崎が目を覚ますことはなかった。

 「……よく寝た?」。聴講客たちの締めの拍手に起こされた伊勢崎を見ながらぼくは言う。初めて訪れた公立図書館の講演会に参加して、全体の半分以上の時間を睡眠に充てるとはいい度胸である。おそらく他の聴講客(9割方ご高齢)からは「これだから若い者は……」と思われたに違いない。伊勢崎は「寝たあ! もう終わったの?」とぼくに言うと、「意外と早めに終わったね」と真顔で言い放った。ぼくはすかさず「それは香莉奈ちゃんが寝てたからでしょ」とツッコんだが、いまとなってみれば、呆れた表情でスルーするのが正解だった気もする。

 新橋駅SL広場での河村との集合時間までまだ少しだけ時間があったので、伊勢崎が遅刻していなければ講演会の前に行けていたはずの展覧会『関東大震災100年「首都東京の復興ものがたり-未来へ繋ぐ100年の記憶-」』へ。一部を除き写真撮影可の展覧会だったので、ぼくはいつものようにパシャパシャ撮りまくろうとしたが、伊勢崎が「のんびりしてると遅れちゃうよ」とか「なんでそんなに写真撮ってるの?」とか言ってくる上に、写真に写り込もうと妨害してきたため、あんまり写真を撮れなかった。

 ただ、関東大震災発生1か月後に当時の小学生(淡路尋常小学校の児童)が描いたという震災の絵の写真はしっかり撮った。いまからちょうど100年前の小学生が描いた絵である。いまの小学生が描いたと言われても通用する、普遍的な「児童らしさ」を感じるタッチの絵だ。だからこそ、かえって当時の生々しい息づかいが時代を超えて伝わってきて、関東大震災が子どもも巻き込んだリアルな惨事だったことを実感させられる。

関東大震災発生1か月後に淡路尋常小学校の児童が描いた震災の絵
天ぷら屋さんの上空を赤い炎と黒い煙が覆っている

 展示室を出たところに置いてあったアンケート用紙に展示の感想を書いて(ぼくはできるだけこういうアンケートに答えるようにしている)(放送研究会の渉外をやっているせいで他大学の番組発表会に行くとモニターシートを書く癖がついているからである)、伊勢崎からまた「そんなのいいから! 時間ないのに!」とか言われて(伊勢崎は滅多に他大学の番発に行かないのでこういうアンケートの重要性を理解していない)、ぼくらはJR新橋駅のSL広場へ向かう。行きと違うルートなのでちょっと迷う。っていうか今日、風が冷たくて寒いんですけど。

 新橋駅のSL広場に着くとすでに河村がぼくらを待っていた。河村に「お昼何してたの?」と聞くと、「別に何ってわけじゃ……」という答えが返ってくる。事前に聞いていたのと話が違う。河村は講演会には行きたくないが飲みには行きたくて、それで、本当は一日中暇なのに「日中は用事があるが夜は空いてるから飲みに行こう」などと嘘をついていたのだ。ぼくは河村のことは友人だと思っているが、河村のこういうところは嫌いだ。講演会に興味がないなら真正面からそう言ってくれ。あと、嘘をついたなら最後までその嘘を貫き通せ!

 風がますます強まって本格的に寒くなってきたので、ぼくと伊勢崎で「もうここ入ろう!」と言ってSL広場の近くの土間土間へ。個人経営というかオリジナリティがある居酒屋のほうが好きな河村としてはもしかしたら不満だったかもしれない。途中からそれぞれのカップル事情の話になり(河村は後輩の吉田と、伊勢崎は先輩の石毛さんと付き合っている)、実物の由梨と会ったことがある伊勢崎が「(ぼくの下の名前)はユリちゃんのこと大切にしてるの? いい子なんだから大事にしなきゃだめだよ」などと説教してくる。会ったことがあるといっても伊勢崎が由梨に会ったのは二度だけだし、「いい子」という呼び方にも違和感を持ったが、ぼくは「分かった。これ以上大事にしようがないけど分かった」と答えておく。お酒を飲んでいるうちに気分がよくなったので、結局、3人で二軒目のお店にも行った。

 翌日。由梨とのデートに向かう前、念のためお財布の中の現金を確認しておく。少ない。とてもお札が少ない。たしかにぼくは年中金欠だが、ぼくの財布はこれほどまで薄かっただろうか。一瞬、昨日の帰りの電車でスリに遭ったかと疑ったが……違う。河村と伊勢崎とぼくの3人で、土間土間と、あとよく分からない二軒目のお店へ行ったせいだ。由梨が土曜にバイトを入れて収入を得ていたあいだ、ぼくは自ら経済的困窮を深めるという暴挙に出ていたのだ。はあ。ぼくも来月から夜勤のシフトを増やすか。目の下のクマをこれ以上増やしたくはないんだけどなあ。あと、これを書いていていま思い出したが、ぼくは講演会の参加費500円をまだ伊勢崎から受け取っていない。完全に失念していた。今度会った時に必ず回収してやる!

 「関東大震災100年講演会へ行く」というタイトルの記事が「立て替えたお金を受け取っていないのを思い出した」という話で終わろうとしているのは情けない限りだが、この講演会で感じたことというか、後日、由梨と一緒に国立科学博物館の関東大震災100年企画展に行って思ったこととか、畑中章宏著『関東大震災 その100年の呪縛』を読んで思ったこととかは改めて書くつもりなので、今日のところは雑談日記で勘弁してください。いや、別にこのnoteはぼくの書きたいことを書く場なのでみなさまのお許しをいただく必要はないのだが、ぼくだってみなさんに社会派学生と思われたかったりするんです! 「ただの金欠学生」という真実の姿を少しは粉飾したかったりするんです!(ぼくは経済的に貧しいだけじゃなく心まで貧しいというオチ)

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