ぼくは影をなくした男を聴く

 ぼくは『影をなくした男』を聴く。もう現役は退いたが、ぼくは大学の放送サークルで音声ドラマを作っていた。新たに立ち上げたインカレの放送サークルのほうではむしろこれから創作を始める予定である。そんなわけで、ぼくは『青春アドベンチャー』を聴くことが多い。NHK-FMで平日の夜に放送されている1回15分の音声ドラマ番組だ。ぼくはNHKのラジオアプリ「らじる★らじる」の聴き逃しサービスを利用してこれを聴いている。

 先週放送されたのは、『影をなくした男』という全5回の作品だった。アーデルベルト・フォン・シャミッソーという19世紀ドイツの文学者の小説を音声ドラマ化したものらしいが、あいにくぼくはシャミッソーのこともこの原作小説のことも知らない。ぼくはいつも『青春アドベンチャー』の公式サイトの「今後の作品ラインナップ」のところをチェックして、「来週から始まる作品は面白そうだから聴いてみようかな」とか「これは興味ないから聴かなくていいや」などと判断するのだが、この『影をなくした男』は面白そうだから聴くことにした。

 だって、まずタイトルからして面白そうじゃないですか。『影をなくした男』って! 『世にも奇妙な物語』系のお話かなと思って公式サイトのあらすじ欄を読んでみたら、「シュレミールという青年が灰色の服の男に声をかけられ、幸運の金袋と引き替えに自分の影を売り渡す」っていうまさに『世にも奇妙』系なお話で、これはきっと面白いぞと直感した。ぼくは外国を舞台にした日本語ドラマが好きだしな(日本人の俳優が「あら、ピーター!」「おお、アメリアじゃないか!」などと言い合うやつ)(去年『青春アドベンチャー』で放送されたやつだと『ベルリン1989』とか)。あと、全5回っていう短さもいい。ぼくの場合、全20回は聴く気が起きません。

 NHK-FM『青春アドベンチャー』で放送された『影をなくした男』は、実際、聴いてみてかなり面白かった。その感想をアトランダムに記すと……

 まず、テンポがよくてダレるところがなかった。ぼくがここで言う「テンポがよい」というのは、俳優の台詞回しがスピーディだとかいうことではなく、「時間を取るべきところ」と「サクサク行くべきところ」のバランスが上手くとれているということだ。例えば、主人公のシュレミールという青年は、最初は家庭教師の仕事を求めてお屋敷にやってきた貧乏人なのだが、灰色の服の男との危険な取り引きを経て、一年後にはお金持ちの侯爵に成り変わっている。『影をなくした男』ではその一年間の事情はバッサリ省略されている。ドラマとしてはそれでいい。いや、それがいい。

 それから、ナレーションの使い方が巧みだと思った。これは原作通りなんだろうが、『影をなくした男』は「シュレミールが友人に送った手紙をその友人がリスナーに紹介する」という形式をとっている。だから、この物語に語り手は二人いる。一人はシュレミールの友人、そしてもう一人は手紙の中のシュレミール自身だ。物語の中ではシュレミール自身が「友よ! こんなことが許されるのだろうか」とか「友よ! これがぼくが体験した物語だ」などと語ったりする。シュレミールは第三者視点のナレーターにはならずに、物語の中の登場人物にとどまっている。

 一方、シュレミールの友人のほうも「……という手紙が送られてきたんだけど、みんなはどう思う?」と紹介する役割なので、第三者視点のナレーターというよりは「番組パーソナリティ」と呼ぶのがふさわしい。音声ドラマにおいてナレーションというのは諸刃の剣で、ナレーションに安易に頼ると「ドラマ」ではなく「講談」になってしまう。だからナレーションをどう取り入れるかは制作者のセンスが問われるところで、ぼくなんかは逆にナレーションを使わないドラマ作りにこだわってきたわけだが、この書簡体小説的形式だと「ナレーションのためのナレーション」を回避できる。これはなかなか妙手である。まあ、しょっちゅう使える手じゃないけどね。

 出演者に目を向けると、灰色の服の男を演じた谷田歩さんの演技に特に感心した。不気味なのだがムカつくキャラクターを見事に演じていたと思う(上から目線ですみません!)。灰色の服の男は実際には「人間」ではなく「悪魔」である。小説だったら読者が各自勝手に「人間のような悪魔のようなやつ」をざっくりイメージすればいいけど、ドラマとなると俳優側が「一つの解答」を具体的な姿として示さなくちゃいけない。これが難しい。ましてや19世紀ドイツ版の「人間のような悪魔のようなやつ」である。なおさら表現が難しい。そこを谷田歩さんはリアルとファンタジーの境目のところでスルッと演じていた。いい役者さんだなと思ったよ、ほんと。

 そんなわけで、ぼくは『影をなくした男』を楽しんだわけだけど、お察しのように、一人の客として素朴に楽しんだというよりは、9割方は学習材料として楽しんだ。これはぼくが音声ドラマの脚本家兼演出家(アマチュア)である以上はしょうがないことだ。ぼくは『影をなくした男』をとてもよく楽しんだが、聴きながら、「ここでこういうBGMを入れるのか」とか「灰色の服の男がしゃべっている途中にシュレミールの『これは?』という一言をわざと挟んで一方的な長台詞が生じないように脚本を工夫しているな」とか考えていたし、物語の結末については「こういうオチか。ぼくならこうしたのになあ」などと思ったりもした。

 まあ、結末については原作通りだろうから言っても仕方ないけどね。別に悪い結末だとは思わないし。ちなみに、最近、「原作がある作品の脚本を書くのはオリジナルの脚本を書くより簡単だ」みたいな意見を目にしたけど、ぼくはその二つは別の能力を要する作業だと思う。原作がある作品の脚本を書くためには、原作のどの部分を取捨選択して、どのように音声や映像で表現するか針路をとる能力が必要になる。それが簡単だと思っているひとは、きっと「朗読劇の台本の文字起こし」か何かと勘違いしているんじゃないだろうか(……などと書くと、朗読劇関係者のみなさんから「我々の台本はただの文字起こしじゃないぞ」と反論されそうだけど)。

 ぼくのようなせっかちで集中力のない人間には原作がある作品の脚本なんて書けない。ぼくは原作がある作品の脚本を書いたことはないし、書こうと思ったこともないけど、それはぼくに「原作がある作品の脚本を書く能力」がないからだと言ってしまってもいいぐらいだ。まあ、そもそも「オリジナル」とは何なのかっていう根本的な話もありますけどね、長くなるのでこの話は今日はしません!

 ……なんだか話が明後日の方向に行ってしまったけど、要は、シャミッソーの小説を音声ドラマ化した『青春アドベンチャー』の『影をなくした男』は面白かったし、それを聴いてぼくも音声ドラマの作り手として刺激を受けましたよっていう話です。作品に興味が湧いたひとは「らじる★らじる」で聴いてみてください。ぼくが今日、出かけて帰ってきて疲れているのにこのnoteを書いているのは、「らじる★らじる」での『影をなくした男』第1回の聴き逃し配信が明日(というか日付が変わって今日!)の午後9時45分で終わってしまうからだったりします。

 まあ、そもそも、この記事を読んでくれているひとが2024年2月12日の午後9時45分以前にこれを読んでくれているとは限らないんですけどね。いまから100年後にこのnoteを読むひとだってきっといることだろう(note株式会社が倒産していない限り)。というわけで、2124年2月12日にこのnoteをお読みのそこのあなた、いかがお過ごしですか? 火星かどこかの宇宙ステーションでこのnoteを読んでくれているのかな? いまから100年も前の話ですけど、日本で310年前のドイツの小説が音声ドラマ化されて、それに刺激を受けた春休み中の大学生がいたみたいですよ!

 NHKラジオ「らじる★らじる」 聴き逃し 『青春アドベンチャー』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?