ぼくは彼女と恐竜博へ行く

 ぼくは恐竜が好きだ。幼稚園の頃にはもう大好きで、小学生の時も大好きだった。だけど中学生になると映画だとか戯曲だとかに興味を持つようになって、恐竜趣味からは離れてしまった。高校入学時にはもう、恐竜は「大昔の趣味」という感じだったな。しかし今年の春休み、NHK総合で『恐竜超世界2』という番組をたまたま見てぼくの恐竜熱が再燃した。「これこれ! ぼくが好きなのはこれ!」と興奮が全身にみなぎってきたのだ。

 さっそく、ぼくはスマホを操作して「恐竜」と検索する。いまとなってはそれによって何の情報を得ようとしていたのか不明だが、当時のぼくは気が付いたら右手が動いて検索ボックスにそう打ち込んでいた(ぼくは右利きなので)。「恐竜博」という文字が当然のようにいちばん上に出てくる。サイトを開く。……これだ! これこそぼくが行かなくちゃいけないやつだ!

 後日、彼女の由梨とシァル桜木町のKITCHEN JO'Sで晩ご飯を食べている時(ぼくはもちろん好物のハヤシライスを頼んだ)、「今度どこか行きたい場所ある? 観たい映画とか」と聞かれたので、ぼくは控えめに「きょ、恐竜博というのが国立科学博物館でやってるんだけど(早口)……まあ、興味ないよね……」とつぶやいてみる。「恐竜? いまやってるの? 行こう行こう」と由梨が反応する。フッ、作戦成功だ。ぼくは由梨の攻略法を知っている。ぼくが遠慮気味に提案すると由梨はぼくの言うことを何でも聞くのだ(本当か?)(この前「遠慮してんじゃねえ」と叱られたばかりだろ)。

 観覧当日。JR上野駅公園口改札前でぼくらは待ち合わせる。いつもは数分遅刻するぼくだが、この時ばかりは集合時間5分前に着いた。歩いて国立科学博物館に向かっている時からもうぼくは興奮していたが、館内展示エリア入口の『恐竜博 2023』と書かれた看板を目の当たりにした時には発狂しそうになった。ぼくは思わず隣の由梨の顔を覗き込む。「キター!」みたいな感じで覗き込む。由梨が「え? 何?」と戸惑いを露わにする中、ぼくは「キョウリュウハク……ニイマルニイサン……」と由梨の耳元でささやく。煮えたぎるこの熱狂を声に出さずにはいられなかったのだ。

 ぼくはもうずっと発狂中である。だって、目の前に恐竜がいる。化石の姿にはなっているけど恐竜がいる。ぼくは小学生の頃にはそれこそ国立科学博物館をはじめとした各種施設で恐竜の化石を見ていたが、こうやって目の当たりにするのは約10年ぶりだった。ぼくは人生の半分ものあいだ、恐竜から離れていたのである。感動の再会に興奮しないで済むわけがない。そばにいた男子小学生と同じ温度で「ねえ、見て! 見て!」と盛り上がっていた。

 由梨は最初、史上最高にテンション高めのぼくにちょっとびっくりしたようすだったが、それを早い段階で面白がり始め、「ほらほら、これの写真は撮らなくていいのー?」などとぼくをイジってきたりした(ヘスペロサウルスをこれ呼ばわりするとは何事か!)。ぼくにはもはや洒落た言葉を返す余裕などない。「撮る! 撮るに決まってるでしょ!(焦)」と鼻息を荒くしながら答えるのが精いっぱいだった。念のため言っておくと、この場を楽しんでいたのはぼくだけではない。由梨もタラルルスの骨格標本を見て「かわいいね、これ!」と言っていたことを特筆しておく。

 『恐竜博 2023』のいちばんの目玉は、ズールという鎧竜の全身骨格である。ズール専用のブースがまるごと用意されている。そのブースの入口ではズールの顔の骨格が観覧客と向き合う形で展示されていて、それと直面した時には、冷静沈着でおなじみのぼくもさすがに興奮MAXで体が震えそうになった。構図を気にしてズールの写真を撮っている由梨の横で、ぼくは「由梨、由梨……!」と思わず声を出す。由梨は写真を撮りながら「何?」と聞いてきたが、ぼくはぼくの鼻息を聞かせてあげることしかできなかった。

 ズールの全身骨格とゴルゴサウルスの全身骨格を対決させるようにして抱き合わせた展示もヤバかった。ぼくは意味もなく「由梨、由梨……」と連呼し、プエルタサウルスの展示を見ていた時にはかろうじて保っていた言語能力を失った。「うわ」か「しゅごい」か「ひい」しか言えないロボットと化してしまったのだ。由梨はそんなぼくを鼻で笑い、興奮しているぼくの姿をスマホで撮ってやがる。ズール(米国モンタナ州・鎧竜)を無視して観覧客(東京都・大学生)の写真を撮るとかマジで信じられない。悪魔か。

 でも、ぼくが本当に興奮しすぎてヤバかったのはティラノサウルスの全身骨格だ。今さら「ティラノサウルスヤバい」とか恥ずかしくて言いたくないのだが、でも、やっぱり恐竜界の王者なだけはある。オーラが違う。二頭のティラノサウルスが並んでいるのを前にした時、ぼくは「体が震えそう」じゃなく、実際に体が震えた。すぐには写真を撮る体勢になれず、由梨の肩に手を置いてしまった。「ちょっ、っとさぁ……タイソン(ティラノサウルスAの名前)とスコッティ(同Bの名前)だってさぁ……」と言いながら、ぼくは由梨の肩に手を置いて小刻みに振動を送る。字面にするとガチの不審者である。会場スタッフに通報されなくて本当に助かった。

 さすがにここまで来ると、由梨も「……大丈夫?」と半分真顔で聞いてくる。大丈夫なわけないだろ。大丈夫じゃないからぼくは震えてるんだぞ。人目を気にせずきみに触ってるんだぞ。いまだったらそう言えるが、その時のぼくは「……しゃっ、しゃあ……」という謎の奇声を発しながらうなずくことしかできなかった。恐竜を前にすると一部の人間はそうなる。

 その後は比較的落ち着いた展示だったので体を震わせずに済んだが(ティラノサウルスのおかげで最強の興奮免疫を獲得したからというのもある)、それだけに、出口のところに掲げられていた古生物学者の文章にはちょっと冷静に考えさせれるところがあった。

化石はこの惑星の記憶である。
地球は化石で岩石に
自叙伝を綴っているのだ

スミソニアン国立自然史博物館 館長 カーク R. ジョンソン

 かつて地球という惑星に「恐竜」と呼ばれる生き物がいた。連中は鳥類を残してきれいさっぱり絶滅し、いまや化石としてしか姿を残していないが、しかしその骨だけの姿を通じて地球の歴史を伝えている。いまなお、そしてこれからも伝え続ける。地球という惑星がある限り、過去と現在と未来のドラマはつながっている。つながり続けるのだ。

 なんだか壮大な話をしてしまった。「だから地球の自然環境を大切にしよう」という展開のSDGs作文を書いてしまうところだった。でも、まじめな話、やっぱりぼくはこうした「広い視野」が大事だと思う。ぼくは化石ハンターじゃないが、化石を掘るにしても、どんな貴重な骨を見つけるかとか、この骨をどんな風に組み立てるかを意識するだけじゃなくて、骨の一つひとつが背負っている大きな物語に思いを馳せるようでなければ、どんなに化石を掘るのが上手だったとしても気持ちが満たされないんじゃないかしら。

 会場を出て、グッズショップでぼくは散財した。普段はぼくの浪費を厳しく戒める由梨も、ぼくの恐竜愛が本物だと知って、今日は大目に見てくれたのだ(ぼくの手の動きを厳しく監視してはいたが)。図録はもちろん買う。クリアファイルも買う。ゴジラとコラボしたクリアファイルも買う(どこの展覧会でも由梨はクリアファイルの購入なら大目に見てくれる率が高い)。B5ノートも買う。マイプ(肉食恐竜)の大きなぬいぐるみについては数分悩んだが、小さいほうを買うことで妥協した。あとは、サークルの連中へのお土産としてポテトのお菓子も買う。はあ、ガチの散財だよ!

 由梨はコウペンちゃんとコラボしたハンカチ、お土産用のクッキーだけ買っていた。安上がりなやつだ。なんだか気の毒になったので、ぼくは出口のところに置いてあったガチャガチャ(海洋堂の恐竜フィギュアのやつ)を指さして、「ねえ、あれ一緒にやらない? ぼくがお金払うから」と提案する。言った瞬間、失敗したなと思った。由梨は奢られるのが大嫌いな割り勘原理主義者なのだ。当然、由梨はいらないと伝えてきた。

 今日のぼくは引き下がらない。「でも、ぼくが買いたい」。由梨は「……うん。それはいいけど。わたしはいらないよ?」と言う。もうこうなったら強行突破だ。ぼくはガチャガチャを2回分回す(はい1000円消えた)。そのうち一個のカプセルの上半分を開け、由梨に「受け取ってください」と下半分を差し出す。まるで婚約指輪を渡すシーンみたいだ。ぼくの紳士的な態度に感動したのか、由梨は「本当にいらないのに……」と言いつつも中身を取り出す。マイプじゃないか! ぼくが欲しいやつ! ぼくは由梨に空のカプセルを押し付け、慌てて自分用のカプセルを開ける。ゴルゴサウルスだ。うーん。ついさっき骨格を見て興奮したばかりで言うのは気が引けるが、ゴルゴサウルスはぼくのアイドルじゃない。ぼくはマイプがほしかった。

 結局ぼくは「きみのマイプとぼくのゴルゴサウルスを交換してほしい」と言えず、おそらくマイプのフィギュアはいまも由梨の実家のどこかにある(捨てていなければ)(弟の孝彦くんの手に渡った可能性もあり)。ぼくとしては悔しい限りだが、ただこの日、由梨はマイプをさらに上回るお土産を手に入れていた。それは「わたしの彼氏は恐竜を目の前にすると超絶ハイテンションになる」という情報である。ぼくはぼくの興奮起爆剤を由梨に知られてしまった。急所を握られたも同じだ。

 以来、由梨は恐竜ネタを見つけてきてはぼくに振ってくるようになった。恐竜化石発掘セットとかいう子ども向け玩具をニヤリと笑いながら渡してきたし(絶対悪だくみしてるだろ)、この前は『特別展恐竜図鑑』という美術展にも連れて行かれた。ぼくとしてはぼくのペースで恐竜趣味を楽しみたかったんだけどなあ。でも、ぼくは目の前にぶら下げられたニンジンを見て駆け出していく。しょうがないよ。だって、ぼく恐竜好きなんだもん。大好きなんだもん。近頃のぼくはゴルゴサウルス並みに鼻息が荒い。

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