ぼくと彼女はピクニックに行く

 ぼくには交際二年目の彼女がいる。彼女とは首都圏の大学の放送サークルの懇親会で知り合った。ぼくが音声ドラマを作っていて、由梨がアニメを作っているせいかもしれないが、ぼくらは映画館へ映画を一緒に観に行くことが多い。作品づくりの直接の参考になるってほどではないが、一種の勉強というか、刺激を受けることは受ける。……いや、だいぶ参考にしたこともあったな。白状します。演出について「参考」どころか「借用」したことがあります(「パクった」とは言わないぞ!)。

 それから、ぼくらは美術展に行くことも多い。これはもう100%、由梨が行きたがるからだ。まあ、アニメクリエイターが美術展に行きたがるのはしょうがない。ぼく的には興味がない美術展に連行されることが多いので「一人で行けばいいのに」と思うこともあるが、ぼくは優しい彼氏なのでそんなことは口にしない。……いや、一回だけ、スケジュール調整が面倒になって「一人で行っていいよ」的なことを言ってしまったことがある。その時、由梨が憤りと悲しみが合わさった表情をしたので、それ以来、ぼくは絶対にそんなことは口にしないようにしている。

 あとは、博物館などで開かれる展覧会に行くこともある。これもほぼすべて由梨の提案によるものだが、中には『恐竜博』みたいにぼくから誘って行くパターンもある。まあ、博物館の常設展のほうは学生は無料だったりするので、ぼくらが博物館に行くのにはそういう経済的な事情も関係していたりする。ぼくは美術展に行くよりは博物館系の展覧会に行くほうが好きかもしれない(いま書いていてなんとなくそう思った)。

 以上、由梨とのデートで訪れる場所をまとめてみたが、いわば上記は「ハレ」のデート先である。普段のぼくらのデート先、「ハレとケ」で言ったら「ケ」のデート先は、中央線・京浜東北線沿線の飲食店だったり(ファミレス含む)、商業ビルだったり(コピス吉祥寺含む)、由梨の実家の近くの無料スポット(野毛山動物園含む)だったりである。一緒にご飯を食べたり買い物したりは、ぼくらにとってはデートというより日常である。

 「ハレ」でも「ケ」でもない微妙な位置のデート先もある。典型的なのはラブホテルだが、ちょっと今日はそういう話をする気分ではないので、ピクニックの話をすることにする。ピクニック。なんだそれって感じだが、公園でのんびりしたり森林的なところを散策したりすることを由梨はそう総称しているのである。

 ぼくはピクニックが苦手である。ぼくはそもそもアウトドア派じゃない。運動系が好きじゃないし、虫が苦手だし、どちらかと言わなくても「自然」とは親和性の低い人種である。森林の中からマイナスイオンを感じ取る感性も持ち合わせていない。ぼくは由梨から「公園行く?」とか「ピクニックしようよ!」とか言われると、正直に「行きたくない」と言いたい衝動に駆られる。ただまあ、ぼくは優しい彼氏なのでそんなことを口にしない。代わりに無表情で「いいね」「行くか」と返す。

 もっとも、ぼくらはしょっちゅうピクニックに行っているわけではない。森林っぽい空間はそもそも都内では数が限られているのだ。ぼくらが行ったことがあるのは、皇居外苑(ここはよく行く)とか、井の頭公園(ここもまあ行く)とか、上野公園とか、等々力渓谷とか、都内じゃないけどみなとみらいの一角とか……って、振り返ってみたら結構行ってるな。ベンチがある公園ではだいたいベンチに座る。座ってパンやお菓子を食べたりする。これがぼくらのピクニックである(ただの徘徊と呼びたくば呼べ)。

 先日、ぼくらが行ったのは国立科学博物館附属自然教育園だ。目黒駅から歩いて数分のところにある。本来なら一般・大学生は入園料として320円取られるのだが、ぼくの大学も由梨の大学も国立科学博物館(科博)のキャンパスメンバーズ制度に加盟しているので、ぼくらはここにいつでも無料で入れる。ただ、ぼくらの現在の生活圏とは外れた場所にある施設なので、ぼくらがこの植物園に行ったのは実はこの日が初めてだった。

 少し前、科博の常設展+企画展(『科博の標本・資料でたどる日本の哺乳類学の軌跡』)に一緒に行った時、由梨がガイドマップで自然教育園の存在に気付いて、「今度はここ行ってみようか。目黒だって」とぼくに言った。もうすでに日本中が猛暑を迎えていた頃だったので、最初、ぼくは「この暑さの中でピクニックなんてして大丈夫かな?」と暗に反対した。しかし、由梨は「植物に囲まれているところだったらかえって涼しいんじゃない?」などと言ってぼくの反発を退ける。ぼくは自然教育園に行くのを「反対している」のに、由梨はぼくが「不安がっている」と勘違いしているのだ。ぼくはいくらかモヤッとしつつも、涼を感じる万に一つの可能性を信じて由梨の誘いに乗っかることにする。入園無料だし。

 目黒シネマでピエール・エテックスの喜劇映画3本立て上映を観て(めちゃくちゃ面白かった!)、ぼくらは自然教育園へ向かう。はあ、暑い。こんな暑さの中でピクニックするとか完全に頭おかしい。ぼくは「熱中症には気を付けてよ? ね? 熱中症には気を付けてよ?」と由梨に何度も念を押す。由梨は「そっちこそ気を付けて。(ぼくの下の名前)くん、熱中症になりかけたんだから」とぼくに反撃する。はあ、7月の一件を持ち出さないでくれよ……。そんなこんなでぼくらは途中のファミリーマートで遅めの昼食(サンドイッチと冷たいパスタとドリンク)を買って、自然教育園の窓口で職員さんに学生証を見せて、二人揃って無料で入園した。

 自然教育園は想像以上に「森の中」という感じで、公園というよりは森林と呼ぶべき空間だった。それと、草木が多すぎるおかげでルートはずっと日陰で、時々風も吹いてきて暑さが和らいだ。というか、もはや涼しいぐらいである。由梨の言っていた通りで悔しい。ぼくが「涼しいね」と言うと、由梨は「ね! 涼しい。気持ちがいい」と返してきた。そう言う由梨が汗一つかかず、まるで朝ドラのヒロインのように涼しげで爽やかな表情をしていたので、ぼくは思わず見とれてしまった。

 その日は日曜日だったにもかかわらず、ぼくらはたまに中高年夫婦や家族連れとすれ違うぐらいだった。二人だけでこの森林を独占しているような気分になる。ここでならイチャついても問題なさそうだ……と思ったが、ぼくは理性的な人間だし、そもそもゲイなので、自然教育園の中で由梨を抱きしめたりキスしたりはしない。その代わりと言っては何だが、由梨の髪の毛にごみらしきものが付いていたので取ってあげた。何も言わずに髪の毛に触れたので少し驚かせてしまって、それはごめん。

 道中、ぼくらは「なんだこの草」とか「ムラサキシキブだって」とか言って植物を観察しながらも、ずっとおしゃべりに耽っている。目黒シネマでさっき観た映画のこととか、サークルの番組発表会のこととか、その練習でのこととか、サークルの後輩カップルのこととか、コンビニの商品の値段のこととか……ほぼノンストップでしゃべっている。ぼくらには話さなくちゃいけないことが多すぎる。ぼくらはいつも会話に飽き足らない。

 池のような沼のようなものが見えるベンチに座って、ぼくがいつも持ち歩いているウェットティッシュ(99%除菌)で手を拭いて、ぼくらはファミリーマートで買ったサンドイッチと冷たいパスタを食べる。さすがに冷たいパスタはもうぬるくなっていたが、まあそれはしょうがない。この猛暑日にピクニックをしようとすることが異常なのである。ぼくがサンドイッチを食べているところを由梨が見つめてきたので、ぼくは「……なんだよ?」と言って、由梨の口の中に卵のサンドイッチを突っ込む。由梨は卵が好きなのだ。由梨は「ひとの口に食べ物押し込むとか最低だからね!?」と激怒しつつ、ぼくの口の中にハムとチーズのサンドイッチを突っ込む。ぼくはチーズが好きなのだ。まあ、食事にはなっているからいいんだけどさ……どうせお互いの口の中に食べ物を突っ込むなら、「あーん♡」みたいなやり取りであってほしかった。こんなの、ムードもへったくれもありゃしない。

 でも、こうやって書いていても、「あーん♡」みたいな甘い感じにはならないあたりがぼくらっぽいなと、ぼくはつくづくそう思う。ぼくらは甘い言葉をささやき合ったりしない。愛の世界に没入したりしない。それはぼくがそもそもゲイだからでもあるが、由梨が基本的には大人っぽい性格の女性だからでもある。密室に二人きりでいる時は例外もありますけどね。

  それと、ぼくはたぶんピクニックが嫌いじゃない。本当は嫌いじゃない。いまからめちゃくちゃ恥ずかしいこと書きますけど、ぼくは由梨と一緒ならどこに行ったとしても楽しい。インドア派のぼくにとって森や自然だけは絶対に楽しむことのできないデート先だと思い込んできたし、いまも思い込んでいるけど、大事なのは「どこでデートをするか」じゃない。「誰とデートをするか」なんだ。なんかこれと似たような文句を「食事」の文脈で聞いたことがあるような気もするが、まあ、そういうことです。由梨とのデートの時、ぼくはどこかへ行くために由梨と会っているのではなく、由梨と会うために由梨と会っている。ぼくの目的地は由梨なのだ。

 遅い昼食を食べ終わり、自然教育園をぐるっと回って入口の本館(?)みたいな建物に戻る。室内は冷房が効いていて涼しい。園内の日陰もまあまあ涼しかったけど、さすがにこの人工的な冷風には敵わない。「植物画コンクール入選作品展」というのがこじんまりと開催されていたので、二人で観賞する。みなさん絵がお上手。小学生の時に夏休みの宿題で描いたアサガオの絵を思い出して懐かしい気分になる。由梨に「由梨もこういうデッサンみたいなの描くの?」と聞いたら、「わたしは描かないよ。画家じゃないから」と返された。そこで画家とアニメーターはどう違うのかと聞いたら専門的な話になったので、ぼくはペットボトルの台湾烏龍茶を飲みながら「ふーん」「へえ」などと適当に相槌を打ちながら聞き流す。自分の分野の話をしている時の由梨のまじめな顔、ぼくは嫌いじゃない。

 自然教育園の敷地の外へ出ると、急に暑さが戻ってきた。暑い。この猛暑日の中、涼を感じられる都内の野外空間は自然教育園の中にしかなかったようだ。由梨が「また来ようね」と言ってきたので、ぼくは「……涼しくなったらね」と返す。由梨が「季節ごとに来ようか。次は紅葉を見に来よう!」と言う。季節ごとにかあ。由梨はいったいいつまでぼくと付き合うつもりなんだろう?

 ふと右隣を見ると、由梨は相変わらず涼しげな顔をしている。自然教育園の本館(?)に貼ってあった連続テレビ小説『らんまん』のポスターに写る浜辺美波より涼しげな顔だ(※個人の主観です)。髪の毛にごみが付いていたらまた取ってやろうと思ったが、目を凝らして見てみても今度はどこにも付いていなかった。仕方ないのでぼくは由梨の左肩に自分の右手を置く。手のひらにブラジャーの肩紐が当たる。「今日もブラ着けてるんだね」と言うと、由梨は「……は?」と言ってぼくを睨んできた。その目つきがあまりにも怖かったのでぼくは肝を冷やし、自然教育園の外にいるはずなのにちょっとだけ体が涼しくなった。

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